今にして思えば……自分であって自分ではないペルソナ100%で生きた時間だったからそれは当然だった。
問題はそれを、『僕が知らなかった・分からなかった』事だった。
剥がれ落ちない様に念入りに装着したペルソナ。
その切っ掛けとなったのは小学生の高学年の二年間を通して対峙しなければならなかった暴力教師と自分の尊厳をかけた戦いだった。
物心ついてからの十年間、父と母、次兄の三人がそれぞれ二回ずつかなり深刻な病で入院をした。
しかし僕は父母の愛情をしっかり感じて育ったからその点には何も問題はなかったと思う。
だが両親が僕に手を掛けられない事が僕に多大な自由を与えた。
想像、思考、行動など諸々の自由である。
何かを思考し行動する事に本音、本意以外を使う術など学ぶ機会も必要もなかった。
直感を下に思考する事は僕には当たり前だった。
相手が子供でも大人や老人であれ『直感は様々の本当』を見抜いたし僕を人間の心理や物事の核心へシンプルに導いたのだった。
五年生になった時、暴力教師が教壇から喋りかけた瞬間とても邪悪なものを瞬時に感じ取った。離れて遠くから彼を見ていた予感は確信になった。
彼は自分の想定するストーリーから外れた生徒に対して何かに付けて容赦なく暴力をふるった。
それは今の時代に問題となる体罰と言われるような生易しいものじゃなく間違いなく『本物の暴力』だった。
その瞬間彼の顔はひどく紅潮し、一切の理性的なモノが搔き消え彼は怒り百パーセントになって平常心を失うのだった。
いわゆる激昂状態に陥るのである。
時にはフルスイングのビンタと同時に足払い。生徒の身体は宙に浮いてから真横になって床に落ちる事が何度もあった。
彼は男子に限らず女子にも同様に手加減なく手を上げた。非力な女子はよろけて後頭部を黒板に痛打したものだった。
女の子の首が自分の意志によらずに真横に振れるビンタを見た時、凄まじい生理的嫌悪感が僕の全身を走った。
彼の怒りを鎮める人身御供は時に二人、多い時は五、六人が教壇の前に並ばされた。
野生児の様な僕も例外なく何度も彼の暴力の洗礼を受けた。
その時僕は本能的に彼の顔を見ないように床を見詰めていた。僕の顔が彼に対する凄まじい怒りを刻んでいるのが分かっていたからである。
彼の怒りに対する貢物は子供達の涙だった。
時には鼻血がプラスされてその役目を果たした。
僕が目をつむり俯いていたのは泣いている様にも見える筈だからである。
犠牲者が泣き出すと彼は憑き物が落ちた様にふと我に返る?そんな風情だった。
そして彼の怒りは引いていき怒鳴り声は止んだ。
誰が悪い?僕です、私です。
どう思う?先生は私の為を思って叩いて叱って下さいました……。
それは彼の怒りを解き無罪放免になる為の呪文だった。暴力の洗礼を受けた人間は誰もがその呪文を口にした。仲の良い上級生から申し送りされた通りに……。
罪の意識のせいなのか?
そこからは打って変わった彼の猫なで声が暫し続きそして暴力の儀式は終わりを告げるのだった。
コイツは自分の罪を知っている!とても後ろめたいんだ!……僕の直感は何時もそう呟いた。