平将門伝説が残るところは多いですが、築土神社もそのひとつ。
鳥居の先には近代的なビルの社殿があります。
九段下駅7出口左に折れから2~3分ほど坂を登ったところに鎮座するのが築土神社。
北の丸公園の入口、田安門からもほど近いです。
鳥居をくぐると普通にビルの中な感じ。
さらに鳥居風の石柱の間にある茅の輪をくぐります。
手水舎は龍の口からご神水がちょろちょろ。
拝殿で参拝。
実は時間が空いたのでグーグルマップを見て下調べも無く立ち寄った築土神社。
いつ頃創建されたのか、どんなご由緒があるのかも知らずに参拝。
将門伝説のある神社とは露知らず、普通に家族の健康をお願いしてました(*≧∀≦*)
知っていればもっと違った事をお願いしていたかも…。
帰宅してから知ってビックリ!
戦火で焼失するまで御神体は平将門の首桶だったそうだ。
首桶は真鍮製の六角形の厨子の中に安置されていたと思われ、この首桶は見ると目が潰れるという伝説があり、宮司すら見ることができなかったそうだ。
築土神社は、天慶3年(940)京都で晒された平将門の首を密かに持ち去り観音堂に祀り津久戸明神として創建したのがはじまり。
江戸城築城後(1478)には、太田道灌が江戸城の乾社殿を造営し、太田家の守護神、江戸城の鎮守神として崇敬。
天文21年(1552)、田安郷(現在の九段坂上)に移転し田安明神と呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つに数えられたそうだ。
元和2年(1616)には江戸城外堀拡張のため新宿区筑土八幡町へと移転し築土明神と改称。
現在の社殿は、平成6年(1994年)地上8階、地下1階建ての「アイレックスビル」が完成し、社殿もコンクリート壁の現代的な神社になってます。
拝殿には、将門公が用いた九曜紋があしらわれ、唐破風の上には鳳凰がのってます。
御朱印は書き置きのみ。
拝殿右手に社務所があります。
御朱印はこちらで拝受しました。
奥へ進むと境内社の世継稲荷神社があります。
嘉吉元年(1441年)飯田町に創建され、当時この辺りが田安郷と呼んだことから田安稲荷と称されました。
後に二代将軍徳川秀忠が参詣(1590)した際、橙(だいだい)の木があるのを見て「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、以来、世継稲荷と云われるようになったそうだ。
14代将軍・徳川家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣したことから、子宝・後継者のご利益があると今も参拝されています。
社殿の左脇には小さな石の祠と狐像が祀られていました。
築土神社
東京都千代田区九段北1-14-21
http://www.tsukudo.jp/
TEL : 03-3261-3365
時間 : 9:00~17:00
アクセス :九段下駅より徒歩3分
御祭神 : 天津彦火邇々杵尊、平将門公、菅原道真公
旧称 : 津久戸大明神、江戸明神、田安明神
社格 : 村社
創建 : 天慶3年(940)