当たり前の話だけど……期待が大きければ大きいほど、ソレを裏切られた時の失望も大きい。
北京オリンピックの羽生結弦選手の様に……やれるだけを演って……結果、思うにまかせなかったという場合、当然失望はあれど……そこまでの流れ全部を引き受け、『納得』へ辿り着くのは案外早いんじゃないかと想像する。
期待する者とその実行に向かう者は『彼自身』という事が大きい。
彼は彼自身に期待し、彼自身がそれを実行した。そこに『依存心』なんぞが入り込む余地などなかったのである。
一重に彼の強いメンタルの所以である。
彼のような…シンプルかつ大いなる自分への期待に対する大きな失望じゃなく、期待の中に…あらぬ願望と妄想に近いモノまで込めて他者との関係に対して膨らませていた場合……そうそう簡単に納得という訳には行かない……。
むしろ失望から虚無感とか?自己嫌悪感とか?
独り相撲による脱力感などなど……がないまぜとなって当分のあいだ思考停止状態に陥る。
相手がこっちの妄想込みの期待を読み取り、都合よく有利にこっちを使い切った後になって……気付かされること(思い知る?)もあれば……関係進行中に…ふとした相手の一言とか?言い間違いとか?ふとした短いセンテンスが切っ掛けになって……まるで魔法を解く呪文の様にその事全体の真実がいきなり鮮明に見える事もある。
前者の場合、『お見事!!』と結果を受け入れ自分で自分を笑い者にしてやるしか手立てはない。
それは、ある意味小気味よさを以て『ヤラレタワイ!』といった失望の領域に踏み止まる事も出来る。後の祭りそのものだからである。
厄介なのは後者の場合である。関係が現在進行中であるから架空の期待に『気付いた事を相手に気付かれない様に振る舞う事』の難しさが発生する。
相手が想定(目論み)しているストーリーまんまの渾身の演技を行ってるプロセスの最中、自分の『失望を隠し』、『落胆を抑え』、ともすれば『自嘲に流されそうな自分』を……押し寄せる虚無感に負けぬ様に支えるという……納得しようがない努力の上の失意・失望……である。
最高の手立ては、関係からのフェードアウトである。
だから最高点は0点。
しかし、既にここまでの時間、精神エネルギーは無駄となり勿論、経費だって発生してる場合もある。
結果は最高の0点を取り、『虚しさだけを稼ぐ』努力をこれからも必要とするバカバカしさである……。
悪いのは誰?……自分。
勝手に舞い上がったのは誰?…自分。
後始末するのは誰?……自分。
自分のおバカを悟ったというのに…相手の迫真の演技が今尚、眼前で『お前はおバカ!』って表現し続けている……。
ここで怒れば……もっと虚しくなり天下の『大おバカ!』が約束済みである。
せめて?相手に気付かれない内の、電光石火の早業で鮮やかにフェードアウトするしかないのである……。
期待は一人称において抱くこと……。
二人称以上の他者に対してのそれは独り善がりの自分の思い込み・理解を他所に……単なる執着・依存心となるのである。
『無関係』ってのは……ある意味『とても価値ある関係』なんだよね……?
やっと過去を振り返る余裕を得て……『今の風景』を観ながらそんなことを考えた昨日一日だった……。