出資して会社を作っているのだから当然と言えば当然の話……。
ならば?国、社会は誰の為のモノ?と問えば主権在民なのだから……国民の為のモノ❗❗となる筈?なんだけど……。
ここに……以前から何度か書いた問題がある。
株主の為の法人が……グローバリゼーションの流れから……『株主、法人の為の社会』となる市場経済が遂には『市場社会』へと変質させて来た歴史がある。
この国の社会の自然人達が……資本、法人の軍門に下ったエポックメイキング(転機)は小泉時代の派遣法の改正だった。
雇用とソレに伴う保障の裏付けを剥ぎ取られ……元来固定費だった人件費が変動費へと歴史的転換が起きた時だろう……。
詰まり企業主は都合によって雇用を打ち止めし、『人件費という経費』を都合次第で増減することの自由を得たのである。
『フランスは市場経済には賛成』だが『市場社会には断固としてノンである』と言ったミッテラン元大統領の言葉が今になって大きな意味を教えてくれるのである。
貧困・格差の問題は『経済の領域の自由競争』という意味に於いて僕は……認める。
しかし、市場原理の強者が……自然人を都合次第で雇用を止め、放り出して良い?そんな社会は断固としてNOでなきゃならないと思う。
強者をより強く豊かにすればトリクルダウンによって貧者達もいずれ富のオコボレに預かれる?……は幻想だった。
経済競争によって富を独占的にかき集める富裕層から税によって回収し、ソレを社会的な事情によって再分配する社会にモデルチェンジしなければならない。
主権在民であり、主権富裕層でもなく主権強者の市場でもないのだから……。
自然人を変動費として扱って得た富は……自然人にフィードバックされてこその『フェアな社会』なのだから……。
イデオロギーが右か?左か?なんて下らない議論より……『どうすれば?』最大多数の最大幸福に近付けるか?
何より先ず……『非人間的苦痛』に喘ぐ人間をゼロとしてからという優先順位を実現した上での話である。
経済ではカネはヒトに優先し優位にあるのかも知れない。
しかし社会に於いては『カネ如き』が自然人の上に君臨するなんてのは本末転倒そのものだから……。
社会は『人が生きる』が主目的でありカネをその方便(手段・道具)として使いこなせるOSがあってこそ機能するのである。
新自由主義者は数量のカネが主目的である。自然人迄をそのカネの数量の論理によって支配しようとする目論見はどう考えても『無理がある』……。
グローバリゼーションと市場経済主義は実際に数量学的に近未来に限界が約束されているのだから……。
江戸幕府に頼れない民衆は民間に『モヤイ』や『講』というシステムを作り上げた。
僕達も今、その先人達の知恵に学ばなければ市場社会を完成させてしまうことになるのである……。