早稲田大学のレトロ研究会というサークルの女子二人がリポーターを案内してた。お母さんから譲り受けたというワンピースを着用し中森明菜風なヘアスタイルという筋金入りの『レトラー?(ゴメンナサイ、僕の造語)』である。
昭和を模したという作為的レトロじゃなく浅草の本物の商店街……カセットデッキを修理して販売する店、バカ売れしているカセットテープ。
昭和のまんま現役営業する喫茶店などなど。
レシピを変えないで数十年の浅草焼きそばなどなど。
スタバなんかの究極的に無駄が省かれた効率一辺倒の今の時代のカフェと違う重厚な造りの喫茶店が年代なくお客を集めている。
勿論コーヒーはネルドリップコーヒーだ。
コスパ、タイパと数量の効率ばかりでチャッチャと判断して過ごす『貧乏臭い一日』は単に若い人に限らず、この国の住人達を酷く疲れさせてしまったのだと思う。
安易な懐古趣味で言うんじゃなく。
アナウンサーの彼女は私は平成生まれだからリアルには知らないけれど……何かとても落ち着く〜なんて言ってた。
一過性のブームとしてのレトロじゃなく、『ガチ(本物)』の『人の手感覚』がとても必要な時代に入っているんだと思う。
計算高さが必要な分野は機械が担当し効率アップする。
さて??……んじゃ僕達自然人はどんな時間を求め何処に行くのか。新たな価値観と安らぎを求めて人生を充実させて行くのか?
そんなとても『大きな分岐点・岐路』に今、僕達はいるんだと思う。
最小必要限度の接客に止める事を意識している僕の店……。
但し神経は細やかに張り巡らせ『お客様の必要を探すこと』に専念している。
僕はこの状態を『心ある放置』なぁ~んて呼んで嘯いている。
無為自然に発生するコミュニケーションこそが接客の極意なんである。
ベタベタと作為的な会話は人を疲れさせるだけだから……。
お母さんから貰った黄色のワンピースを自慢気に見せる女子学生はとても素敵だな?と思った。
それはかつて着物を母から娘に譲り渡してた時の様なニュアンスを感じたからだった。
『文化的伝承』はそうやって行われて来たのである。
その様に発生する母娘の会話って心が緩んでいく様な豊潤なニュアンスを感じた。
ジイサン、バアサン、オッサン、オバハン達……さあ出番です。
是非とも……ハイタッチな時空間の心地よさ、その過ごし方の流儀を若い人達に教えて上げて下さいな……。
若い彼等、彼女達は素晴らしく優れた『聞く耳を持っている』のですから。