サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……何時もの?では現状維持しないだろう

人も組織もそれなりに演ってれば何となく『らしくもなる』…ものだ。

何を見ても聞いても腹を…立てていた。
下腹の底に煮え滾るハングリー。自他に対して止め処なく溢れる圧倒的に『足りない思い』である。

しかし……何時しか『それなりにらしくなった状態』がハングリーを宥(なだ)めスカシて薄めていく。
スッカリ馴染んだ馴染みのカフェの様に……『何時もの?』、『ウン!何時もの…』というオーダースタイル。

『自他の何時もの奴等』が感情の起伏を削り均(なら)し、『今』に自分を飼い慣らしていく。

失われていく『足りない思い』に代わってメンタルは『安息』と仲良しになり、やがて気付かぬ間に『安住』へと変質を遂げてしまう。

かつては『失敗の領域』に位置付けていたことどもが『たまたまの出来事』となり日常となっていく。 
何時しか……何かと引き換えの要求を言外に秘めた他人の笑顔さえも不快ではなくなっていく……。

外に向けたギラ付いた視線が……何時も返す刀となって自分を斬りつけ苛んでくれたものだった。

例え他者が自分を認めようと自分が自分を許せないというレベルの『自己基準』はハングリーとかの大袈裟なモノじゃなく『自分の当たり前』だった筈……。

都市近郊にローン付きで買った、戸建て?、マンション?が『未来の計算』を予約する。
それ一つで『自分をヒトカドとする』扱いが世の中から訪れる。

知らず知らずの間に……『現状を失う恐怖』が人を絡め取っていく。
心のなかで……現状を守る事が『何もしない事』と同時通訳する様になる。

臆病者となったんじゃなく『大人になったんだ!』と誰かに聞かれもしない内にそんなエクスキューズが心の中でリフレインを開始する。
ふと我に帰ると……退屈を平和と訳し、他人の視線が自分の無事をジャッジする日常が眼前を覆い尽くしてる……。

胸奥を抉られる様な痛みで見ていた筈のホームレスの横を通り過ぎる。
彼に傍観の一瞥さえ向けなくなった自分がそこに居る……。

心の中の空腹感……それは何時も自分のプライドが決める。 
目に見えることがくれるモノは往々にして心の視力を奪うのかも知れないね?

形而下の世界は足るを知ることが肝要…。 
形而上の世界は『満たされないことこそが肝要』ということだろうか?
広い世界に『困っている人が自分だけ?』そんな日常ってきっと生き地獄だからである……。

何が足りて?何が足りないのか?……自分の痛みの向こうに他者の痛みを感じる時……人は無限の勇気と力を授かるんだと思う……。 

あなたは?満腹したブタになる恐怖と今戦っていますか?
僕は日々……空腹のブタになる恐怖と戦っています……。



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