サンチョパンサの憂鬱

登山ルートは一つだけじゃないよ?

既定路線の学校から……フェードアウトしてイレギュラーの方法で学んだり学ばなかったりしてる少年達。

彼等を……『まともな神経をしているからだ』という理由を示す人達が結構いる。僕もどちらかと言えばこれに近い感想を持っている。

イジメとかの具体的な問題を抱えた場合は勿論『何となく』の漠然とした感覚で不登校を決定した少年達の存在……。

相対的に見ると……学校を拒絶した少年達という現象と少年達を拒絶した学校側という二面がある。『従来・今まで』を頼る学校と『これから』を模索する少年達との双方向の価値観のせめぎ合いの結果である。

フェードアウトせず既存の路線を進む学生達にしても生きるマニュアルの『必須の手続き』として学生をこなしている?といった風情が顕著に見える。
学ぶのではなくこなしている結果、彼等はとても無学力・無教養である。

大学生のかなりの人達が分数が出来ないといわれて久しい。必須プロセスとして年次をこなすのが目的だからそれは当然の結果なのだろう。学校は本来の『学びという商品』を子供達に届ける力を失いつつある事は確かだろう。

学校に限らず『形骸化』が様々な分野で進んだ。
本来の目的を忘れ純粋に形骸化された結果のみを羅列して生きていく傾向が露になり始めた。

『大学終了!』、『検査終了!』、『ヒアリング終了!』……目的を忘れた手段のみが価値を発揮する歪な世の中の運びに抑え切れない疑問の衝動……その末の選択が不登校……なのかも知れない。

何故?分数の割り算は分子と分母をひっくり返してかけ算するの?……『そうするモンだから!』とかつては老人達の専売特許だった台詞が間髪入れずに彼等から返ってくる。

黙って手続きに応じておけば良い!
という学校の不変の態度は……若い老人を生産している様にも見えて来るのである……。

若くして老人の様な思考を受け入れ続けられる学生こそまともな神経じゃない?かも。
皆がそうするモンだからと多数派は形成される……しかし多数がイコール必ずしも正しい訳じゃないかも知れない?……。


縄文、弥生の時代、それ以前を含めて人は、狩人であり、農業人ともなり、家を作る大工でもあった。その内適性のある奴がそれを専門に担当し始めたんだと思う……。

何が言いたいか?……世の仕事の若者に与える選択肢を今の教育は脳ミソが硬直化しうんと狭めている様な気がしてならない。

やたら長くなった人生に、ジックリ向き合う為に一旦ドロップアウトは大いにアリ!の選択肢だろうと思う……。
学歴という表ルートだけじゃなく、体験独学コースからの裏ルートでマエストロのレベルを目指すもアリ!なのである。

十代の少年少女に『自分を信じろ!』と言ったって無理である。その人間がコレだ!に出会うまでせっつかずに『待つ』姿勢で見守る大人でありたいと思う……。

下手に促成栽培で見た目『大人らしく』なったって……長い人生駆け抜ける自力がない限り何時?出社拒否症になるやも知れない。
ジックリ、基礎体力を付けさせて上げたいと思うのである。
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