司馬遼太郎さんが「日本でいちばん美しい山城」と称した郡上八幡城。
靄の中、天空に浮かぶ城としても有名ですが、訪れ間近で眺めても本当に美しい城は、昭和8年(1933年)に造られた日本最古の木造再建城です。
桜の季節に訪れたのですが、何ヶ所かビューポイントが表示されていて、そこから写すと映えな写真が写せます。
駐車場に車を停め城へ向かおうとすると、既に曰くのありげなもの発見!
首洗い井戸跡です。
案内板によると、この辺りは駐車場になるまでは湿地帯で、丁度この案内板の立つほとりに一基の浅井戸が潰されていたそうだ。
その昔この浅井戸は「首洗いの井戸」と言い継がれ、慶長の合戦で打ち取られた寄せ手の名のある武士の血や泥で汚れた首が洗い浄められ、首実検に供されたそうだ。
駐車場から城までは石段がありバリアフリーにはなっていませんが、整備されて歩きやすかったです。
石垣は戦国時代によく用いられた「野面積(のづらづみ)」という手法です。
稲葉貞通が城主となった時(天正11・1588年)の大改修の中で整備されたものが起源で、その後 様々な改修を経て今に残っています。
石垣を含む一帯の城跡は岐阜県の史跡として指定されています。
石垣の上下で色が違ってますね。
上の白いのは昭和に再建した時のものなのかな?
思いが馳せます⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎
郡上八幡城は戦国時代末期、遠藤盛数が戦のための陣を置いたことがはじまりです。
盛数の後を継いだ息子の慶隆が城下町や城を建て、その後、稲葉貞通の改修により本格的な山城として整備されました。
江戸時代(1667年)、慶隆の孫・常友が城の大改修を行い、現在に繋がる「水の城下町」を建設。
これらの業績が幕府に認められ、城主格から城主の称を許されました。
その後、井上氏・金森氏が相次いで治めましたが、宝暦騒動(郡上一揆)により青山幸道が郡上藩を治めることとなり、以後七代111年もの間、青山氏の時代が続きました。
戦災消失前の大垣城を参考に昭和8年(1933年)に建てられた4層5階建ての木造天守は、1層から2層にかけて吹き抜けになっており、歩くとギシギシと床が鳴きます。
天守閣からは城下町が一望できます。
郡上八幡城改修の際に人柱となったおよしを偲んで建てられた「およし塚」。
人柱とは今の時代ではあり得ないですよね。
この2つの力石は、城を修理するため人夫のひとり作兵衛(通称・赤髭)が城下の河原から背負ってここまで運び上げたものです。
奉行がその力量の優れているのを見て激賞すると彼は感涙したちまち力尽きてその場で息絶えてしまった。
哀れに思った奉行が、この石の使用を禁じたが、昭和8年(1933)に天守閣を建設する際この石が草の中に捨てられているのを見つけられたということです。
堀越峠から郡上八幡城を望んだところ。
下呂温泉へ向かう途中に天空の城状態の郡上八幡城を発見!
スマホで写して拡大したのでチョッとボケボケだけどこのビューポイントを発見した時はめっちゃ感激しました。
後で調べたら有名な撮影スポットだと知りました。
死ぬまでに一度でいいから雲海立ち込める時期に訪れたいねってオッサンと話しました( *´艸`)ムフ
郡上八幡城
岐阜県郡上市八幡町柳町 一の平659
https://hachiman-castle.com/#home
TEL : 0575-67-1819
時間 : 通常9:00~17:00、夏季6~8月8:00~18:00、冬季11~2月9:00~16:30
休業 : 12/20~1/10
入城料 : 大人400円、小中学生200円
備考 : 郡上八幡城 新緑まつり(5月)、郡上八幡城 もみじまつり・紅葉ライトアップ(11月)、続日本100名城
アクセス : 郡上八幡ICから約12分
別名 : 八幡城、積翠城、郡城、虞城
城郭構造 : 平山城
天守 : なし。独立式層塔型4層5階(昭和8年、1933年木造模擬)
築城主 : 遠藤盛数
城主 : 遠藤氏、稲葉氏、井上氏、金森氏、青山氏
築城年 : 1559年(永禄2年)
廃城年 : 1869年
遺構 : 曲輪・石垣
文化財 : 岐阜県史跡、郡上市有形文化財(模擬天守)
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