アホである……こんなのはお菓子ばかり食べていたいと愚図るガキである。
僕は……怪しいセラピストでもなく心理セミナーの主催者でもないけれど、一つ言える事は……全ての事は……『自分の必要に応じて起きている』のである。
ここで生きてかなきゃならない?就職してずっとその陰湿な想いは続き、晴れる事はなかった。
嫌というほどそのアンニュイに付き合った挙げ句……ここでも僕は人以上に仕事をこなせた!という実感を得たのだった。
それは絶望の中の希望とも言うべきモノで三年を越える憂鬱そのものの時間の賜物だった。
その超憂鬱という三年の実感無くば、最悪の環境でも自分は通用する!という希望を手にすることは出来なかったと思う。
陰と陽、甘いと辛い、様々の単味では食えない味が重なりあって深い味を作り、奥行きのある風景となっていくのだと思った。
僕を成長させてくれたのは、好意を持って接してくれた人よりも数々のアンチクショー達だった。
アメリカン的な……自分を解放して何時もニコニコしてたら良くなります?みたいなポジティブシンキングは、とても表層的で底が浅い。
だからアメリカには職人の名人芸ってのが少ないのかもね……。
行き詰まり、ドン詰まりの時に『何を変えるのか?』と言えば先ず勤め先を変えるとなる。当然それは選択肢でしょう?
その前に『自分のメンタルとそのベクトルを変える』事が肝要なんだと思う。
全てを勤め先のせいにしてる自分のメンタルと目指す方向もない志向って奴を変える、詰まり『自分を変えなきゃ』転職も単なる『場所替え』に終わっちゃいますよ!って話です。
職人が苦虫噛み潰した様な顔で一心不乱に何か磨いている……それは一見修行僧の辛い戒律に支配されてる様な図だけど……逸る気持ちを抑えながらジックリ自分に言い聞かせながら、その工程を楽しみ悦んでいる。
自分の一挙手一投足の微細な効果を深く感じる至福の時間なのである。
3Kあっての至福の時間という関係がそこにある。
物事の処理はITによってドラスティックに早くなった。
しかし人間の完成には八十年を要する。
ネット一つで私はこんなに稼ぎました!……と舞い上がったCMをよく見るけれど、そんなのネットの進化一つで失うかも知れない。人生を作り上げた訳じゃないのである。
僕は決してコツコツとか努力を謳い上げるタイプじゃない。
自分が納得し安心し、悦べるモノにしようとしたら結果的に様々の体験、出会い悲しみ、苦しみが必要でした、と言っているに過ぎない。
虚しくて悲しくて、もう……良いぜェッ!捨てちゃろか?!位になったら他人がそれを評価してくれる時期になっていたに過ぎない。危ねえ所だったってな流れだったのである。
不思議と『地力』が付いていたのだった。同じ食い物屋でも何か?何処か?打たれ強い力……そんなのが付録で付いて来てたのである……。
すぐお菓子が欲しいと泣きわめく自分の首根っこ押さえ込んで三年何かやって見ればアホでも分かるのである。
自分が何時もの逃げ口上を口にしたら……ソコからが始まりです……。