サンチョパンサの憂鬱

被害者達のエレジー

一般的な悪徳の極みの善人達、その『傷付いたぞ❗症候群』の方々への処方箋を前編で書いた…。

目出度い頭で声高に自分の被害者振りばかりガナリ立てず『自分が傷付けた❗』であろう事例をたった一つで良いから思い出しなさい❗……と。

酷い過去のトラウマに悩んでる人達は別にして……とお断りしておいての話です。

幼少の頃から『ヨイコで居なさい❗』と強迫観念的に責め立てられて育った家庭、ガッコの状況はいたくご同情申し上げる……が、しかし大人になればご当人の責任なのである。

ルーティンでは稼げない。『実を上げる事』でしか稼げない仕事の僕は……そんな人種の弊害を受けながら生きて来た。

その経験から思うことが少々ある。
モノゴトが平穏に『何時もの通り』にルーティンで運んでいる様に見えるのに……そんな人種達は定期的にトラブルを起こす。

何故なんだろう?と見ていて気付いたのはそんな人達は自前のものじゃない借り物の『観念』で日常を取り仕切っているからだと思った。

生身の人間ゆえにソコに無理があるのだと思う。
彼等、彼女らは恒常的に苛ついている?のである。
物心ついた時から『演っている』んじゃなく『ある役を演らされている』無理と不自然が根底にある……。

『ヨイコで居なきゃパニック』は幾つになっても健在❗❗その刷り込みが、『怒りの素』である。

基本的に『自分の落ち度』を認められない。『ヨイコの自分』がミス?そんなの犯す筈がないという認識がベースにある。(それは落ち度に対する恐怖心からの仕業だと分かるけれど……)

酷いのになるとソレが意識にさえない。『間違える訳がない人』であり…だから…結果的に『謝罪する訳がない人』が圧倒的多数なのである。

現実にはミスする。気持ちよく謝罪する。ミスする前より信頼が増すと運ぶモノだけど……。『ミスってはいけない!』、『認められない!』、幼稚な不機嫌を動員して被害者の出来上がり……という手順である。

その矛盾は親となっても継続する。
子供を動員しての『観念の刷り込み』である。

『ママ友?』それとも『ママ敵?』……そんな子供を道具にしての『ヨイコ合戦』は続いてく……。

『被害者上手達』は『イジメ名人でもある』……いつの間にか阿吽の呼吸で多数派を形成するが……当然……ソコには信頼の欠片もない。
お互いの『明日は我が身の猜疑心』が絶えず行き交っているのである。

アドバイス?……人生を我が手に取り戻しなさい❗❗である。
『観念』は自分じゃないのです。
『自分の心』は自分の中に必ず在る❗❗探せば必ず見付かる保証付きです。

学歴は様々なれど……各業界で『福の神』となってくれる人間達には共通の特徴がある。『幼少期に自由』を与えられ育ったのがありありと分かるのである。

如何なる難題も……独自ルートを工夫して間に合わせてくれる。
所が『被害者名人』の手に掛かると……狂う筈がない簡単な仕事さえトラブルのである。

そんな方々の逆ギレセリフ『そんな言い方しなくても……』から入ってくる。
余りに面倒なので最近僕は……こう答える。
『そんなやり方、生き方しなくても良いんじゃね?』って❗❗
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