サンチョパンサの憂鬱

自分の意向が宛てがい扶持になってない?

尊厳を認めていない相手に適当にまとめたモノを供する行為を『宛がい扶持』っていう。
江戸時代の商店主から従業員に払う賃金などがそれ……。

昨今、この宛がい扶持という方法は、テーマパーク、ゲーム……様々な分野で需給関係を築いている。
カネを払って購入する分野はその人に取って専門ではない。
だから専門家にまとめて貰ったモノを購入するのが手っ取り早く『楽なので』ある。

一時間3000円で飲み食べ放題……は量的な放題ではあっても料理の分野とか質は問うてはならない。予め選定された『宛がい扶持』なのである。

確かに手っ取り早く楽である。
特に幹事さんは安心してその会に没頭も出来る。
『何か?適当な?』モノを!……目的は飲む事だから……宛がい扶持の時間内で何れだけ飲むか?に主眼が置かれている。

最近二次会のお客様も増えて来てる。
一次会、二次会合わせれば、彼等も結構なお金を使うことになるよね?……てな事を考える様になった。
その内自分の『意向で食べたモノ』って何れだけあるんだろう?……と。

自分の意向を除外して、出来るだけ供給側の制限の内にまとめたモノを提案して貰いたがる人が多いのに驚くのである。

時間と量が様々な技術によって圧倒的に合理化されたけど……プレイヤー側の『選択の余地』は恐ろしく削られているんじゃね?
なんて事を思う……。

お客様の空腹具合とか今のシチュエーションとかどんなイメージのモノで満たされたいか?そんなモノを『求めて貰う』とそのテーブルはとても賑わうのである。

そりゃお客様の希望がそのテーブル上で編集されるのだから当たり前といや当たり前なんである。
その当たり前を求める事が……『当たり前じゃなくなってる』事が……哀しいよね?……と感じる。

一回の食事とか?洋服の買い物とか?で『希望を主張する』事が……随分と不自由になってきてる。ま、それ故システム化による合理化の恩恵として『便利な社会』がある……。

手っ取り早く楽しむ為に、宛がい扶持やお仕着せが便利で簡単だと僕達が求めて交換した不自由だから仕方ないんだけど……。

食事に関して言えば様々な技術の進化は……確実に『食事風景の質的な価値』を損なった事は間違いない。
服の分野、例えばスーツに関して言えば大正、昭和中期迄の人達は自分専用に一着ずつ仕立てて着てた。

その『着心地、味わい』は相当高かったであろう。
それと引き換えに完成迄長い時間を待たされたり当然価格は高かった……。

独断と偏見承知で『婚カツ』って言葉にもこの『宛てがいぶち』ってイメージを想起してしまうのである。
端っから自分を安く値踏みしてるんじゃね?って。『適当なのを』持ってきてよ!と言ってるニュアンスを感じてしまうのである。

質と量その『ホドホドの感覚』のバランス感覚を養いたいと思う……。何でも利便性ではなく、何でも頑迷に質でもない、自分の希望に臨機応変に応えられる自分で在りたいよね?……と感じる今日この頃……です。
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