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誰かの役立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。

日常・子育て・推し活・同人誌・2次創作・お絵描き・手芸・お酒・大人のアソビ。フィット君とFITママの日記のその後。

「親であること、毒になること」これから  #毒親かもしれない

2019年08月12日 | 日記

ずいぶん前になるよ、春先の出来事。

「親になること、毒になること」というイベントがあった。

そのイベントのひと月前

息子を突き飛ばして鎖骨骨折させたんだ。

その日はプログラミング教室に参加していて、息子が途中から自分のやりたいことがうまくいかず教室を飛び出した。

つまんない、やりたくない。それならそれでいいけれど、楽しんでやっている人もいるのだからそっと席を立てばいいだけなのに、声に出す、態度に出す。

自閉症スペクトラム、ADHD、LDの複合型発達障害の7歳。

またか、という思い。

躓いているところを講師に質問してクリアにすればいいと思う。だって、わからないから学びに来ているのだ。だけど、そんな道理は息子には通用しない。これで何度目だろう、またか、またか。時間を使い、息子がやるというから予約を入れたのに。

わたしの気持ち無視、その態度と行動に、もう疲れが爆発した。

 

家に帰る車中、わたしは「また気分が悪くなった、何度も同じことをされている、行きたいっていうからついてきて、最後まで楽しかったね、って帰ったこと今まで1回もないよね」言っても仕方ない、言ったところで彼の心には残りもしないだろう、ただママが怒っているということだけを感じているだけだ。自分の失敗を振り返るとか、そんな感情は息子にはあまり備わっていない。

呪詛は続く。わたしはずーーーーーーーーーっと、今まであった息子にされたことを言い続けた。今の私は精神が病んでいる、そのことをわたしは薄々気付きながらなんとかなるのではないかと、精神科の受診を怠っていた。

時期も悪かった。

冬休みっから続いた夫が不在の毎日。なんとかなると思っていたけれど、なんともできていなかった。

タスケテ、と言えないでいる日々。

家につき、息子は「出ていく」と言って玄関に向かった。わたしはそれを引き留めた。また出ていく?探しに行かなきゃいけないの?いなくなってもいい、死んでもいいという思いもあるけれど、自分が責められるのも嫌だった。コヅキあいから、力が入り始めた、何度目かに息子は転倒し、頭と肩を打った。

バカみたい。

病院あいてない土曜の午後。

やっている病院探して駆けずり回り、行く先々で子供にけがを負わせましたと馬鹿正直に伝える。

学校にも連絡をする、学校から呼び出し。児童相談所への通報、児童相談所の訪問、療育センターにも相談。子供の通院の付き添い。

目まぐるしい時間が過ぎていく中で、子供にごめんねって言えたのは1週間くらいたってからだった。

 

子供は悪くない、

わたしは自分の怒りを制御しきれないんだという現実。

 

息子の骨折から、今は月1回メンタルクリニックに通っている。

 

8月。

夏休みは無理しないように、何とかうまくやっていきたい。

後、もう少し、どうか無事に終われますように。


「親であること、毒になること」とちゅう  #毒親かもしれない

2019年03月02日 | 日記

親であること、毒になること  #毒親かもしれない

このイベントの司会はリカヤさんという男の人で、俳優をやっていたりするらしいのだけれど、わたしのイメージは月花さんチーム、という感じで、なんというか世の中って狭いな。サブカルの世界にいる人たちはフォークダンスを踊っているみたいって友人が言っていたのだけれど、時を超えてもなおダンスは続いているのだな、など思いながら席についている人たちをチラチラとみていた。一方的に私が知っているだけのことでありなんとなく覚えているけれど、きっと覚えていないだろうなというような1、2度同じ場所にいたことがあったり、共通の知人がいてあいさつしたことがあったり、といったような人たちも会場にいた。

会場には赤ちゃん~乳児くらいの子供を連れていたひとがいて、ものすごくうらやましく思った。わたしにはできなかったことをしている、興味や好きを子供を理由にあきらめない親がそこにいて、会場に来ている大人たちがそのことを非難していなかった。わたしの感想でしかないけれど、気づかないところでイラッとしている人もいたかもしれないけれど、多くの人が子連れで来ていることをあたりまえに受け入れていた。

この空気感がいつでもどこでもあればいいのに!

 

毒親をテーマにつばきさんとりかさんがお話をして、司会のリカヤさんが男性側の意見?主張?感想などをポンポンと投げ入れ、いいリズムだったの。ただ・・・わたしはトークショーというものは初体験、初参加だったのでよくわからないのだけれど、来場客の発言にイベントのリズムが崩されていやだった。壇上からの問いかけであったからそのお客さんは答えたのであろうけれど、わたしからしたらお前の話なんぞ聞きたくないわ、ともう本当にいやだった。言いたいこと言って、言ってやったわ!って感じもダメだった、苦痛だった。リカヤさんその人を止めて!って念じたけれど通じなかった・・・。そりゃーそーだよねー。

質疑応答の時間を作る予定でいますので、講義中の発言はお控えください。わたしは療育のセミナーに参加するとスクリーンに注意書きとしてこの一文が必ずある。司会もこれを読み上げる。講義が時間内におさまらなかったときはごめんなさいと司会が謝って質疑応答の時間は割愛される。トークショーとセミナーは違うのかな? わたしは5秒でも多く壇上ふたりの言葉を聞きたかった。

それでも、そういうこともあると学べたし、トークショーとはそういうものなのかもしれないし。これも体験・経験。

りかさんの男の子は2歳から臭い、という発言にめちゃくちゃうなずいた。うちの息子も靴の臭いは2歳くらいから漂い始めていた。大泉さんは男児を育てていて、つばきさんは成人を過ぎたお嬢さんを育てたという、子供の性別が違って、子育て時期も違って、年齢が違ったり、時代背景も違う。なので、ふたりのお話が正反対だったりもするのだけれど、絶妙に噛み合うというか支えあうというか。リカヤさんマジックか? とにかく誰も敵にしない感じで毒親について語られていく。

飛び出す発言は興味深くうなずけることもあれば、当てはまらないこともあったりで、あたりまえなんだけれど。来ている親を壇上にいる出演者はアウェーにしないでいてくれたように思う。だからかな、そこに客の主張が邪魔に思えちゃったかな、それが残念だった。でもこれもわたしの勝手な感想でしかないので、なんともなー。だれのせいってことでもないな、うん。

(つづく、かも)

#毒親かもしれない


「親であること、毒になること」がはじまった  #毒親かもしれない

2019年03月01日 | 日記

親であること、毒になること

このイベントのチケットを取った後、このイベントの開催の前に、わたしは7歳の息子を突き飛ばして鎖骨骨折させた。

理由はいろいろあったとしても「突き飛ばして骨折させた」事実は曲がりようもない。その時のわたしは感情だけだった。それは支配欲で、子供に言うことを聞かせたい思いが強くて、言うことを聞かないことに怒ってもいた。あれから、時間がたつことで、その間にいろいろな人と話す中で、落ち着いて振り返ることもできるのだけれど。これはまた別に書く。

 

息子にした暴力は毒なのか。

叩いて叱って育てられ育てていた世代(家庭)、叩かず叱らず育った世代育てている世代(家庭)。それぞれすぎてこれが正解なんてない。暴力はだめってことはわかっているけれど、でこかでつい手が出ちゃうってあるとか、そのあと謝ればいいとか、抱きしめたらいいとかいうけれど、子供の側からしたら理不尽でしかないよな。

暴力はだめだけれどDVと親が感情が高まってワッとなって手をあげてしまうのは同じに話すべきではない

そのようなことをつばきさんが言っていた。

電車の席にこどもが靴で上がったらどうする?

りかさん:シートがかわいそうだよっていう、シートさんにいいこいいこして、って

つばきさん:次の駅で降りる

わたしはつばきさんよりの考え方でいて、子供と出かけるのがとてもつらかった。子供をお行儀よくさせられない自分がダメなんだって思っていたし、言うこと聞かない子供を外に連れ出すことで、周りに迷惑がかかることをとても気にしていた。今はね、もっとお出かけしてよかったんだよな、って思うの。あの時できなかったから、というものあるけれど。子供は言うことを聞かないってことをわたしが知らな過ぎた。だから、赤ちゃんの頃にもっとでかけてもよかったのだろうな、って。外に出して人の目にさらされる勇気がわたしにはなかった。

子供よりの考えというものをもっていなかったし、自分がちゃんとできている親だと思われたい、こどもが大人にとって扱いやすい子がいい子なんだと思い込みすぎていた。わたしの子育てスタートは最初から勘違いだったのだな、と振り返れる。

りかさんのモノを擬人化させる手段は、2~4歳児くらいの療育手法の中にもある。もし今はそういう子育てがあたりまえなのだとしたらとてもいいなと思った。例えば、中身の入ったコップを倒しちゃったときに「なにやってんの!」ではなく「ふけばいいんだよ」って親が怒りを解放出来たり、なにか物落としたら「ひろって!」ではなく「たいへん、逃げちゃうからうからつかまえて」みたいに親がことば変換を自動でできたらいいのだけれど、わたしは「なにやってんの!」「ひろって!」と真っ先に言っている。

知識としてあるけれど、実践できていない。実践したほうが格段に子供との関係は保ちやすい、でもわたしにはストレスになる。子供がいくらかわいいって言っても、子供のことを一番にってわたしは思えていないのだと思っている。

 

#毒親かもしれない


食パン チーズ ハチミツ

2018年10月14日 | 日記
レシピメモ

食パンを一口大にカット
グラタン皿に並べる
砂糖をふりかける
牛乳をかける、食パンが湿るくらい
スライスしたバナナをパンの上に並べ、ピザチーズをのせる
トースターで10分ぐらい焼く

出来上がり

甘さが欲しければハチミツかけて食べる🍴



小学校校長室、PTA会長と校長面談

2018年09月29日 | 日記

夏休み中に開催された盆踊りの開催主「盆踊り委員会」より約13万円もらえたのでこれを防災用品を買うために使うといったお便りが届いたのが9月上旬。


これね。

そして先週末に校長とPTA会長とのお話合いの時間を作ってもらい、話をしてきた。


このtwitterでもらったアドバイスを心にいってきました。

時間が30分ということなので先に質問していた内容に対して校長より説明がありました。

質問内容は「PTA盆踊り委員会という組織の委員たちに一切の説明がないのに、防災用品を買う予定という決定を事後報告するのは乱暴すぎないか」「防災用品はいったいなにを買う予定なのか、それはどのように使われるものなのか」「この防災用品を買うという意見はどこから出たのか」

それについての校長からの説明は「いきなり今年、盆踊り委員会からもらえたお金で学校が寄付としてもらうには手続きが手間なのでPTAへ寄付という形をとって、6年生に防災ヘルメットがないのでその購入費に充てさせてほしいとお願いしました」

・・・。必要なもの、生徒に必要なものを横浜市の公費で買えないってどういうこと?

「手続きが面倒で、すぐにでも必要なものなのにいつになるのかわからないので、PTAに買っていただいた」

・・・。そしてすでに購入済みである、って。えっと・・・。買うの買わないのという保護者への同意は求めないんですね。

もう、感想しか言えないですよね、だって買っちゃたんだし。お金はもう半分しか残っていない。で、残ったお金で生徒用に備蓄食料を買うそうですが、この生徒用備蓄食料って公費で更新分を追加されていないのだそうです。5年前に届いてそれっきり・・・。

もう、横浜市なんなの?っていう怒りがでてきちゃう、毎度うまいよね。このやり口。そもそもの話題からずれて行ってしまうんですよ。毎回この手口にやられてしまう。

わたしはPTAをなくせとか言っているわけではなく、無駄をなくせって言っているのですが、校長もPTA会長もわたしがPTAをつぶそうとしているって思っている。その誤解はそのままにしているけど。

時間が30分ということで、結果こういうことになってますという報告を聞いただけで終わってしまった。

その中でわたしの防災用品は生徒のために用意してほしい、地域のものではなく生徒優先で使えるものとして。そして、卒業の時に今回盆踊りで保護者協力で購入した防災用食品なのだから、乾パンだけでも水だけでもいいから渡してあげたい。それを家に持って帰って保管して、使うことがなかったら期限前に食べる体験をしてもらえばいいと思っていた、と伝えた。この意見は取り入れてもらえそうだった。

まだどうなるのかわからないけれど、少しづつでもPTAからの還元があればいいとも思っている。10年ごとに行われる周年行事の積み立て、在学中にそれを体験できない保護者は払い損なんて、それだっておかしい。

なにかもっと保護者が関心を持って簡単に参加できればいい。誰に押し付けられるものでもなく、やれる分をやる。

そうしてますよ、そう思っていますよ、ってPTA会長も校長も言うけれど、そんな風に保護者達は見ていないし思えてない、ということに気付いてほしい。