サンチョパンサの憂鬱

『私なりに……』は社会基準をクリアして許される

自分革命と縁がない人種の見分け方がある……。

そういう人間は必ず『私なりに……』、『僕なりに……』という枕詞を以てエクスキューズしながら自分の正当性を訴えるのである。

そこには私、僕という王国があるだけで周辺との関わりという認識がスコーンと欠落している僕の、私の絶対感の中で生きているのである。

前に書いたけど……戦後の人権教育とかの……出来ない人の気持ち、立場を偏重する余りの結果悪平等主義に陥った時期の悪弊が色濃く影響している。

平等はあくまでも機会平等でなければ
本当の意味での公正さを欠く事になるのである。
それと弱者救済のシステムの必要性を混同してるのかも知れないけれど……。

そんな間違った悪文化を背景にしてそんな『僕なり君』、『私なりさん』達が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する様になったんだと思うけど……。

この幼稚でヘンテコリンな幼児の様な感性の大人がこの国の生産性を随分と劣化させている。
年配の人達も、安全圏に自分が逃げ切る事ばかりに必死で、そこに厳として立ち塞がり、教え切る余裕がない。

私なり、僕なりには目一杯なのに……まだ要求されるとは?……そして……えーんエーンと泣いて終わろうとする。
そしてそれでも、間違いを指摘すれば……今度は逆恨みするのである。

相対感覚が致命的に欠如しているのである。

自分の感覚や思考や実力がどうなのか?『計る相対的水準』という感覚を持たずに大人になってしまった不幸だ……。

自分の感覚だけが唯一の自分の判断基準となっているから世の中のそこら中で摩擦を起こす訳である……。

この国にもう少しまともな相対的感覚が大人に浸透していれば……あのインスタグラムの誇らしい『私のお料理写真』とか『自作のスイーツ写真』とかは激減してくれる筈だと僕は思うんだけど……。

良いじゃないの!私が良いんだから!……確かにそうです。仰る通りです。
しかしそれはお家のリビングのルールとしてお演り頂ければ結構かと思います……。

少しばかりでも社会と触れあう場面においては『私と私以外のあなた達』との間には適切な相対感を必要とする……ということが言いたかったのです。
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