◯布施・ 1
『法句経』の翻訳で有名な友松圓諦(1885~1973)の幼名は春太郎で、名古屋の米屋の次男として生まれました。
名古屋には臨済宗妙心寺派の徳源僧堂があり、雲水さんたちが托鉢で友松コメ店を度々訪れました。
春太郎のお婆さんは、いろんなことを春太郎に教えてくれました。
お婆さん
「雲水さんにお米を差し上げる時は、平等に差し上げるのですよ。
春太郎、お布施を差し上げる方ともらうほうではどちらが嬉しいと思うかい?」
春太郎
「それはもらうほうに決まっているよ」
お婆さん
「ちがうよ、お布施は差し上げる方がうれしいのよ」
この話をすると、春太郎の方が正しいと思う方が多いかもしれません。
そのようなお婆さんの気持ちは宗教心から出てくるのです。
たとえば赤ちゃんにお乳をあげるお母さんは嬉しいはずです。
孫にお小遣いをあげるおじいさんは嬉しいはずです。そのような無償の施しが布施です。
日本語の「旦那さん」は、ご主人のこと。「ダーナ」はインドのことばで施しの意味で、
英語の「ドネイション」は寄付の意味です。どれも語源は「ダーナ」です。
お返しできない人に差し上げるのが「ダーナ」で、お返しを求めるのは「ダーナ」ではありません。
『心地観経』に三輪清浄の教えがあります。他人に対する奉仕の心構えを説いています。
奉仕する側と、それを受ける側と、奉仕の手段の物は、それぞれ清らかでなければならないという教えです。
布施・2
布施はお金や品物だけではありません。『雑法蔵経』に、お金がいらない布施、「無財の七施」が説かれています。
笑顔、まなざし、言葉、思いやり、坐るところ、宿の提供、身施(礼儀)、のことです。ここでは身施について考えてみます。
『雑法蔵経』には「師長を起(おこ)ち迎えて礼拝す・・・・」とあります。師長とは目上の人や僧侶です。
目上の人はそこ立っていて、その人の足元にひざまずいて合掌するという意味です。
これはスリランカで現在も行われている伝統的な礼法で、これが「身の布施」です。
身施を「ボランティアのこと」と説かれている資料もありますが、原典はこのようになっています。
当時の一般市民はお金をもっていないのが普通でしたでしょう。それでこのような教えが広まったのだと考えられます。
●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350
初回参加者は6:15までに来てください。
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