サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……文化と経済的繁栄

タイで80年代の日本の『シティ・ポップ』が大流行……今ではタイのヒットチャートはタイ人がソレを消化して『タイナイズした』モノが席巻している……とテレビがやっていた。

第二次大戦の後……繁栄を欲しいままにしていた感のアメリカがイギリスがフォーク・ロックを編み出し…日本はそれに熱中した。
やがて日本経済が繁栄の果実を受け取り始めたら……『和製フォーク・ロック』が街中に流れ始め……ニューミュージックとなってバブル期に入り後のシティ・ポップの礎となった。

コストパフォーマンスとか投資効率とかロス率とか?
アメリカがカネをキチキチにして『無駄を省く手法』に走る様になるとハリウッド映画は途端に魅力を失い脚本の原作を日本に頼ったり?信じられない凋落振りを示した……。
アニメもディズニー以降世界への提案力を失って久しい。

フランスの繁栄期……バレエにも、絵画にも『社会から無駄に出来るカネ』が流れ込み格段の進化をした。
文化とは即物的な世界の計算を離れ……コストとしての直接的パフォーマンスを一切期待しない富が投じられて初めて開花するものだろうなぁ?……なんて事を考えた。

このアニメの興行収入は???……そんな直接的で即物的な計算で作られる作品は文化たり得ず……時を待たずして『文明の渦の中』に沈んでいく?

文化というレベルに到達するモノは『計算外の計算』を手に入れた作品なんだと思う…。
今、売れるから、儲かるから作るんじゃなく……
『ただ表現したいから表現される世界』である。ソレには『膨大な無駄のカネ』を必要とする……。

テレビから流れるiPhone『ウォッチ』が救出要請するCMはとてもノイジーである。
文化じゃなく文明の利便性を『どうだッ!!』と突き付けてくる、自己疑問が全くない無神経
極まりないアピールの仕方だからだと感じるのである。

文明は形而上の提案するレベルに到達し得ない。形而下から多大な無駄を与えられ文化のレベルに達したモノは形而上で輝きを発する不思議である。

質と量の関係は……そうやって密接に表裏をなしている。
数量計算という即物的な世界で生まれながらソコに留まるコトを良しとせず突っ切って質の世界へ到達する流れ……。

だから『単に綺麗事』って形而下の世界でも力を発揮出来ないし、ましてやソレは質の世界とは無縁のまま消えていく。

汚い世界を知らない(カネ計算やその駆け引き、落胆などなど)表現は文化足り得る世界に到達することは出来ないんだなぁ?……なんて事を考えてしまった……。
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