角栄の分身と言われた彼女は角栄から発信される語られることのない雰囲気だけでありとあらゆる情報を『受信する名人』だったとか。
昨今……アメリカの軽薄?で上部だけのレディファースト文化がこの国にスッカリ定着し、おブスでおバカな女の『言ってくれなきゃ分からない!』という論理がスッカリ男達を組み伏してしまってるけれど……。
ストイックに真摯に状況と人間に向き合っていれば人違えども大体の事は察しが付くんだけど……。
『言われた事を演る』仕事が主流となり、『出来ない人の気持ち』ばかりをおもんばかる悪平等主義の影響もあって……言葉じゃなく空気で正確に受信するという人は希にしか居なくなった。
情報と言えば『発信ばかり』を騒ぐけれど、肝心な『受信する能力』にこそ人の能力は体現されるんだと改めて思った……。
『感じ取る力』だ……。
何もかも言葉にし数字で示してコミュニケーションを図る?……アメリカンビジネス。
コスパの名の下に、数字の安さだけを強調し発信する側、それを見てマジに受信する側の軽重浮薄……自分の作品を詰まらないモノ、安物と強調し喧伝し、それをカネの安さを動機にして食い付く姿を見てると死ぬまで『数量の世界』を漂い彷徨って生きるんだろうなあ?……と思う。
男と生まれ女と生まれ……それだけ『高度なテレバシー』で交信出来た二人は人としての『最高の質の世界』を生き抜いた幸せ者達なんだなぁ……と思った。
言葉を発する人間故に……言葉を越えた理解の交信は奇跡の瞬間なのである。
何でも現実の数字(年収)や形(会社名)ばかりを求める婚カツ女子とやらを観る時……『打算』を決め手に相手を探してる様にしか感じないのである。(あくまでも僕の私見です)
打算で得たものは所詮……新しい打算で瓦解していく定めにあると僕は思うんだけど……。
様々な思いを……空気中に融かし込みたいと思うんだけど、どんな鈍感な人でさえも感じざるを得ない位のコンセプトの密度を体現するのは中々出来るモノじゃないなぁ?……。