戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

国立競技場零ベースで見直しを決断

2015-07-17 19:15:17 | 日記
安倍総理の熟考の末、変更不可能とまで言われたが、国民の多くが費用負担に疑問を抱いた結果と思う。しかるにの森元総理組織委員会会長は国が2520億円も出せないのかとか、ラグビの聖地とまで目論んでいたとか、不満たらたら、ならば会長を辞退すべきだ。何様と思っているんか。初回の費用以外毎年毎年巨額の維持費がかかるのを承知の上の発言と思う。個人攻撃はしない。国民は今どんな問題に悩んでいるのかお分かりになってない。年金だ介護だ、国債の借金の利払いでも毎年の予算編成で苦しめられている。大半の原因は、自民党時代の負に引き継ぎである。総理を経験していてもわからなかた現実に思いを致すとき、日本の政治に暗澹たる暗黒を見る思いだ。滅亡から救える若手の擡頭を祈らずにはいられない。

建物等建造物のデザイン設計について

2015-07-17 09:15:35 | 日記
50年100年もその存在価値があるものでなけ成らず、周囲の環境に溶け込んでいて違和か無く、機能を十分満たす必要がある。また設計段階での建築見積ができていなければ審査に合格はあたえられない。或は発注者側から、概略予算を提示して設計を依頼すべきだ。今回の国立競技場の設計は、どんな経緯があったのか、詳細知りたい。自動車の設計と違い、流行を求めておらず、斬新だけで吉とするものでなく、将来の維持管理費用も十分検討する必要がある。特に地球環境の変化の激しい時代何時かは寒波襲来も、顧慮事項である。安藤さんの釈明、あるいは、森元総理の経過説明も、後付けに過ぎない。すべての面で、国の行事として、無責任体制で勧められ、文化庁の責任逃れの役人根性丸出しはいただけない。もう一つ言うと、2020のオリンピック、パラリンピックは、7月から9月に及ぶ夏の盛り、服装のデザインもいただけないのは残念だ。デザイン者の名声、権威を重んじる決まりでもあるのか。もっとおおらかな伸び伸びとした息遣いがほしい。