サンチョパンサの憂鬱

これから羊達がみる夢を……

狂暴な羊達?というのは?……。
全体の六割を占める中間層の温厚で目立たない人達の塊をボリュームZONEという。
曲面によってはこの中間層が一番冷酷な面を発揮するのである。

この中間層 の人達の付き合い方は、凄く耳障りの良い会話と先回りしたイイ人同士の気遣いで出来ている。ま、簡単に言えば『予定調和』をお互いが作っていく。

何故?中間層の人達を注意深く観察するかと言えば……この中間層の動向が事の成否を決めるからである。良くも悪くも事の生殺与奪を決めるのはこの中間層なのである。

国の優劣もこの中間層の質によって決定される。80年代、アメリカの没落も中間ホワイトカラーの白人層が没落したことから始まったのである。

この国でもバブルの後に……中間ボリューム層の没落が予言され『中流無き下層を形成する』と言われた。教育関係など思わぬ業界においてさえイジメが頻発し気が付けばIT後進国と揶揄される凋落ぶりである。

中間層のメンタルの荒廃に対する何らかの光明を見出ださなければ歯止めがかからないと思う。

傷付いてるメンタルの彼等はニコヤカな笑顔を向けていた相手に、次の日はアカラサマな苛めを仕掛けたりもする。
自己不全感というのがあるけれど……。
この大人しい善人然とした人達に自己不全感を囲っている人が多いのである。

それは隠された敵意とか嫉妬を醸成する。イジメといわれる行為は、弱い自分も参加して良いという空気感が生じるとターゲットに向けて、狂暴な攻撃を開始するのである。

この中間層の人達の本性は自己不全感をベースにした狂暴性である。
その攻撃が容赦ないモノになるのは、日々積み重ねた自己不全感が如何に深いかを物語っている。

その中間層の攻撃性のメカニズムを知っていれば……行われる行動の凄まじさほど深い理由は無いのだと分かる。
むしろ彼等の深い哀しみからの心理の歪みだと同情の念さえ浮かぶ。

悲しいけれど人間の役割は、力関係によってそのような中間層、少数のトップ層と最下層とに割り振りされるのだとか……。

『弱い犬ほどよく吠える』……例えば悪いが、彼等は自分の不全感に何時も怯えている。
その裏返しが攻撃性と嫉妬心と復讐心理となって機会を用意周到に選んで爆発させるのである……。

自分の心の痛みを自分で受け入れない限りその狂暴性は温存される。
そんな醜さを含めた全ての今の自分……それを『これが自分だ!』との立場を取れた時……自己認知、自己肯定の道が開けるのである……。

人は厄介なモノだね?……。

人を苛めて自ら傷付き、……人に苛められてまた傷付いている……。
自分の出来事の原因を他者に求める事によってこの悲しい狂暴性は生まれ、それは終わることなく維持されるのである。

自分を受け入れるというのは……惨めで都合の悪い事も原因は自分にありと認める事から始まる……。

不全感というのは、上手く運ばないから生じるんじゃなく、その事実を自分のせいなのだと受け入れ惨めな自分を許さない事によって発生しているのである。

不完全はその空白地帯を楽しみ変えていく余地があるという事。それ一つ解れば自分の全てが未来を向いていくのである……。

悲しいけれど……唯一有効な手だてが『酷い困窮』以外に思い付かない現状……貧すれば貪すとならぬ様に……窮すれば通ず!となるように願いながら日々を過ごしたいと思う……。
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