サンチョパンサの憂鬱

身の丈は?……悪平等主義者の怒り

身の丈?ってワードが物議を醸す国って文化度がエラク幼稚じゃね?……と思った。

民間の英語検定一回25000円を二回受けなきゃならない。地方ほど不利だ!なる指摘に応えた文科省大臣の身の丈の内で頑張って欲しい!……という発言が格差を肯定してるからイカンと言うのである。

この国はまた昔の『悪平等時代』に逆転現象起きてるのか?と思った。
生まれた環境での貧富の差はその子供の未来に色濃く影響する?当たり前じゃないか?そんな事は。

着る服から食べる物、味わう文化度合い全てが『生まれ』によって差異が生じる。お互い各々の育ちの利点を活かして戦うというのは変えようがない。貧乏の出としては、全てを公平にしてくれるなら大歓迎だけど……そんな事は無理だし無意味でもある。

ま、教育に関しては能力に応じて『機会均等』を国が担保するって事には賛成だけどね……。貧乏人には国が教育を保証するって事だけど……のべつまくなし誰でもって訳じゃない。成績によるあしきりはフランスだってやってる。

最後には本人の能力、資質、努力の総合力で競うって原理は何処まで行っても変わらない。
カネが無いなら、カネ以外の要素での努力でカヴァーするってのは貧乏人の生き方セオリーの第一条ザンス。

こんな『気持ちの悪いヒューマニズム』は何時から流行りだしたんだろう?

『乞食王子物語』って育ち・環境の違いをとてもよく表現してると思うのである。
極貧故に覚悟が決まり、自分の能力を最大限勝負に使える事だってあるし、富裕層故に守りに入った取り組みしか出来ないって事だってある……。

昭和の安定安心モデルの死生観から言えば学歴ってのは大きいのか?
資本主義、市場主義経済の行き詰まりも色濃くなったこの時代……考え方もルネッサンスが必要かもね?……と思った次第。

何か?表層のカネと見栄えによる幸福論に固執して煮詰まると……そんな悪平等主義へ走るしかなくなってんじゃね?と感じたのでした。

貧困格差問題にしても……もっと必死で考え論じなければならない事があるように思えてならないんだけど。
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