スダッタ長者
インドにおいてブッダ在世の時代に商業は大発展をしました。鉄器文化の流入(BC7Cごろ)発展により耕地が広がり、穀物の収穫量はそれ以前より20倍から30倍になったとされています。人口が増え、それまでの村は町、都会へと発展しました。大きな船をつくり、遠くの国と商業取引ができるようになりました。『遊行経』にバッシャリという都市の名前が何度も出てきます。「これはバビロンではないか」と友松圓諦先生は述べておられます。(浅草寺仏教文化講座1966)
そのような中、スダッタ長者が竹林精舎でブッダの説法を聞きました。スダッタ長者は、今で言えば金融資本家です。紀元前5世紀、インドにおいて金融資本家がいたとは驚きです。スダッタはブッダの説法に深く感激して「ブッダと弟子1200人を養える僧院をたてる」といって王子さまにかけ合い、森林公園を寄付してもらって広大な僧院をたてました。これが祇園精舎です。そのようにブッダは商人に支えられて発展しました。
現在、日本の寺院で法要に際し、儀式を行う中心的な僧侶を「導師」と呼びます。導師はインドのことばで「サッタバーハ」で商業用語です。砂漠を行くキャラバンの先頭を行くリーダー役をサッタバーハと呼びました。そのように「仏教は商人と結びついて発達した」(オルテンベルヒ19C 独)といわれるところです。
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定価販売
今日では定価販売は当たり前のように思われています。ところがブッダの時代は物の値段は定価ではなかったのです。たとえば市場に貴族の使いが来て「私のご主人さまはあなたの家の地主だから安くしなさい」といったらそうせざるを得なかったでしょう。当時はカーストで品物の値段は変わったのでした。それでは商売はできません。ブッダの教団では「平等」を説きましたので、仏教徒は品物の値段は身分によらず平等でした。これで多くの商人たちはブッダの信者になったのです。当時のインドにおいてブッダの教えは経済発展の礎になったのでした。ブッダの弟子は1,200人いたと先に述べました。次の世代になると弟子はその20倍ほどになりました。『弟子品』という経典に、ブッダの直弟子たちには何人の弟子がそれぞれ800人や1000人とあります。ということはその僧侶たちを支える経済的に豊かな商人たちがあったことになります。ブッダの在家信者の中には経済的に大成功をする人がありました。ある信者は大きな船を二艘もっていて、外国と貿易をしていました。あるとき水害で多くの人々が被災しました。その信者は自分の船を売って被災者たちに救援物資にあてました。ブッダは「あなたは商売ができなくなるだろう」といわれましたが、その信者は「船はまた造れる」とこたえたと伝えられています。
坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。
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