今日は母の日です。
わたしもありがたい事に母になれました。
で…今日は不妊について書きます。
だからわたしを知っている友人たちに向けての子育てブログネタではなく
不妊でくぐって来てくれた方に向けたブログネタです。
興味ない人はスルーしてください(知人はむしろスルーして欲しいです)
過去に何度も書いてきましたがなおひろは結婚して8年目に授かりました。
小作り解禁して7年です。
たまたま卵管造影をやったらすぐに授かった友人から3年目あたりに
検査してみたら?と言われたのがきっかけで病院通いがスタートしました。
検査していく過程では子供を授かる事がこんなに大変だとは思っておらず
むしろ、こんな検査があるんだ~へ~ってな感覚でした。
人工授精からのスタートはやればすぐ授かる、回数をやれば妊娠できる
身体も金銭的にも負担が少ないこの段階ではまだまだ気持ちの余裕がありました。
でも5回目の人工授精の結果がダメだった時に先生から
ステップアップを進められました。
何度かやれば授かるって思ってたので、この時が『不妊』である現実を突き付けられた時でした。
有名な病院に紹介状を書いてもらいましたが最悪でした。
今でもその先生を思い出すと腹が立つってより悲しい気持ちを思い出します。
気持ちは苦しくて病院に来てるのにさらに苦しい思いをさせられて
ホントにホントに最悪でした。病院に行けなくなりました。
でも子供は欲しくて欲しくて…八方塞と言ったら大袈裟かもしれませんが
子供が出来ない現実と病院に行けない感情とでいつも泣いてました。
ご縁があって知り合いから不妊治療に力を入れている病院を紹介してもらえました。
この時はホントに嬉しかった。
先生にお会いした時嬉しくて泣けました。
優しい先生とかそんなんじゃなくて、不妊治療って言う不安の塊を
この先生の所なら頑張れるんじゃないかって思えたから本当に嬉しかった。
不妊治療も高度に進むと精神的・肉体的・金銭的どれをとっても大変です。
着床しなかった時の悲しさはどんな事よりも大きかった。
どちらかと言えばわたしって善良な市民よね?
昔っから安産体系だよねって言われてたのに
夫婦ともに健康なのに(要因は乏精子症で悪い時は2ケタもあったと思います)
お金使っても痛い思いしても努力しても妊娠できない。
子供を授かれない現実がただただ悲しく苦しい時間でした。
何年かは子宝祈願や神頼みもちろんしていましたが
虐待死のニュース見るたびに神様っていないわって神頼みもやめました。
治療中は色々頑張りました。
漢方(高くてお茶程度ですが)や鍼灸など東洋医学もやりました。
2回目の顕微で着床確認できましたが稽留流産でした。
手術の日は人生で一番悲しい日になりました。
今現在でもそれは変わりません。
そんなわたしが妊娠しました。
顕微を6回やったわたしがまさかの自然妊娠でした。
夢のマイホームを買い引っ越ししてから半年後の事でした。
治療するにもお金はなく、とにかく精神的に疲れてました。
判定日の1週間前の不安に耐えれなくなってました。
お家買っちゃったし、治療費貯めないと顕微もやれないし…
当分考えるのやめようってなりました。
不妊治療にはホルモン剤が多々使用されます。
代謝が悪くなる上に、心理上動きが少なくなりますので
わたしの場合太りました。
そこで…
どうせ子供出来ないならせめてナイスバディになろう!で
引っ越ししてから身体鍛え始めました。
ほぼ毎日ジムに行きました(2か月は行ってないです)
代謝が良くなったのは間違いないので
わたし自身は子宮環境良くなったと思ってます。
主人はにんにく酢を少し飲んでました。
(少しになったのは強すぎてお腹壊してしまい、結果あまり飲めなかった)
このふたつしか思い当たるふしがありません。
妊娠できなかった頃、トンネルの中にいる自分は何をやっても出れなくて
妊娠できた人から(ジネコ利用してました)どんなに前向きな言葉をもらっても
結果あなたはトンネルを抜けた人だものねと思ってました。
わたしは抜ける事が出来ない、いつまで頑張り続けるのか、いつ諦めようか…
そんな思いでいたわたしもトンネルを抜けました。
不妊の事いつか書きたいって思ってました。
それが今日になりました。
母の日に、母となったわたしが母になりたい誰かに
こんな例がありますって伝えたくて。。。
母になれますように切に願っています。
わたしもありがたい事に母になれました。
で…今日は不妊について書きます。
だからわたしを知っている友人たちに向けての子育てブログネタではなく
不妊でくぐって来てくれた方に向けたブログネタです。
興味ない人はスルーしてください(知人はむしろスルーして欲しいです)
過去に何度も書いてきましたがなおひろは結婚して8年目に授かりました。
小作り解禁して7年です。
たまたま卵管造影をやったらすぐに授かった友人から3年目あたりに
検査してみたら?と言われたのがきっかけで病院通いがスタートしました。
検査していく過程では子供を授かる事がこんなに大変だとは思っておらず
むしろ、こんな検査があるんだ~へ~ってな感覚でした。
人工授精からのスタートはやればすぐ授かる、回数をやれば妊娠できる
身体も金銭的にも負担が少ないこの段階ではまだまだ気持ちの余裕がありました。
でも5回目の人工授精の結果がダメだった時に先生から
ステップアップを進められました。
何度かやれば授かるって思ってたので、この時が『不妊』である現実を突き付けられた時でした。
有名な病院に紹介状を書いてもらいましたが最悪でした。
今でもその先生を思い出すと腹が立つってより悲しい気持ちを思い出します。
気持ちは苦しくて病院に来てるのにさらに苦しい思いをさせられて
ホントにホントに最悪でした。病院に行けなくなりました。
でも子供は欲しくて欲しくて…八方塞と言ったら大袈裟かもしれませんが
子供が出来ない現実と病院に行けない感情とでいつも泣いてました。
ご縁があって知り合いから不妊治療に力を入れている病院を紹介してもらえました。
この時はホントに嬉しかった。
先生にお会いした時嬉しくて泣けました。
優しい先生とかそんなんじゃなくて、不妊治療って言う不安の塊を
この先生の所なら頑張れるんじゃないかって思えたから本当に嬉しかった。
不妊治療も高度に進むと精神的・肉体的・金銭的どれをとっても大変です。
着床しなかった時の悲しさはどんな事よりも大きかった。
どちらかと言えばわたしって善良な市民よね?
昔っから安産体系だよねって言われてたのに
夫婦ともに健康なのに(要因は乏精子症で悪い時は2ケタもあったと思います)
お金使っても痛い思いしても努力しても妊娠できない。
子供を授かれない現実がただただ悲しく苦しい時間でした。
何年かは子宝祈願や神頼みもちろんしていましたが
虐待死のニュース見るたびに神様っていないわって神頼みもやめました。
治療中は色々頑張りました。
漢方(高くてお茶程度ですが)や鍼灸など東洋医学もやりました。
2回目の顕微で着床確認できましたが稽留流産でした。
手術の日は人生で一番悲しい日になりました。
今現在でもそれは変わりません。
そんなわたしが妊娠しました。
顕微を6回やったわたしがまさかの自然妊娠でした。
夢のマイホームを買い引っ越ししてから半年後の事でした。
治療するにもお金はなく、とにかく精神的に疲れてました。
判定日の1週間前の不安に耐えれなくなってました。
お家買っちゃったし、治療費貯めないと顕微もやれないし…
当分考えるのやめようってなりました。
不妊治療にはホルモン剤が多々使用されます。
代謝が悪くなる上に、心理上動きが少なくなりますので
わたしの場合太りました。
そこで…
どうせ子供出来ないならせめてナイスバディになろう!で
引っ越ししてから身体鍛え始めました。
ほぼ毎日ジムに行きました(2か月は行ってないです)
代謝が良くなったのは間違いないので
わたし自身は子宮環境良くなったと思ってます。
主人はにんにく酢を少し飲んでました。
(少しになったのは強すぎてお腹壊してしまい、結果あまり飲めなかった)
このふたつしか思い当たるふしがありません。
妊娠できなかった頃、トンネルの中にいる自分は何をやっても出れなくて
妊娠できた人から(ジネコ利用してました)どんなに前向きな言葉をもらっても
結果あなたはトンネルを抜けた人だものねと思ってました。
わたしは抜ける事が出来ない、いつまで頑張り続けるのか、いつ諦めようか…
そんな思いでいたわたしもトンネルを抜けました。
不妊の事いつか書きたいって思ってました。
それが今日になりました。
母の日に、母となったわたしが母になりたい誰かに
こんな例がありますって伝えたくて。。。
母になれますように切に願っています。