レベル悪く漫然と過ごした人間のシンプルは空っぽだ。何もないからシンプルである。
一方、達人の域のシンプルは何百何千という事象から得た材料が因数分解し尽くされ、それらに共通の骨格部分の因数でまとめ上げられた『原理・原則』で出来ている。
目の前の事柄に対して、両者はどちらもシンプルに対応する。
上手く運んでいる事柄に関しては両者の対応はそんなに変わる事はない。
上手く『運んでいる』訳だから……。
これはマズイぞ!……という非常にもつれた問題の時……達人は対応に一番必要な因数を素早く見付け出しそれをシンプルに適応する。そして大抵の場合、問題は速やかに解決を見る。
対して凡庸なシンプル君はといえば、上手く行かない状態に慌てふためく。
こんな時、彼等が決まってやるのは『感情を動員』する。事だ……。
心の平静を得る為に『犯人探し』を始めるのである。しかし、自分をその原因の犯人に指命する事は絶対にない。
そうやって彼等は事柄を複雑怪奇なモノにしていくのである。
各人の感情ばかりが複雑に絡んでその物事を分かり難くしていくのである。
痛みを伴う学びをしていないという事はとても愚かで哀しいモノがある。
どんな事情であれ、物事が上手く行かない時……自分をその原因の犯人に指命する人でしか問題解決能力を発揮出来ないのである。
そんな時……『感情』はその人間の精神の習熟度合いを如実に物語るのである……。
物事が上手く行くか?行かないか?そんな正念場で、空っぽシンプル君は、大切な意味に気付かず『如何に自分には罪がないか?』ばかりに夢中になる……。
シンプルで分かり易い『利己主義』が
世の中の大切な問題を何時も複雑怪奇なモノに仕立て上げていくのである。
『歴史的な絡みを含めてPCR検査が捗らなかった?』なる珍答を臆面もなく喋る責任者。
現場が混乱した?……そりゃ非常時に現場は混乱する。それとやるべき業務を疎かにして良いことが『何の疑問なくイコールする』シンプルさである。
警察や教育委員会の『やるべきは演ったのです!』、『結果としてその人は死にました?』……それシンプルにOKとイコールにしてるよね?
結果を問われない仕事に長年馴染み……『問題はなかった!』なるシンプルな結論を導く公的機関の方々のこの芸風……最早伝統芸能の域にある……と思った。