サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……『待ちの美学』再評価……

いち早く、簡単に、直ぐ届く。直ぐ叶う。
それは疑いなくヨシ!!とされる価値観としてここ数十年持て囃されて来た。

かなり昔の明治とか大正時代の農村の恋愛の『質的濃度』に付いて書いた事があった。
会えるのは何ヶ月に一度だったかも知れない。
何より相手の意思確認にも手間暇を要しただろう?

一度の会話は……今のスマホの一回の通話に込める『思い』の何百倍?熱く濃かった事だろうか?……と。

可視化出来ない相手に対する思いは……心の中で深く発酵し深まったに違いない。微に入り細に入り巡る相手への思いは……思慮を深め分別を要求されただろう……。

また……スーツ一つ作るのに生地を選びに店を訪れ、採寸。それから何日もおいて仮縫い。試着の上本縫い……。

やっと店を訪れ手にした新品のスーツには出来上がる迄、待つ時間の中でアレコレ巡らせた楽しみとか?着合わせとかネクタイなどなどのコーディネートなど発注者の沢山の思いが既に吹き込まれているのである。

待つ時間が……『愛着を醸成する準備』となったであろうスロウライフ……。
待つ時間は形而下では『無駄の極致』として『時間潰し』、『暇つぶし』として流れ去るけれど……。

『待つこと』はストレス・無駄として認定され…『即物』、『即オイシイ』、『即届く』ファースト化に供給者もユーザーも血道を上げる。

そうやって……何だか人間は自己肯定感を失い、苛立ち、怒りっぽくなった……。
『質って奴』は目に見えない。耳に届かず何より確証を得られない。

でも……人間が大脳の前頭葉を発達させて来たのだから『質・形而上的価値』ってのは人間に…必要不可欠という必然なのである。

今!!とはやる気持ちを抑制するのは、まだ見ぬ『未来の目標の完成度』のモチベーションしかない。

次々と演ることや興味が移りゆく反応を『猿的頭脳』と心理学は定義していると心理学の本にあった。

僕達は…猿の一種だけど……完全な猿じゃない。
ソレが…『モノゴトの質』を考え実現する迄『待つという未来感』を抱ける所なんだと思うのである……。

勿論『待つに値する未来の目標』はウーバーイーツは届けてくれないから……自分で用意しなきゃならないけれど……ね?
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