どんなことでも、表と裏が存在するのが、この世界です。
例えば、昨日のことですが、主人が終電に乗り、家から遠い駅で降りて、迎えに来てと言えば良いものを、
酔っていたために歩いてこちらに向かいました。
疲れもあり、もう歩けないと判断した主人は、町医者の敷地内のベンチで、しばらく眠ったそうです。
なんと危ないことでしょう。通り魔も多いというのに。。
1時間近く眠って、また歩いて帰ったから、家に着いたのは1時半を回ってました。
わたしは、12時ごろ、主人に電話をしました。今どこだろうかと。
電話に出ないので、ベッドに入ったところ、頭の中でキンと音がして、嫌な感じ。
そのまま寝ようと思いましたが、また眼が覚めたり、なんか息苦しい。
腹が立ってきて、ガバッと起きて、何度もかしわ手を打ちました。
でも、後から考えると、そのかしわ手を打っている時間、主人はベンチで寝ていたのです。
それは、考えようによっては、コインの表。
妖精さんが、「今彼は危ないことしてるよ」って教えてくれたのかもしれない。
そう考えたら、有難いことですよね。金縛りかなんて思っている場合ではなかった。
愛の眼と批判の眼が存在します。
愛の眼で相手を見る時、そのまなこは、静かに相手の中に浸透していきます。
そして、相手の心情や状態に同化し、発見したり見えたりするものが少なからずあります。
相手の立場が理解できた時、一番気持ちが楽になるのは、相手ではなく、こちらの心と身体なのです。
批判の眼で相手を見る時、なるべく上っ面と自分の持つ情報だけで、そこに怒りを注入します。
すると、その赤い炎がまた燃えて、自分の心を焼くのです。
あまり人に対して怒りを持つと、内臓が焼ける感じがするのは、そういうことです。
ならば、愛の眼を持つと思うだけで、
この世は「自分に対して」愛深い世界になるはずです。
そして、その波動は、自分を非難するものを寄せ付けなくなります。
それがわたしにとっては、天国だと感じるものです。
子供に対しても、同じこと。
主人に対しても、どんなに近しい人に対しても、
みんなそれぞれ、自分しかわからない事情の中で、同じ景色を見ても感じるものも見るものも違う。
感情は錯誤して当然。だけれど、同時にわたしたちは神から、
同じ命と神性をもらっているから。
だから、工夫すれば、相手の気持ちになってわかってあげられるという側面も持つ。
愛の眼で相手や物事を見るには、
やっぱり自分がしっかり幸せになることですね。
お金とか、環境とかではなく、
今のそのままを、優しく見守る愛の眼は、
まず自分に向けられなくてはいけない。
それが出来て、はじめて、
他人のことを寛大に見ることが出来るというものですね。
自分に余裕がないと、
わたしのような未熟者は、すぐに不機嫌になる。
「わたしは愛と光と忍耐です。」
齋藤一人さんの言葉が、沁みる今日の朝。
今日も良い日になります。
最後まで読んでくれて、有難うございました^-^/
********************************************
鑑定と、ブレスレットのご感想を更新しました♪
https://myheartangel.thebase.in/
宜しくお願いいたします。
ご注文は、直接
wien1129@hotmail.co.jp
まで一言ご注文いただいても、対応しますのでお気軽にお申し付けくださいませ♪
例えば、昨日のことですが、主人が終電に乗り、家から遠い駅で降りて、迎えに来てと言えば良いものを、
酔っていたために歩いてこちらに向かいました。
疲れもあり、もう歩けないと判断した主人は、町医者の敷地内のベンチで、しばらく眠ったそうです。
なんと危ないことでしょう。通り魔も多いというのに。。
1時間近く眠って、また歩いて帰ったから、家に着いたのは1時半を回ってました。
わたしは、12時ごろ、主人に電話をしました。今どこだろうかと。
電話に出ないので、ベッドに入ったところ、頭の中でキンと音がして、嫌な感じ。
そのまま寝ようと思いましたが、また眼が覚めたり、なんか息苦しい。
腹が立ってきて、ガバッと起きて、何度もかしわ手を打ちました。
でも、後から考えると、そのかしわ手を打っている時間、主人はベンチで寝ていたのです。
それは、考えようによっては、コインの表。
妖精さんが、「今彼は危ないことしてるよ」って教えてくれたのかもしれない。
そう考えたら、有難いことですよね。金縛りかなんて思っている場合ではなかった。
愛の眼と批判の眼が存在します。
愛の眼で相手を見る時、そのまなこは、静かに相手の中に浸透していきます。
そして、相手の心情や状態に同化し、発見したり見えたりするものが少なからずあります。
相手の立場が理解できた時、一番気持ちが楽になるのは、相手ではなく、こちらの心と身体なのです。
批判の眼で相手を見る時、なるべく上っ面と自分の持つ情報だけで、そこに怒りを注入します。
すると、その赤い炎がまた燃えて、自分の心を焼くのです。
あまり人に対して怒りを持つと、内臓が焼ける感じがするのは、そういうことです。
ならば、愛の眼を持つと思うだけで、
この世は「自分に対して」愛深い世界になるはずです。
そして、その波動は、自分を非難するものを寄せ付けなくなります。
それがわたしにとっては、天国だと感じるものです。
子供に対しても、同じこと。
主人に対しても、どんなに近しい人に対しても、
みんなそれぞれ、自分しかわからない事情の中で、同じ景色を見ても感じるものも見るものも違う。
感情は錯誤して当然。だけれど、同時にわたしたちは神から、
同じ命と神性をもらっているから。
だから、工夫すれば、相手の気持ちになってわかってあげられるという側面も持つ。
愛の眼で相手や物事を見るには、
やっぱり自分がしっかり幸せになることですね。
お金とか、環境とかではなく、
今のそのままを、優しく見守る愛の眼は、
まず自分に向けられなくてはいけない。
それが出来て、はじめて、
他人のことを寛大に見ることが出来るというものですね。
自分に余裕がないと、
わたしのような未熟者は、すぐに不機嫌になる。
「わたしは愛と光と忍耐です。」
齋藤一人さんの言葉が、沁みる今日の朝。
今日も良い日になります。
最後まで読んでくれて、有難うございました^-^/
********************************************
鑑定と、ブレスレットのご感想を更新しました♪
https://myheartangel.thebase.in/
宜しくお願いいたします。
ご注文は、直接
wien1129@hotmail.co.jp
まで一言ご注文いただいても、対応しますのでお気軽にお申し付けくださいませ♪