サンチョパンサの憂鬱

またもや……

またもや……教員の仕事を半年で断念した女性の体験記が載ってた。
読む限り……それも『無理からぬ状況』も感じたけれど。

指導教官は事なかれ主義の典型的人物。
何かと的外れで、正面から向き合ってくれない。朝令暮改の指示などなども多数……。

若いとき自分の職場もそうだったな?との自戒を込めて書く。

何故?煮詰まるか?(若しくは自ら煮詰めてしまうのか?)を考えて欲しいと思った。
そういう精神状態に追い詰められる時……
『主観カメラ』一台で撮影してるのである。
斜め45度上方から映して俯瞰する『客観カメラ』がない事によって煮詰まる場合が多いのである。

客観カメラは……例えば『こんな奴でも勤められる職場か?』……自分ならもっとマトモに働けるぞ❗とか……立場が逆なら、自分は『こうやって指導する』とか……全く違うテーマが見えてくる事によって『救われる』のである。

何より死ぬまでコイツと付き合う訳じゃない❗事が見えて来るのである。
『様々な選択肢』と『長い時間の尺度』を持てるから未来を想定した情報が取り込めるようになる。

拒絶一辺倒から……コイツとも後、数ヶ月しかご一緒出来ないのか?
目一杯『反面教師の材料』にして使わなきゃ勿体無い❗なんて思いすら湧いて来たりもする。

いきなり理想的環境で『自分の思い』が報われる?なんて考えてた自分の健気さと愚かさが情報として把握出来ればメンタル環境はドラスティックに変わってくる。

この女性は『相手の理不尽』ばかりを書いていた。恐らくそういう要素もあったろう。
しかし、その理不尽に対抗するのに『自分には何が足りなかったか?』への言及は残念ながら全くなかった……。

どんな職業も……『95%のクソッタレ要素』と『5%のああ楽しいこの仕事要素』で構成されていると思えば間違いない。

だからこそ出来るだけ楽しい仕事要素の確保の為に……クソッタレ仕事の合理化に必死で努める様に……なるのである。
『変えられるのは自分の事』しかない。
同じ一人の事なかれ人間に対しても……自分を変えて対峙すれば全く違う反応に変化するのである。

この女性の体験記は『変わってくれなかった相手』への恨みと糾弾しかなかったのである。

自分が変わるから相手が変わる。必ず自分が先なのである。
そして……客観のカメラでの映像によってしか『変えるべき自分の要素』は認知出来ないのである……。

主観と客観がバランスしてる人……ソレを大人と呼ぶ……。

石の上にも三年っていう。この三年という時間はその客観のカメラを手に入れるために最低限必要な時間なんだと思う……。

辛抱しろ❗❗に聞こえるかも知れないけれど……決してそうじゃない❗
余裕を作って自分というものを『客観的に把握』しない以上……肝心の変化・進化していけないのだ❗❗と言いたかったのです。
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