西南戦争・薩摩の史跡を巡る

西南戦争に関する有名な史跡からレアな史跡・薩摩の史跡を載せてます。
史跡の詳細な地図も付けています。

薩摩猫之介の散歩 西南戦争史跡⑩ 熊本県水俣市・芦北町

2022-04-18 23:31:00 | 熊本県西南戦争史跡
水俣方面での西南戦争

明治10年5月5日

官軍が水俣より大口(鹿児島県伊佐市)に進軍する報により、薩軍は人吉から兵を大口に派遣します。

5月5日派遣
干城七番中隊 (隊長・山口通清)
行進十一番中隊(隊長・上村友右衛門)
熊本協同隊  (隊長・淵上幾)
他一中隊   (隊號未詳)

5月6日派遣
熊本隊二番  (隊長・北村盛純)
熊本隊三番  (隊長・佐々友房)
熊本隊四番  (隊長・深野一三)

5月8日派遣
指揮長・辺見十郎太
正義一番中隊 (隊長・児玉軍治)
正義三番中隊 (隊長・森元休五郎)
正義四番中隊 (隊長・林一郎)
干城一番中隊 (隊長・伊集院權右衛門)
干城六番中隊 (隊長・未詳)
干城九番中隊 (隊長・長崎彦七)
破竹三番中隊 (隊長・橋口龜助)
雷撃六番中隊 (隊長・左近允喜八)

薩軍は大口を拠点として水俣方面に進撃し、別働第三旅団の進軍を止める激戦が7月1日まで続きました。

官軍・別働第三旅団(司令長官・川路利良)の動き

4月28日水俣に向け竪志田(美里町)を出発。

5月2日第三大隊が水俣に入り、第三大隊第二中隊は米ノ津(鹿児島県出水市)に進軍。

5月3日第三大隊第二中隊は米ノ津より阿久根に進軍。
第三大隊第三中隊一番、二番小隊は陣ノ山に哨戒線を張る。
徴募兵(一個中隊)は久木野に進軍。
第三大隊第一中隊は出水に進軍。
第四大隊第三中隊は矢筈岳に進軍。

5月4日水俣に集結した部隊が大口方面に進軍。
第三大隊第一中隊
第三大隊第三中隊
第四大隊第二中隊
第五大隊第一中隊
第五大隊第三中隊
(西南戦闘日注 旧別働第三旅団参謀部 編より)

水俣方面戦闘図
(新編西南戦史別冊 陸上自衛隊北熊本修親会 編より)





【西南戦争史跡】

水俣市薩軍慰霊碑

水俣城跡のある城山公園内にあります。








陣内官軍墓地

こちらも城山公園内にある官軍墓地です。

現在は崖崩れの為正面からは入る事ができませ
ん。

公園側から降りて辿り着きました。

墓碑の数は42基あります。

大半が明治10年6月18日の伊佐市大口にある高熊山で戦死した東京、名古屋、大阪の鎮台兵と近衛所属の将兵です。















深川の激戦地跡にある西南戦跡の碑

別動第三旅団(司令長官・川路利良)に引くことなく奮戦した薩軍(雷撃隊長・邊見十郎太が指揮)でしたが政府軍の増兵で大口へと撤退する事になります。

水俣市から鹿児島の大口に向かう途中に深川古戦の跡と書いてある看板があります。

看板の矢印方向に何があるか歩いて探す事にします。

坂を上って行くと給水所か浄水所の施設があり行き止まりでした。

その周辺を探していると藪の中に何やら石碑の一部のような物が…

藪の中に入ってみると発見!



とても分かりづらかったですが見つける事ができて良かったです。






ここでの戦闘後に別動第三旅団司令長官の川路利良は大山巌(西郷隆盛の従兄弟)の進言より旅団長を解任され東京に戻ります。

川路利良は西郷隆盛の後押しで大警視の役職になっています。(川路は城下士より身分が低い郷士)

恩のある西郷さんの暗殺を指示したのは川路利良でした。(西南戦争の原因の1つ)

そのような経緯もあり薩摩から嫌われている川路(西南戦争開戦時、鹿児島の川路宅は打ち壊されています)を薩摩に置いていては薩軍の士気を上げる要因になると大山巌は危惧しての進言だったようです。 



久木野の丁丑役記念碑

ここも不確定な情報の中探してみる事にしました。

近くに着いても案内板や看板すらありません。

携帯の示す場所は山の中!

とりあえず山の中に入れそうな場所を探します。



倒木のある斜面を登りながら探す事30分…

気持ちも折れかけ諦めようかと思いはじめてきました。





もう少しで山頂のような感じだったのでそこまで行っても無ければ帰ろうと思い山頂を目指して行きます。

すると山頂付近でいきなり目の前に石碑が!

やっと見つける事ができました。



せっかく残っている石碑…

行政がきちんと整備してもらえたらと思いますね…



碑までの登った経路

訪れる際は道の無い山なので気をつけて下さい。





大関山の四本杉台場

芦北町の大関山でも激しい戦闘が行われています。

ここには台場の跡があるとの事で行ってみました。

道は車1台分の幅しかなく、枯れ葉や転げ落ちた小さな岩が路上にあります。

途中からは砂利道で大丈夫かと思いながら上って行きました。



ようやく標柱を見つける事ができ、周りに遺構がないか歩き回りましたが…





砲台跡の遺構は見つける事ができませんでした。





峰崎官軍墓地

芦北町佐敷にある官軍墓地です。

ここには芦北地区での官軍戦死者86名が埋葬されています。









田浦官軍墓地

芦北町田浦にある官軍墓地です。

ここには西南戦争終戦後の官軍墓地建設から漏れていた陸軍兵卒・小嶋喜之助の墓が1柱あります。

明治18年以降に官軍墓地として建設されました。

道路横に田浦官軍墓地の案内石柱がありますが、墓はその奥の山中にあるようです。

今回訪問した時は入口にあるミカン畑の収穫時期で電気柵が設けており残念ながら入る事ができませんでした。