江戸から明治への過渡期の時代。1853年ペリー来航、1858年辺りに安政の大獄…無理から幕府が思考もシステムも変えないまんま時代に適合しようとした。
1875年遂に観念した徳川慶喜の大政奉還……ソコからは一気に明治への激流が現実になった。
丁度今のニッポンが世界の変化にやっと気付き、江戸幕府の如き自民党の新首相、岸田さんが『新しい資本主義』、『分配』等と言及したから触発された?ってそんな哀しい動機じゃない……。
良かれ悪しかれ……斎藤氏の『人新世の資本論』は、平成ボケしてた日本国民に大きなモチベーションを与えた。彼は令和のシーボルト?ペリーさん?吉田松陰?……ってか?
時代の過渡期には……『精神性』って奴の重要性がとても大きくなるのかも知れない。
表面的にはデジタルとか?量子コンピュータとか?取り沙汰される中で……『自己肯定感』とか?『エンパシー』とか?に嫌でも一日何回かはこんなワードに出っ食わす。
マイナスのメンタルワードは『炎上』、『ルサンチマン』、『シャーデンフロイデ』などなど…。
んで……僕はハタ!と思い至った。
一人の『個の善意』とか?『個の悪意』とか?
が良くも悪くも大きな影響力を持つ様になってるぞぉーと。
スウェーデンのイチ少女グレタ・トゥーンベリの『正義』は当初…狂気半分、からかい半分で世界から遇された。今彼女の一挙手一投足は世界に対して無視できない大きな影響力を発揮し始めている……。
昔も過渡期には先取的にメンタルを進化させた人も居たけれど……兎に角過去の踏襲する未来しか認めない頑迷なメンタルの人達も多かった。
最近気付いたのは……頑迷に『今迄にしがみ付く人達』はメンタル?というより多分に感情的であることだ……。
自分に『理解できない(したくない)こと』には理屈抜きに『否定ありき』で入る。
感情を動員しているので『理は通らない』というより話自体を聞く気が無い。
否定の感情移入はやがて『否定的な態度から執着の領域』に至る。
ショックだったのは……頑迷と言えば老人か?というと全く同比率で?(むしろ多い位)若い人達に頑迷派が棲息していることに気付いた時だった。
頑迷に自分のテリトリーに籠もり、その外ではアリキタリの便宜的会話の予定調和だけで対応しようとするのである。ソレはもうアカラサマに。
炎上に夢中なのは勿論このタイプ。しかし能動的頑迷執着派の彼等はまだ分かり易く救いがある。
善良そのものと見える『普通の若い人』がどうしてもその考え方では?アルバイトさえ務まらないよ?ってな注意を与えた時……瞬時に全ての感情が顔から失せて…アイスドールとなった。あとは沈黙あるのみの無味無臭の空気がヒリヒリしたのを覚えている…。
彼等、彼女らの小テリトリー自己完結の中も?純粋なメンタル論より『感情的同調出来る』事が基準となってる場合が圧倒的。ソレは仲間内においおいハズレる事を許さない『執着』を呼ぶ。
善良な若い人達は確かに外向きには『同調圧力』に柔順に従う。ま、若い人に限らずニッポン多数派の傾向だけど……。
一方その個々人の心の奥底には感情的に導かれた他者に対する『否定的悪意・執着』に支配されている状態が窺えることこそ深刻なんだと思う。
例えば一見上手くいってる様に見える家族、カップルでさえ心の奥底では孤立状態ってパターンは殊の外多いのである。
だから逆に正面からぶつかる喧嘩には至らない……。ま、上手く行ってる風の演技性の組み合わせである。
しかし明るい兆しは確かにある……。
少数の『真剣・本気の善意』のメンタルの持ち主達が『現実に行動を開始』し始めてる事……。
『よく演るよ?』……という冷やかな視線を押し返す『彼等の本気』が近い未来に……時代を一新してしまうだろう?……頻りにそんな予感がする昨今の空気感である……。