時間と存在と自由

真空を意識し呼吸を整える

当事者

2020-05-08 05:22:40 | ウェブログ
新型ウィルスの関係で

外出自粛を余儀なくされることが増えた、この数ヶ月。

日本全国のみならず
世界各国のあらゆる人々にまで

また

目に見えるみえないに関わらず
大きな影響があるように思います


今回は、私が、ブログ内で外出自粛を宣言してから思ったことを、
書かせてもらおうと思います。


私は以前、このブログ内で、
テレビやWOWOWの画面を携帯カメラで撮影し
その画像をブログにアップするということをしている時期がありました。
「してはならないこと」だ、と気がついたのは、その行為を続けて、だいぶ経ったある日。
あるスポーツの番組を見ている時でした。

それは、硬式テニスの男子のプロツアー大会の一戦でした。

海外のトップ選手のシングルスの対戦で、試合はこちらがゲームを取れば、あちらも負けじと取り返す、という大変白熱した、素晴らしい熱戦でした。

私は、華麗なプレーの連続に、ドキドキしつつ、携帯カメラを構えて、それまでのように画面を撮し続けていました。

そのときふと
自分を俯瞰で見る瞬間が訪れました。

「○○○○○○○と○○○○○のこの試合を、いくら中継してくれてテレビで自宅で観られるからといって、
この二人のこれまでの努力や練習の苦しさなども満足に知らずに、
ここでカメラで狙ってる私って、一体何者(何様)なんだろう

さらに思いました。

「私は、この試合を撮影することを、ブログに書くためだけに行っている。
どこかに提供しようとか、これでお金を稼ごうとか、そういう気はないから、特に問題はないだろうと撮って、ブログアップを続けてきたけれど」

このヒリヒリする、トッププロ同士の真剣勝負を観、海外の観客の歓声を聞くうちに、ようやくハッと気がついたのです。

もしかして、私のしていることは、法律で禁止されているレベルの
迷惑行為にあたるのでは、と。

その試合がまだ続いている時から、
撮影した同じ携帯で、
ネットサーフィンをしてみると

テレビの画像をブログアップすることについて

Yahoo!知恵袋や、色々な方々が書いてくださってて

「アップしないのは常識」
という意見もありました。
常識が通用しないほど、ひとさまの言葉に耳を傾けることをせず、結果それが世間の常識を無視し続けて今日まできてしまった
と大反省しました。
心の底から恥ずかしかったです。

その時点で、当時一番人気だった自分の記事のところに(一番目立つかなと思って)、お詫びの文面を日付と署名入りで載せました。

何年前だったかな…多分、1年半前の9月だったと思います。
調べたら、すぐわかります。自分で書いたことだから。

あのときの
血の気が引いて、自分の顔が真っ青になる瞬間はよく覚えています。


今回、ブログタイトルを「当事者」
にしたのは、

新型ウィルス感染の影響が日本でも広がりを見せていた今年3月。私が住む地方には、まだ感染者がおらず、でも都会では、かなりの勢いで感染拡大が起ころうとしている、ある連休に自分で書いた記事のことが、気になったからです。

後になって、ある奥様が、
「○○○○夫人なのに、県外またいで旅行かよ」と、一斉に世間さまからバッシングにあっていた同じ連休。
私の投稿をみると
呑気な文字で
“久しぶりの家族との束の間の休日に、一緒にお出掛け嬉しいな”という感じで
それまでほとんどつけたことのないハッシュタグ#までつけて、嬉しげにブログアップしている。

この投稿を見た都会の人は何を感じたか。
世界の、ウィルス感染で苦しみの中に只中にいる人はどう思うか。

当事者意識が薄いのは○○○○の奥様も、こりゅうも、同じ。
つまり、私の中では同罪。

そう思って、家族(旦那さん)に、たまらずありのままを言いました。

「私が○○丸々 (個人名)じゃないか」

家族は、黙って聞いていました。

前回の失敗投稿は、頃合いを見計らって自分の中で充分置いておいた上で消しました(半年以上は置いたと思います)
✳️再度確認致しましたところ、令和2(2020)年5月22日(金)現在、消していませんでした。残していました。申し訳ありませんでした。確認不足をお詫び申しあげます。


大変、申し訳ありませんでした。

自粛8割に、更に努めて参ります。




コメント (5)
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