この曲で歌われている男の『不安』、『焦燥感』、『劣等感』、『反骨・反発心』などなど本気で自分を演ってる奴ならばそんなのずっと抱え込んで生きて行かなきゃならない。
『これで間違いない!』なぁ~んて状態はあり得ない。何故なら自分も歳を重ねるし、それに連れて対応しなきゃならない新たな環境が次々やって来るからである。
尾崎豊が生き急いで彼岸に渡ったのは二十六歳。
アンチクショー、コンチクショー入り乱れる『大人の世間の無理解』は一生のお友達?そんな感覚には到底行き着けない若さである。
まるでビデオテープでも見てるかの様に『同じストーリーの無理解劇』を何度も何度も通り過ぎてやっと青臭かった男は知るのである。
『なぁ~んだ?これが?ルールなのね?』……と。
青臭い男が少年のまんまの感性を何度も何度も踏み躙られ……それでもまた反発しては軋轢を囲う。その繰り返しの中でやっと男は悟る。
イケ好かない人間相手にもみ手スリしながら媚と妥協で生きていくのか?
それが嫌なら辛くても自分を打ち出して生きていくしかないんだ?……と。
前面に青臭い少年を掲げ続けられない事を悟る『お年頃』を歌った『フリーズムーン』も何度も何度もシェリーと共に繰り返し聴いたのを思い出した。
同じカセットテープの中にチェッカーズの『Frends & Dreams』も入れていた。
これまた大人の世界に躓き挫折した幼馴染みの男を呑みながら励ます歌詞だった。
俺達は何時からガキじゃなくなったんだろう?俺達は何時から大人になったんだろう……?
We could never chenge!!
夕陽の中、壊れたGT何処までも押して行く……俺達にはあのガレージで作った翼があるんだ……。
『俺達……何時までも石ころのダイヤでいような?』……『そいつだけは守れそうな約束だったぜ?』……。
今もなお……聴けば胸苦しくなる三曲である。
今にして思う。
無邪気に無責任に『綺麗な世界ばかりを夢見れた時間が終わる事』を未練たらしく振り返り振り返り……。
大人の泥に首まで浸かり、汚れ切らなきゃ渡れない未来へ向かう時の川を前に怯えていたんだなぁ?……と。
反吐が出そうな位、姑息な駆け引き、手のひら返し、裏切り、カネを突き付けたら鬼が仏に様変わりする?……。
そんなドブの汚さに浸かりながらも、『変えちゃいけない思い』……『売り渡しちゃいけない石ころのダイヤモンド』を守り抜いてこそ本物のピュアに辿り着けることを知ったのは随分と後のことだった……。
自分の臆病と卑屈を知り、自分の脆弱な決意を知り、……魂を売りそうになる。やっとの思いで自分の首根っこをひっ捕まえてNO!を言わせること……。
とても不器用にして非効率な成長方法だったけれど……。
そこ端折っていきなり若いのに小器用なアキンド?と見紛うような『小賢い人間』がやたら増えている様な気がする。
チョット偉そうに訳知り顔で……若い人間たちに『なぁお前等!人間が成長するのに近道はないんだぜぇ!』なぁ~んて説教の一つでもかましたくなるけれど?……止めとく。
それはね?自分で思い立ち、自分の意志で泥の川に飛び込んで取りに行った奴だけが手に入れるモノだからである……。