漫画家・随筆家の山崎マリさんが解説していた。そのシリーズの仕上げなのか?俳優の北村一輝とイタリアを旅しながら各地の文化を紹介する番組も観た。
その旅の一つ、フィレンツェが彼女の考え方、表現の基礎を作ってくれた都市なのだと……。
カネもなく彷徨し、迷い込んだ一隅……ま、中に入れと言われ、『腹が減っている』というと奥にパスタがあるから茹でて食えとなった。
ソコは様々の芸術家が集まって芸術を論じていた。『お前は何をやっている?』…、『絵を描いている…』というと、自分が何者かも知らない、考えてもいない、本も読まず何一つ学問の研究もしていないお前が……一体全体?何を描くというのか?……と言われたという……。
彼女が芸術を志向し自己表現に目覚めた切っ掛けとなった……。
そのエピソードは何か?深く考えさせられるものだった。
彼女は……イタリアの事を、『とても格好良いお爺さん』だと評していた。
紀元前から長い時間と気が遠くなる様な富を惜しげもなく文化芸術に注ぎ込んで生き抜いてきたイタリア。
一人の人間が自分を考え抜き文学を読み耽りまたソレを自分にフィードバックする。芸術に対するアプローチは様々な研究を積み重ね初めて『表現のコンセプトを掴める』……エセではない地力をもった表現?そんな意味合いだと思った。
ハリボテの上っ面じゃない文化の力……。
紀元前の建築物が街のソコココに今と共存している国……イタリア……『格好良いお爺さん』である。
近年……世界中から日本の伝統とか表現に惹きつけられてやってくる人達。
例えば……彼等は僕達が知ろうともしない堺の刃物やその研ぎの技術を学びにやって来る。
コレもまた気が遠くなる様な時間と繰り返し研鑽され続けた日本の技術・文化の力?なのだろう?
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カミネ大聖堂に描かれたマサッチオの作『アダムとイブの楽園追放』……初めて人間の男女が感情を露にした絵画……。
それまで……キリスト教の観念で人間そのものを描写するなんて考えられない『縛り』があった時代に『初めてソレを踏み越えた覚悟と勇気』の凄さ……。(山崎氏談)
僕達は自己表現……とよく口にする。
『表現』とはその領域で自分と向き合い覚悟をもって突破するコト……なのだろう……。
17歳で高校中退しヨーローッパへ留学。
ソレを勧めた母親、受けて立った彼女の覚悟。
以来……彼女はずっと『自分と勝負し続けて生きて来た』のだと思った……。