サンチョパンサの憂鬱

NOを言っても良いんじゃない?

少し若手の認知度が上がると『映画の主演』となる運び……新鮮な内に、それを使って『カネにする』のは資本主義だから仕方ないけれど……。

筋立ては奇想天外というよりは荒唐無稽な設定が定番……捏ねくり回した設定で何かを作っても面白い!とはならないんだけどなぁ……。

『然り気無い日常』から日常的ではない運びに入る時、ドキドキが始まるんだけど、散々弄った設定が……それを邪魔する運び……。

それを映画と呼び舞台挨拶で『話題を作る』……テレビがそれを切り売りし、
ヒット?へ繋げる手法……。
そこまでの運びがステレオタイプとなっており、常套手段と化している。

面白い!というのは変わっている!のと同義ではないのにね……。
変哲のないアリキタリなものが……アリキタリじゃなくなっていく運びにストーリーの醍醐味はある。

『励まされた!』、『勇気貰った!』って言葉が安易に使われ独り歩きしてるけれど……頑張れ大丈夫!的な歌は絶対人を励まさない。

ドンドン白けて行くんだけど、提供する側にも、無理から励まされる聴衆側にも、安易な予定調和が用意されていてその『設定通りに』、お互いの『約束事が履行されていく運び』は何処か、学芸会を彷彿させるのである。

そうやって単純化と幼稚化に拍車が掛かっていく……。
盛り上がってくれるのはそれで良いんだけど……。
一斉にジャンプが始まり『ノッテ行く』コンサート風景……には如何ともし難い違和感がある……。

ロックでしょ?って思ったり、その一連の流れに『シキタリ・習わし』なんてものが避けがたく漂って来たりして?……。

簡単に完成を見る『感動と元気』って奴には……『同調圧力』という末期症状的な危うさがある事に…… 誰もが気付きながら『誰もやめられない』……その異常な流れは当然日常を侵食している。

笑いも、感動も、元気も、勇気も……気付けばその質が多発・常套手段化し随分と劣化している。

面白くないモノを面白くないと言えない大人って……何処か気味が悪いのである。
大人達はNO一つ言えなくなったんだろうね?
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