水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

愛の眼と批判の眼

2017-05-25 09:36:14 | スピリチュアル
どんなことでも、表と裏が存在するのが、この世界です。




例えば、昨日のことですが、主人が終電に乗り、家から遠い駅で降りて、迎えに来てと言えば良いものを、

酔っていたために歩いてこちらに向かいました。

疲れもあり、もう歩けないと判断した主人は、町医者の敷地内のベンチで、しばらく眠ったそうです。

なんと危ないことでしょう。通り魔も多いというのに。。

1時間近く眠って、また歩いて帰ったから、家に着いたのは1時半を回ってました。




わたしは、12時ごろ、主人に電話をしました。今どこだろうかと。

電話に出ないので、ベッドに入ったところ、頭の中でキンと音がして、嫌な感じ。

そのまま寝ようと思いましたが、また眼が覚めたり、なんか息苦しい。

腹が立ってきて、ガバッと起きて、何度もかしわ手を打ちました。




でも、後から考えると、そのかしわ手を打っている時間、主人はベンチで寝ていたのです。




それは、考えようによっては、コインの表。

妖精さんが、「今彼は危ないことしてるよ」って教えてくれたのかもしれない。

そう考えたら、有難いことですよね。金縛りかなんて思っている場合ではなかった。




愛の眼と批判の眼が存在します。




愛の眼で相手を見る時、そのまなこは、静かに相手の中に浸透していきます。

そして、相手の心情や状態に同化し、発見したり見えたりするものが少なからずあります。

相手の立場が理解できた時、一番気持ちが楽になるのは、相手ではなく、こちらの心と身体なのです。




批判の眼で相手を見る時、なるべく上っ面と自分の持つ情報だけで、そこに怒りを注入します。

すると、その赤い炎がまた燃えて、自分の心を焼くのです。

あまり人に対して怒りを持つと、内臓が焼ける感じがするのは、そういうことです。




ならば、愛の眼を持つと思うだけで、

この世は「自分に対して」愛深い世界になるはずです。

そして、その波動は、自分を非難するものを寄せ付けなくなります。

それがわたしにとっては、天国だと感じるものです。




子供に対しても、同じこと。

主人に対しても、どんなに近しい人に対しても、

みんなそれぞれ、自分しかわからない事情の中で、同じ景色を見ても感じるものも見るものも違う。

感情は錯誤して当然。だけれど、同時にわたしたちは神から、

同じ命と神性をもらっているから。

だから、工夫すれば、相手の気持ちになってわかってあげられるという側面も持つ。




愛の眼で相手や物事を見るには、

やっぱり自分がしっかり幸せになることですね。




お金とか、環境とかではなく、

今のそのままを、優しく見守る愛の眼は、

まず自分に向けられなくてはいけない。




それが出来て、はじめて、

他人のことを寛大に見ることが出来るというものですね。




自分に余裕がないと、

わたしのような未熟者は、すぐに不機嫌になる。




「わたしは愛と光と忍耐です。」




齋藤一人さんの言葉が、沁みる今日の朝。







今日も良い日になります。




最後まで読んでくれて、有難うございました^-^/







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