サンチョパンサの憂鬱

犬達にも各々特性がある様に……

無知と無気力と無節操イコール無謀な人生となるんだけど……。
テレビでぬるま湯君と称してそんな人生に身を置いてる若者達が出てた。

その番組を観ててYouTubeで見た犬の保護活動の動画を思い出した。

繋がれたまま放置されていたり、エサがなくて石を食べてたり皮膚病で毛は抜け落ちうつむき加減で時折、上目遣いで力の無い視線でチラ見する。

その犬達見たいだな?と思った。

若者達の身体全体から漂う沈滞感。
輪郭が崩れ去った様な着崩れた様子。
視線は泳ぐようにして定まらず、時折拗ねと負け犬根性から居直りにすらならない弱々しい無気力な言葉を吐くのである。

屁理屈とすら受け止められない彼等の言葉や態度が痛々しく殺伐とした気分に襲われた。

野犬となって彷徨する犬が、偶然保護されユックリしたリズムで介護、治療を受け暖かい寝床と食事を与えられると……同じ犬とは思えない復活を遂げていく。
しっかりした輪郭となり何より目が甦って希望の光が宿る。

復活した犬に対して人が興味を持ちその犬に惹かれる様に近寄っていく。犬もまた恐れる事なくその人に心を開き近寄っていくのである。

犬と人間を同列に語って良いのか?は分からない。
しかし、自分を諦め、無気力となり人から遠ざかっていく心のメカニズムは同じじゃないか?とふと思った。

犬も人もそんな無気力となるキーワードは『人間に対する恐怖と絶望』なんじゃないか?……と思う。
成長の過程の何処かで他者によって酷く裏切られたり絶望を抱え込む様な仕打ちを受けているのだと思う。

彼等が自分勝手で常識のない幼児染みた自己正当化ばかりするフテブテしい人間と見るのは間違いだと感じた。

『人によって酷く傷付けられた経験』から……彼等が恐怖の余りに編み出した方法が、人を近付けない、また出会った人が自分から遠ざかってくれる為の態度なんだと……そんな気がした。

野を彷徨くそんな卑屈な犬が怖い様に……ぬるま湯人間の若い彼らに対面する僕達大人もまた彼等が怖いのである。怖いから揶揄し罵倒しそして無視に至るのだと思う……。

犬は自分を怖がる人間には牙を向ける。
ぬるま湯君達も自分に対して嫌悪感と恐怖感を根底に持つ大人に面すると理屈抜きに嫌悪し恐怖をもって拒絶してくるんじゃないか?……そんな風に感じたのだった。


大人達から上手く導かれずに酷い目に合っただろうぬるま湯君の彼等は親愛の情を以て『保護してやる事』から始めなければ……。
彼等の経験則から今の僕達大人は敵意を込めて吠えつかれるだけに終始する事になるんじゃね?……。

彼等の為に!なんて美辞麗句はほっといて、彼等が社会的戦力となって参加してくれたら凄く大きな力になると思うけど……。
結果的に彼等が人生に立ち向かう勇気を手に出来るならかなり大きな効果が社会にも及ぶと僕は思うのである。

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