神戸新聞で去年の1月17日から1年間毎日
「震災ダイアリー」が掲載されました
残念ながら始まってから1月27日まではスルーしていた が
どうも気になって仕方がないので
毎日切り抜くことにしました
その時は切り抜くだけで まともに内容は読めていなかった
最後の一枚になる1996年1月16日震災365日目を貼り終えた時
改めて読み返した
特に気に留まった部分に蛍光ベンで印を付けてみた
震災ダイアリーで震災後1年の記録を振り返って
被災者でもない私が・・・
*12日目
三宮の駅前のビルの解体が始まる
若かりし頃憧れの街だった神戸(今も)
その頃に目に焼き付いている 三宮のビルが解体されている
*14日目
姫路方面と大阪が公共交通で結ばれた
*31日目
大量のごみが発生し カゴメが大群で集まるようになりました
*35日目
ホテルオークラ神戸の壁に「ファイト」の文字が浮かび上がる
*47日目
不通になった線路を子どもたちが自転車で走っています
*56日目
兵庫区松本通りの7割が全焼
ここには私の伯母家族が住んでいました
テレビに映し出される火災を見ながら 鎮火することを祈るしか
出来なかった
伯母たちは無事だったが 家は全焼だった
*67日目
インフラが徐々に復旧しました
夫は会社から何回か応援に行きました
夫は「ビルも家も電柱も傾いていて 平衡感覚がおかしくなりそ
うだった」と
「神戸の人の車に乗って現場に行ったが 運転している人が
よく通る道なのにそこに建物が無い目じるしになるものが
無いとなると運転しにくいなーって言ってた」と
*74日目
イチロー選手やナインの肩には「がんばろうKOBE」のワッペンが
付けられていました
*85日目
避難生活を続ける人たちのテントを満開の桜が優しく包んでいます
*99日目
廃棄物処分場にピーク時には1日5200台のトラックが廃棄物を運び
入れた
*116日目
英国製の仮設住宅500戸が六甲アイランドに並ぶ
*134日目
子供たちの遊び場が減り住吉川で野球をしているグループがいた
*152日目
国産機の約5倍の処理能力を持つ米国から無償貸与された廃材破砕
機が廃棄物の処理を始めた
*156日目
孤独死が問題となる
*164日目
神戸港で震災後初めて大型商船の引き渡しがありました
*171日目
明石海峡大橋の200㍍の橋桁ができました
*185日目
ボランティアの協力で仮設住宅の出入り口にスロープが設けられた
*216日目
岩手のボランティア団体がローソク2500本をともして
「ガンバレ!神戸」の文字を浮かび上がらせました
*229日目
神戸市は市街地のがれきを活用してくし形突堤の間を埋め立て
現在の東埠頭を誕生させました
*246日目
オリックス・ブルーウェーブがリーグ初優勝
*264日
ジーコさんがサッカースクールを企画
*282日目
映画「男はつらいよ」の寅さん役の渥美清さんが菅原商店街周辺に
現れる
*297日目
兵庫県庁の本格的な復旧工事が始まる
*310日目
芦屋市のがれきは推定100万トンで同市のごみ処理量の30年分
*333日目
「KOBEルミナリエ」が始まりました
*345日目
川崎重工兵庫工場で自足300キロで走る次世代新幹線「500系」の
完成式がありました
*354日目
西武ライオンズの清原選手が本塁打1本10万円ヒット1本1万円と
成績に応じて積み立てた金額324万円を神戸市長に託した
*364日目
日本一短い手紙のコンクールに寄せられた震災に関連する作品
「地球さん 愛を忘れかけた おろかな私達だ
もうしからないで下さい」
「強い揺れの中で恐怖よりも あなたの体重の重みの方が
心に強く残っているなんて」
「お父さんへ タンスの下で名前を呼んでくれました
私は大きな気持ちをもらいました」
*365日目
炊き出しの豚汁などを手にこの1年の苦労や喜びを語り合いました
こんなことをこんなかたちでここにのせることは
もしかしたら
いけないことかもわからないけれど
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます