切り捨てると……確かにトラブルは激減し、キッチリと一日の成果は残る。悩みは霧消し、使い方自由の時間がふんだんにある状態となる。
そんな状態になると……嫌でも興味は自分に向かう。自分の生きて来た事。その価値や意味。これからどんな事に費やしたら有意義か?なんて事を知らず知らず考えているのである。
そうなって分かった。自分の事を考えるのは結構シリアスな気分になるんだという事を。
自分は、それを避けてたんじゃないか?と思った……。
人とつるみ、適当な事をやり取りしてたら、そのシリアスな問題を誤魔化せたからだったんだ!と思った……。
『俺は何をやってるんだ?』、『俺はどうしようと思ってるんだ?』……なんて事が嫌でも四六時中付いて来る様になると確かに充実感はタップリだけど……これは酷く疲れる。
当然、寂しいし不安も、ストレートに意識させられるのである。
ま、これが実感って奴であり求めていた訳だから、手放す気は毛頭無いけれど……。
人と人はお互い、関わる事で生きるプレッシャーを軽減してるんだなと思う。
インカの人々が苦役の苦痛から解放される為に噛んだコカの葉の様に……お互いがお互いの苦痛を麻痺させる役割を果している?んだな?と。
若い人達のゲームなんかもそのコカの葉の役割の様に……彼等は味わっているんだろうなあ?
本当の事……は必ずしも良い事ばかりじゃない。冷徹にお前はナンボのモンだと伝えてくるし、時には取り付く島もない現実を思い知らされるモノでもある。
それでも……自分はナンボのモンを知るために生まれてきたのだ。
『自分の……ようなもの』を幾ら味わってもそれは消えていく嘘の味だ。
何れだけ通用するか?……と同じ様に……何れだけ通用しないか?を知るのもまた人生なんだなぁ?……と思う様になった。
今、『一人上手の時間』を大切にしながら生きていて……そんな事を思う……。
然りとて……あの嘘臭いというより、嘘しかない様なナアナアお付き合いの時間には絶対戻りたくはないのである。
『偽物の安心』は何も残さなかった。
今は……『本物の苦痛』が生きて在る自分を確認させてくれる。
どのベクトルで生きようと現実が変わる訳じゃない。
正解不正解は自分の納得で決めるしかないのである。
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