サンチョパンサの憂鬱

6 選択された普通と原初的な普通……(4)

一旦仕込んだ酷い自己嫌悪は徐々に自己肯定感を蝕んでいく。

高校を出て大学に入った頃には自分自身に掲げたペルソナのコンセプトは完全に空回りを始めていた。

出来る奴?……何が?……変わった奴?……何処が?……自己効用感を得る為のステージはフリーとなり授業やテストの成績なんて話題にも登らない。

田舎育ちの稚拙なギターなんて何処で弾く?
誰が聴く?
兎に角、フレンドリーで面白いことを言う奴?
日に日に稼ぐ効用感は軽くなりアリキタリ?となっていった。

どういう女と寝るか?…。
女の尻を追い掛けるだけ……もうそれしか効用感を得る方法はなかった。次の日には相手の顔さえぼやけて思い出せもしない。
 
作為の無いシンプルな彼女との情感の交流は他の女とのセックスとはまったく異質のモノだった。
肉体関係そのものは僕達の間で大きなウエイトを占めなかった……。

彼女だけが僕のペルソナじゃなく、その頃には完全にシャドウとなって深く埋もれた僕の本質的な希望への飢餓感を正確に受信していたんだと思う……。

出会った瞬間から社会人となっても彼女の態度は何一つ変わらなかった。
その頃は自分がどうして彼女に合いたくなるのか分からなかった。

恐らく彼女と在る時は『不安が一切なかった』からだと思う。
気構える必要がない時間を彼女と過ごしていると安定の時間の中にペルソナが急かし始めて来るのだった。

習性として染み付いてしまった効用感は何一つ必要がないからである。
そんな具合で僕は一向に落ち着きを得られないまま焦り?ばかり大きくなった。

周囲の人間達は時間と共に功利的になり、オッサン、オバハンの様な事を口にし始めた。 
でも何故か?僕には就職活動に向けてエネルギーが湧かなかった。

『皆と違う!』という効用感稼ぎは何時しか『皆と同じに進まなきゃ?』という風に著しくトーンダウンしてしまった。

僕が屁理屈ばかりのペルソナで武装し、三角になれば三角、四角になれば四角になって付き合いながらも彼女はずっとシャドウとなって隠れてしまった『僕の希望、渇望』を受信し自分のスクリーンに映してくれていたんだと思う……。

社会人になると……僕の中でひた隠しにされ続けたシャドウはペルソナに抵抗し僕の表面に出たがる様になった。そうして起こった心の混乱。

その湿度の高いカオスは自分が今の職業環境の中で今迄の心理構造を以て人生を見通すことなど出来ないと僕に警告し続けた。
書けばそういう説明になるけれど……。

リアルタイムでは大きく深い闇に覆われて揺れ動く大不安の中で、久し振りに感じる『実感を伴う予感』として変化すべき時と僕は受信した。
だから僕は混乱したのだった。

一方で、未だに僕は善人達に剝き身の自分を晒す恐怖に怯えていた。
そして僕は混乱している中で、彼女に対して唯一誠意ある決定をした。彼女を自由にすること。
無為自然の品格を湛える彼女を彼女に相応しい状況に戻すことだった。

自分がこれから手に入れなければならない『自分と言える普通』を得るのに膨大な時間を必要とすることは確かだったから……。

僕が暴力教師の本質を瞬間的に受信した様に……他の人が感知出来ない僕のホントの喜怒哀楽を彼女は寸分違わず『知っていた』……。

だから最後に会った時、彼女は初めて泣いた。

まだ僕が殆ど言葉を発していないのに……喫茶店の椅子に腰を下ろして何も言わずに俯いたまま彼女は静かに涙をこぼし続けた……。

彼女が僕にとって掛替えのない奇跡的に出会った人間だったとハッキリ認識したのは随分後になって仕事で独立してからだった。

彼女が全霊をかけて僕と向き合い続けてくれたことが僕の肯定感を支えてくれた事。
間抜けなことに膨大な時間とエネルギーを費やしてやっとそれに気付くことが出来たのである。
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