サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……幸せになる方法?

少しマッコウ臭い宗教家?的な匂いがするけれど……『今の幸せ』に気付けない人は何時までも『幸せになる事はない』と思う様になった。

極論すれば『幸せ』って奴はソレを『感じる能力があるか?無いか?』によって決まるのだと……。
貧富とか順調とか不調なんぞで変質してしまう様なヤワイモノではないのである。

幸せは何時も自分と共にありずっと自分について回っている。不幸だ!と思う人は単にソレに気付けていないだけである!……。

明石家さんまの言うとおり……『生きてるだけで丸儲け』なのだと気付いた切っ掛けは……たかが1000メートル級の山と舐めてあわや遭難という一夜を寒さに震えながら過ごした事だった。

目の前に自分の手のひらをかざしても全く見えない闇。
風雨の中で断崖絶壁にへばり着いてヒタスラ夜明けを願う状況……。

ソレでも快適を求めては身体を動かしてしまう。その度に雨よけに被っていた木々の枝が乱れて余計に濡れる羽目に陥るという浅ましさである。

抵抗する力も無くなった夜半に……何か?背中をドンと叩かれた様な感覚があった。真っ暗な谷底の闇に様々のシーンが浮かんだ。美味しかったうどんや秋のさんま。入浴を促す嫁さんの言葉とか然り気無い日常の品、風景……。

今まで『何て幸せだったんだろう?』……言葉ではないけれどそんな感覚が全身に走った。おカネが入ったら『より幸せ』なのだと。良いことがあれば『より幸せ』になるだけ……。

生きてるだけで幸せだったのだ。十分過ぎる幸せなのだと理屈じゃなくそう『体感した』経験があった。

何度もカネに幸せを求めた。
より恵まれてない人を見つけ比較して自分の幸せを感じ様としたり……。
アホである。

今ある幸せを見つけられない人はずっと幸せを感じる事はない。
生きてれば時々の条件によっては難儀はある。
ソレもまた難儀を味わい表現できる自分の幸せなのである。

自分が生きる事は……何であれ兎に角『自分だけの実感』なのである。
自分しか感じれないこの『生きている感覚』こそが……自分だけのモノ……幸せそのもの……。

貧しければ腹も立つ。自分に対する陰口、悪口も腹が立つ。ソレも良いだろう?……だって人間だもの!って誰かも言ってる……。

生まれた時、その瞬間から在る『自分の幸せの舞台』で自分は腹を立て怒っているのだ……と、ソレさえ知っていれば大いに怒り、荒れ狂っても大丈夫です。

逆に……絶対に『不幸になる事は出来ない』からである。

幸せは何の努力も必要としない『自然に在る』ものであり……不幸は人間が小賢しく捏造したもの……極めて『人工的な思い込み』なのである。

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