この世は陰陽でバランスをとっているらしい・・ということは、
最近わたしも感じ始めています。
小田和正さんのグッバイという歌にもあるように、
幸せと涙の記憶 繰り返しながら・・というものでもあります。
その感情の濃淡、少しの時間でさえもある、気持の乱高下、
味わいながら、深く魂が成長していくのですね。
今日車に乗りながら、深くわかったことがあります。
近くに住むおばあちゃん。どこに住んでいるかわからないのですが、昔、我が家で採れたにんにくをあげたことがありました。
その時もそっけない態度でしたが、その後、朝のごみ出しや、家の前をおばあちゃんが通る時にも、こちらが挨拶しても無視なのです。
?でした。
そして、以前のバイト先での上司が、宗教勧誘で家に来た時も、
仕事をしているの?と聞かれ、その人には鑑定のことは言いたくなかったので、働いていないと言い、かつ何かこちらが言ったことが癇に障ったのか、
「旦那に働かせてそういうこと言ってもね・・」と横を向いて独り言みたいなことを言われました。
昨日、急にドドドド・・と頭の中でその二つがぐるぐるして、苦しかった。
でも、冷静に考えると、その二人の共通点は、孤独なんです。
おばあちゃんも一人暮らし、その人も、独身です。
もっというと、自分の幸せを遠ざける生き方をしている。
うちは一般家庭ですが、それがうらやましいと思うのか、妬む心があると感じます。
でも、外側から見たらわからないことって、山ほどあるでしょう。
お互いに、それはそうなのです。
昔の私なら、自分が今感謝して生きていられること、目の前の不幸そうな人がいることに
何か気遅れのような変な感情を抱いてしまってました。
しかし最近、わたしは考え方が変わってしまった。というか、変えようともしている。
車の中で込み上げた感情と出た言葉は、
「は?それが何か?」
でした。そして車の中で思わずこう言いました。
「わたしは幸せになる価値のある人間だから。あなたにとやかく言われる筋合いはない。」
そして、わかったのです。
幸せになる覚悟。それは、同等の妬みもやっかみも引き受ける覚悟でもある。
大きな幸せを受け取ると思うのなら、大きな妬みもあるだろう。
小さな幸せを受け取ると思うのなら、小さな妬みもあるだろう。
そういう妬みが嫌いな人は、可もなく不可もないと思える人生を選択するだろう。
そしてそれは、すべての人々に、天から100%自由に与えられている選択権である。
わたしは、今大きな幸せに生きています。
感謝しなければいけないという利害のような生き方から、
感謝せずにいられないという幸せであるという生き方をしています。
だから、それが人によっては、煩わしいと思えるのでしょう。
そして嫉妬するというのは、仕方のないこと。
ですが、幸せを自分に許すということは、誰でも、努力すればできること。
平等の愛と力が、それぞれにあるんだもの。
だから、わたしはそれを感じる時、堂々と受け止め、「有難う。幸せよ^-^」と心で言い返します。
心屋さんの本を拝読していますが、そこに書かれていたことから、今回の学びがありました。
ただ、「何や知らんけど」と、楽に生きていくことがそのまま幸せに繋がるのではなく、
世界は自分が思っているほど辛くはなく、みんな優しいということを前提に、
自分は駄目だけど、素晴らしいという自分への信頼を持ち、(心屋さんの本抜粋)
お陰さまの気持ちを大切に、そして周りに迷惑かけて、迷惑かけられて生きていく。
上に上がれば上がるほど引っ張られるかもしれない。成功すればするほど、陰口があるかもしれない。
それが本来の、この星の陰陽であるし、それを知って、受け入れる気持ちで自分らしく解放していく。
妬まれる覚悟と幸せを受け入れることは、比例しています。
そして、そのことがわかっていれば、どれだけ大きな幸せが来ても、大丈夫。
なぜなら、妬みはやがて、その送った人に返ってしまうから。
幸せな光に対し、黒いものを放っても、光は跳ね返してしまうので、
結局余計不幸になってしまうことを、知ってほしいです。
今日も良い日になります。
有難うございます^-^
ブレスレットのお店です☆
https://myheartangel.thebase.in/
最近わたしも感じ始めています。
小田和正さんのグッバイという歌にもあるように、
幸せと涙の記憶 繰り返しながら・・というものでもあります。
その感情の濃淡、少しの時間でさえもある、気持の乱高下、
味わいながら、深く魂が成長していくのですね。
今日車に乗りながら、深くわかったことがあります。
近くに住むおばあちゃん。どこに住んでいるかわからないのですが、昔、我が家で採れたにんにくをあげたことがありました。
その時もそっけない態度でしたが、その後、朝のごみ出しや、家の前をおばあちゃんが通る時にも、こちらが挨拶しても無視なのです。
?でした。
そして、以前のバイト先での上司が、宗教勧誘で家に来た時も、
仕事をしているの?と聞かれ、その人には鑑定のことは言いたくなかったので、働いていないと言い、かつ何かこちらが言ったことが癇に障ったのか、
「旦那に働かせてそういうこと言ってもね・・」と横を向いて独り言みたいなことを言われました。
昨日、急にドドドド・・と頭の中でその二つがぐるぐるして、苦しかった。
でも、冷静に考えると、その二人の共通点は、孤独なんです。
おばあちゃんも一人暮らし、その人も、独身です。
もっというと、自分の幸せを遠ざける生き方をしている。
うちは一般家庭ですが、それがうらやましいと思うのか、妬む心があると感じます。
でも、外側から見たらわからないことって、山ほどあるでしょう。
お互いに、それはそうなのです。
昔の私なら、自分が今感謝して生きていられること、目の前の不幸そうな人がいることに
何か気遅れのような変な感情を抱いてしまってました。
しかし最近、わたしは考え方が変わってしまった。というか、変えようともしている。
車の中で込み上げた感情と出た言葉は、
「は?それが何か?」
でした。そして車の中で思わずこう言いました。
「わたしは幸せになる価値のある人間だから。あなたにとやかく言われる筋合いはない。」
そして、わかったのです。
幸せになる覚悟。それは、同等の妬みもやっかみも引き受ける覚悟でもある。
大きな幸せを受け取ると思うのなら、大きな妬みもあるだろう。
小さな幸せを受け取ると思うのなら、小さな妬みもあるだろう。
そういう妬みが嫌いな人は、可もなく不可もないと思える人生を選択するだろう。
そしてそれは、すべての人々に、天から100%自由に与えられている選択権である。
わたしは、今大きな幸せに生きています。
感謝しなければいけないという利害のような生き方から、
感謝せずにいられないという幸せであるという生き方をしています。
だから、それが人によっては、煩わしいと思えるのでしょう。
そして嫉妬するというのは、仕方のないこと。
ですが、幸せを自分に許すということは、誰でも、努力すればできること。
平等の愛と力が、それぞれにあるんだもの。
だから、わたしはそれを感じる時、堂々と受け止め、「有難う。幸せよ^-^」と心で言い返します。
心屋さんの本を拝読していますが、そこに書かれていたことから、今回の学びがありました。
ただ、「何や知らんけど」と、楽に生きていくことがそのまま幸せに繋がるのではなく、
世界は自分が思っているほど辛くはなく、みんな優しいということを前提に、
自分は駄目だけど、素晴らしいという自分への信頼を持ち、(心屋さんの本抜粋)
お陰さまの気持ちを大切に、そして周りに迷惑かけて、迷惑かけられて生きていく。
上に上がれば上がるほど引っ張られるかもしれない。成功すればするほど、陰口があるかもしれない。
それが本来の、この星の陰陽であるし、それを知って、受け入れる気持ちで自分らしく解放していく。
妬まれる覚悟と幸せを受け入れることは、比例しています。
そして、そのことがわかっていれば、どれだけ大きな幸せが来ても、大丈夫。
なぜなら、妬みはやがて、その送った人に返ってしまうから。
幸せな光に対し、黒いものを放っても、光は跳ね返してしまうので、
結局余計不幸になってしまうことを、知ってほしいです。
今日も良い日になります。
有難うございます^-^
ブレスレットのお店です☆
https://myheartangel.thebase.in/