サンチョパンサの憂鬱

『安定教』のご本尊は『退屈様』?

セオリーとか定石は……自信がない時にはとても頼りになる様な気がする。
統計、確率、分類……『様々なデータ』をせっせと集めれば自分を理論武装させ強化出来た気にもなる。

フランス文学の最高のヒロイン、ボヴァリー夫人が示唆に富んでいるのは『生きてる女の不条理』を現実に認知して受け入れ明示したからだろう。

旦那のムッシュボヴァリーに落ち度はあるのか?……何一つ自己主張もなく、医者としてせっせと稼ぎ夫人に好きな様に振る舞われる善人である。

今の日本の婚活女達の価値観から見ればほぼ理想なんじゃね?……と思うけど。
夫人は人生と命を掛け行動で彼に『ノン!』を突き付け表現し続けたのは何故だろう。

世の中のママや先生達が大好きな『安定した人生』というのはこの国の人間の理想の幸福論とまで崇め立てられているかの様だ……。
この現代日本の幸福マニュアルってムッシュボヴァリー(旦那)に酷似してるとは思わないか?

でもね……人生の幸福論は人それぞれ違うのだ!と思うのである。
人の幸福を定説とか定理とか法則なんぞで幾ら規定、想定してみても……人の悩みが一人一人違う様に……何を幸せと感じるか?もまた全く違うのである。

今のこの国の婚活女達ならばムッシュボヴァリーは、ほぼ理想に近い 旦那でありあの様な文学は生まれないだろうなぁと思う……。
婚活女達の理想が本当に巷で喧伝されるその様なものならば……。

旦那として経済力があり、ほぼ女の言いなりなんて彼女たちの理想の筈なんだけど……そんな男に対して手酷い裏切りの浮気を繰り返し離婚に至る女が後を絶たないのは……人の本当の心が感じる幸福は結婚前に『彼女達が安易に挙げる単純な条件』なんぞでは満たされない事を証明している。

特徴も自己表現意欲もない女は成る程、それでも辛うじて幸せ を感じられるかも知れない。
しかし、大抵の女は悪魔が誘う人生最悪の条件……『退屈』を思い知る事になるだろう事は容易に想像出来る。

世の中のママやガッコのセンセ達が教える『幸せの安定教』は幸せのセオリーではない。
彼等は……人生を『悩まず』、『経済的に肉体的に楽して』、その代わり退屈は我慢して徹底的にあらゆる意味で『悩む事を横着して生きる方法論』を刷り込んでいるだけなのである。

人は何時か必ず死ぬ事を考えれば……不完全燃焼でしかし経済的には安定して人生の大半を消化してしまった退屈しかない老婦人と……無難の退屈にやり切れなくなり……道ならぬ恋に走って結婚生活が破綻してしまい……結果晩年を経済的不遇に生きる老婦人とを比較してみると……『人間の情念の爆発』を実感して死ねる後者の女が人間としては実り多い人生かも知れないのである。

自分の幸せは……自分の本心が喜ぶモノなのだと言いたかった。
人の言うこと、ママやセンセの言うことを頼り過ぎて、恐れすぎて……若くして自分の本心を見失ってしまってはいませんか?……と。

今生きているその人生……『自分でなければならない意味』がありますか?
人それぞれ違う本心……その本心こそ人が人を驚かせワクワクさせる唯一のモノなんである。
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