僕は大学に入学すると直ぐデパートの玩具売場でバイトを始めた。
彼女は同じフロアに新入社員の研修でやって来た十数人の中にいた。
何方から話し掛けたかは覚えていない。
何となく彼女が研修のフロアが変わってもよく二人でお昼の食事をする様になった。
当時、自分では気付かなかったけれど……僕は今で言う自己肯定感って奴が低かった。
その分を埋め合わせする為に自己効用感を稼ぐのに精一杯だった。
その原因となった事柄は当時は僕の無意識下の奥深くに埋められていた。
だからその時の自分の言動行動とその原因を関連付けて考えることはなかった。
『変わっている』けれど『出来る奴?』そんな完成モデルを設定しソレが僕だと自分にも他人にも信じ込ませる事に夢中だった。
ホントの自分ではないペルソナ百パーセントで人に面するという点において僕は、今の若い人達のイイコ症候群のハシリだったと思う。
彼等は『人と同じであること』に夢中であるのに対し僕は『効用感稼ぎ』に血道を上げていた点は真反対だけれど……。
僕と彼女はかなりの田舎モンだった。
僕は山あい、彼女は島育ちで海と山の違いあれど自然が感覚の中に大きなウエイトを占めていた。
単に育った環境がと言うんじゃなく、それは『モノを観て感じる』時の話だ……。
実際、彼女の出身の島からは何人か研修生に居たけれど言葉以外はシティ育ちの人間達と何ら変わるところはなかった…。
彼女と二人だけだと僕は余り喋らなかった。
というより喋る必要が無かったというのが正確だと思う。
彼女は大勢の前とは全く違い……自分の生い立ちや島の慣習や学校のことなどなど沢山話した。
彼女は『一つの自分』を力むことなく遂行していた。皆の前では自然と抑制された態度で控え目な雰囲気だった。
しかし気後れとか遠慮とか人見知りなどではなく彼女の普通が無理なく判断しチョイスしたモノだった。
だから彼女にはどんな時も作為の無い自然な存在感があった。
僕は彼女と居ると楽だった。
何時もの日常のように次から次へ誰彼となく話題を振る必要もなくただ彼女の話を聞いていることが多かった。
彼女の話す言葉は僕の頭の中に様々の風景を描き出した。
抜ける様に青い空と海。
海岸沿いの海水浴場にそそり立つ巨岩。
その側で仰向けに時間を忘れて海面に浮き続けていたという彼女の姿。
日曜日の午後には港で、この島にこんなに大勢の人が居るのか?と思う位、老若男女が集まり来てバーボールに興じるという光景……などなど。
『ホントはね?
私は大学に行くことが決まってたの』と彼女は言った。年が明けてから急に就職しなきゃってなってここに来たのだと……。
島で商店を営んでいたけれど閉める事になったのだと。
何となくその周辺事情まで想像出来たけれど僕は何も言わなかった。
何より彼女がその事に全く頓着してなかったからだ。彼女は家計の事情を『当たり前として受け入れ』その後の流れのまんま従った事が窺えたのだった。