サンチョパンサの憂鬱

自己中の川を渡る

自己中の川を渡ると下品の国があった。

絢爛豪華に囲まれて暮らすのが上品という訳じゃなく、判断の底に理性が存在してることを言うんだと思う。

日本人は自分に正直になり過ぎた?……自己中心的を踏み越えて下品になった?との指摘を……一時的な瞬間欲求に弱くなったと翻訳したらとても分かりやすいと思った。

そういう脳の反応は『後先がない振る舞い』となって暴れる。
したいからした!欲しいから手にする!……その時に演者の理性って奴はどうして?なりをひそめたのか?……それは取ったモン勝ちの世相のなせる業なのかもね?……。

理性的な人間は損をするだけ!バカを見るぞ!なる価値判断が優先する社会なのだ!……と納得するしかない。

上品と下品の違いは物事を一元的に刹那的に見るか?副次的な影響と時間の流れの中で変遷を想像し思考できるか?だろう。

下品な行為は必ず『やっちまったなぁ!』的な後の祭り状態を導く。
『ソコまで』思考してないんだから当たり前の事だ。

『殺すつもりはなかった殺人』や『ソコまで思い詰めてるとは思わなかったいじめ』とか『こんな騒動になるとは思わなかったハレンチ』等々。

そうしておいて……下品は罪の無い顔してイケシャアと平然と生きようとする。ソコに繰り返される下品の哀しさがある。

意識に下品というカテゴリーがなく、ソコに自分を当てはめられない悲劇だ。

そうなると『下品の常套手段は居直り』だけしかない。
結果的に何でもかんでも『ヤリ得』としか翻訳出来ない判断力達はアンサンブルとなって狂想曲を奏で始める様になる流れ……。

下品の常套句……『皆さん演ってるじゃないか!』という数の論理で逃げを打つ。

しかし如何に皆が演ってようと……下品は下品なのである。
ここ三十年……ボリュームゾーンは、皆が演ってるという理由で風を読み……いつの間にか下品まで肯定しちゃったのである。

『イイじゃないの?幸せならば……』……確かにそうだよね?幸せならば……ね?
その幸せが未来にありますか?
東大出て官僚になり、属してる省庁の外郭団体作りに血道を上げる。

コロナ禍となれば……カネになるぞ!とトンネル会社使って税金泥棒にテンション上げる。上から下まで当たり前となったこの下品 ……構築のない食い潰しオンリー。松食い虫の様に松(税金・富)を食い潰した挙げ句に死滅しましたとさ?……となるは自明の理。

佐藤優氏はソコを『知性の側の働き掛け』に期待すると述べている。
僕は……そうは思わない。下品であるという観念を失った人間、バレなきゃ良い!という人間に知性側のアプローチはとても無力だ。彼等が思考を取り戻すのは『飢餓の恐怖』以外に薬はないと思う。

自分の下品の起承転結が……結論まで進み『飢餓』となった時……に期待するということである。それは金品の飢餓か?文化的な飢餓か?
分からないけれど……。

人間の常識派はただ下品に翻弄されるんじゃなくその構図を『知っていて泰然自若を維持する』しかない!……それが最善の策だと僕は……思うのである。

単純な怒りも独り善がりな正論も彼等に対して全く無力だ。
彼等の下品な行状の起承転結の未来の結論の位置から逆算して彼等の末路をじっと待つこと。それが最善の最速の対処法なのだということである……。
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