サンチョパンサの憂鬱

5  選択された普通と原初的な普通……(3)

どれだけペルソナを被ろうと僕の敵意、反感、嫌悪感は暴力教師に伝わった。

何で?そこまで殴るのか?
そんな時知らず知らず僕は首を振ったり傾げたりを繰り返していたらしい。
僕が看過出来ない『異質』を彼に感じた様に彼もまた僕に異質な違和感を感知していた。

五年生の夏……彼の用意周到な僕に対するリンチはホームルーム終了と共に始まった。最近このクラスで問題だと思う人間、事柄について発表しなさいと彼は言った。

取るに足らない話ばかりを何人かが発表する中、彼は痺れを切らしたように昨日の事について話しなさい!と水を向ける。

来たな!と思った。
その前日彼は終日出張した。
これ幸いに僕等は課題を終えたらお構い無しに悪ふざけをして騒いだ。
彼の意を汲んだ何人かがそれを報告した。

何人か前に出て殴られることになる?
皆にそんな緊張が走ったがその日の彼は即座に『儀式』は行わなかった。
誰が首謀者か?……当然僕の名前が出る。
それでも彼は僕を前に呼ばなかった。

一時限目が終わる頃には同級生達には彼に捧げる生贄は僕だ!というコンセンサスが出来ていた。
いわゆる吊し上げという奴である。えっ?そんな事まで言っちゃうんだ?と思いつつ二時限目、三時限目と時間は過ぎて行った。

こいつ等?良くもまあ暴力教師の尻馬に乗って喋るもんだなぁ……と驚いた。僕は一切泣かなかった。発言している奴の顔をジックリ観察し続けていた。

その時、顔の美醜も性差も関係なく皆同じ醜悪そのものの表情が浮かんでいる事に気付いた。
近所の婆さん連中が欠席裁判に夢中になっている時の顔そのものだった。

恐らく僕は能面の様に無表情だったと思う。
強い後ろ盾を良いことに喋り過ぎた事に対して『恥の表情』を浮かべた奴が二、三人いただけだった。
後の連中は熱に浮かされた様な興奮を湛えていた。

『お前、どう思うんだ』……真っ赤な顔して暴力教師が水を向ける。
『迷惑かけてスミマセンでした!』
僕は発言者に向かって同じセリフで応え続けた。

能面の様な無表情の顔で同じセリフを続ける僕の異常に真っ先に恐怖を抱いたのは暴力教師だった。自分が始めておいて独りの人間をコレだけ吊し上げた罪に彼は既に怯んでいた。

やっと彼は僕を前に呼び出した。
恒例のビンタは一発のみ。力無かった。
『迷惑かけてスミマセンでした!』とマジマジと顔を見ながら僕はセリフを棒読みした。
それは挑発だった。

何発でも来い!と覚悟を決めた人間は強い。限りなく強い……。それだけか?言うことは?
『迷惑かけてスミマセンでした!』と応えた。

死んでも例の呪文は唱えない!
やりたいだけ殴ればいいよ……と僕は彼の顔を無表情で見つめ続けた。心の芯が一切妥協するな!と僕に命じ続けていた。

僕の直感による真意……。
それが意に添わないとなると激情に任せて暴力によってしか自分を御せない彼をそのまんま映し出したんだと思う。
その時の彼の怯えたような逡巡を僕は鮮明に受信していた……。

その後も教室の支配者は諦めが悪かった。何かに付けて僕の懐柔を試みて来た。
僕は図書館で読んだマハトマ・ガンジーの伝記を参考に非抵抗・心理的不服従を彼に対して徹底的に実行した。

絶対に突け込まれない様に落ち度を作らず、『ハイ・イイエ』だけで会話した。
彼は二週間で音を上げた。
それ以降彼は僕を殴ることはなかったのである。

級友達は演り過ぎた自らの告発に怯えていた。
僕は感情を抑え彼等に対して報復など一切試みることはしなかった。
その後、彼等は安堵し何事も無かったように今までと変わらぬ笑顔を向けてきた。

僕は慎重に細心の注意を払って今までと同じ様ににこやかに対応し続けた。
僕の心に闇の様なエリアを開拓したのは暴力教師じゃなかった。

自分では何も主張をしない。主張も持たない・持てない人間。
何処にでもいる様な『普通の人間達』の心。
心を持たない『心無い連中』の『無邪気な悪意』こそが悪魔を支える担い手なのだと知ったことだった。

吹く風によって白にも黒にも一瞬にして変わる『善人然とした多数の人間達』……その数の暴力の恐怖……それが僕に大変化を与えたのだった。
僕は誰にも見破られないペルソナを被りそれから以降の時間を過ごす様になったのだった。

僕は……世の中の多数を占める無邪気な善人達に恐怖を抱く様になった。 

救いは支配者に命じられ渋々告発をした二、三人が僕に見せた『恥の表情』だった。
それが僕の心を完全に折られる事から救ってくれたんだと思う……。

彼らのお陰で辛うじて僕は自分の心を失わずに済んだのである。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「リアルなフィクション」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事