ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

久し振りの単独山行! ヨモギ尾根から七ツ石山 2/2 ――― 雌鹿と小熊

2015年07月10日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/25  少し休憩すると、ほとんど15時になりました。16:31のバスには絶対に間に合いませんが、18:38のバスにはのんびりと歩いても余裕で間に合います。気分的には実に楽な感じで下山開始です。


▲ヘリポートがありました。14:58ころ。


▲黒雲が空を覆っていますけれど、雨を降らせるような雲ではなさそうです。薄っすらと青空が見える空間もあります。写真の左の山が七ツ石山1757.3m。これから登ります。15:01ころ。


▲マルバダケブキの群落が広がっていました。昔の石尾根は幾種類もの花が咲く、花の尾根でしたが、今ではほとんど花が咲いていません。咲いている花の種類も限られています。そのひとつがこのマルバダケブキ。綺麗な花が咲きますが、こればかりというのは問題ですよね。マルバダケブキには毒があり、シカが食べません。それで、増えてきたという訳です。15:11ころ。


▲途中、ヤマツツジが咲いていました。これを見て、誘惑にかられました。七ツ石山の先にある千本ツツジまで行ってみたいと思ったのです。なかなか、千本ツツジでのツツジの盛りを見ることが出来ていませんから。
千本ツツジを回っても、多分バスの時間には間に合うでしょうけれど、登山としては遅い時間であることには違いありません。無理をせずに予定通り歩くことにしました。15:17ころ。

ブナ坂に着くと、びっくり! シカと目が合ったのです! 互いにいる位置の関係で、直前までお互いの姿に気づくことなく、10mくらい接近した位置で突然目が合ってしまったのです。
メスのシカです。緊張した表情でくりくりした大きな黒目を僕に向けて瞬きもせずに凝視しています。僕も目をそらさずにじっとしていました。そして、そおっとカメラを取り出そうとゆっくりと手を動かしました。すると、僕の手の動きを追って、シカの目がわずかに動くや、体をシカの右方向へ動かし、山の下方へ降りて行ってしまいました。僕もすぐにシカの後ろを追いましたが、すでにシカの姿は消えていました。


▲七ツ石山山頂です。今日は山頂からの眺めは霞んでいますから、すぐに下山開始です。15:34ころ。


▲七ツ石神社です。15:42ころ。

七ツ石神社にはいろいろな謂れがあるみたいです。まずは宮内敏雄著『奥多摩』からの引用です。
「山名由来は絶巓より僅か東に降った斜面に、恰度将棋の駒のように順々に併立した古生層の七箇ほどの巨岩に拠るもので、その基部に七ツ石明神が祭られてあるが、元は石そのものが御神体だったのに相違あるまい。七ツ石明神は俚伝平親王将門を祀ると謂い、七ツ石は将門の七人武者に関する面白い話もある」
上記の七人武者が岩に化した話やここで賭博が行われていたなどの興味深い話もあります。漫画家の とよた時 さんのよくまとめられた文章と面白い絵とがありますからそちらを参考にしてください。 http://toki.moo.jp/gaten/401-450/gate446/gate446.html


▲七ツ石小屋の水場が出て来ました。とっても冷たくて美味しい水でした。個人的にはさっきの奥多摩小屋の水場の水よりも美味しく感じましたね。15:53ころ。


▲七ツ石小屋です。この小屋は素泊まりだけのようですね。素泊まりで4000円です。いつか泊まってみたい小屋ですね。15:57ころ。


▲登り尾根沿いの登山道に入っています。ここは片倉谷遡行後上がってくる山道の出口にあたります。看板が立っていて、「通行止め 登山道では有りません」と書いてあります。16:36ころ。


▲堂所(どうどこ)だと思います。16:45ころ。
これも宮内敏雄氏の本から引用しましょう。
「中間の尾根筋の平に堂所の小名がある。昔はお籠の小屋でもあったのかと惟われるが、七ツ石様の祭日のときは此処で丁半があったなぞの譚もある」


▲山を下るにつれ植林が増えて来ました。ここの杉ですが、何か奇妙ですよね? そう、枝払いをしていないんです。間伐はしているようですから、意図的に枝打ちしていないのかもしれません。ただ放置しているだけかもしれませんが。16:46ころ。

登山道を歩いていると、道の脇で若者二人が休憩しているようでした。僕の前を歩く単独の登山者に何やら話しかけています。バスの時間でも聞いているのかな? と思いながら、僕も通りかかります。すると、
「さっき200mほど下の登山道で小熊を見たんですよ。怖いんで、僕たちここで待ってるんです」
と言います。でも、僕の前の登山者はそのまま進んでしまっています。
「他に行っちゃった人はいるの?」と聞くと、もう少し前に二人の登山者も下山して行ったそうです。小熊を発見してから時間もそれなりに経っているようですし、先行者も大丈夫だったようです。
「そうですか。じゃあ僕は注意しながら進みますね」と言って、左右の山の斜面に注意を払いながら、口笛を鳴らしたり、歌を歌ったりしながら歩きました。

小熊のそばには必ず母熊がいるはずです。母熊は小熊に危害が加えられないか、ピリピリと神経を昂らせていますから、危険な存在です。山野井氏がクマに襲われたのも、山道をジョギング中に偶然、小熊と母熊の間に位置してしまったからです。


▲その後すぐに、あの若者二人も下山を始めました。写真に写っているのがその二人。16:52ころ。


▲標高1150mのちょっと平らになった場所に、このような掲示がありました。以前はなかったものです。鴨沢バス停までは1時間5分となっていますから、まだまだ余裕ですね。さらにゆっくり歩くことにします。17:04ころ。


▲フタリシズカの群生。このあたりは他にもたくさん群生していました。17:18ころ。


▲登山道沿いに廃屋が現われ始めます。誰が何のためにお賽銭を置いて行くんでしょうね? 17:44ころ。


▲隣りには「大山祇神(おおやまつみ)」が祀られていました。伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)との子で、山屋にとっては山の神様ですよね? ほとんど気にしていなくて、神様には申し訳ないのですが。お賽銭の中には100円玉も多く、ますますどういう気持ちで置いて行くんだろうと、考えてしまいます。17:44ころ。


▲昔の畑の跡です。17:49ころ。


▲人が住んでいたころは立派な屋敷だったんだろうなぁと、感じさせる廃屋でした。17:50ころ。


▲ヤマゴボウです。実が大きくなっていてもその房は垂れて来ません。17:55ころ。


▲暗くて写真はぶれていますが、僕の好きな花のひとつ。トリアシショウマだと思います。17:57ころ。


▲林道に飛び出ました。18:04ころ。

超ゆっくり下山してきましたけれど、堂所からのコースタイムとちょうど同じ時間でした。


▲鴨沢の集落と奥多摩湖が近づいてきました。18:26ころ。


▲鴨沢バス停です。バスの時間の10分前くらいの到着です。18:29ころ。

今日は天益には寄りませんでした。最初から夕食は家で食べることにしていましたから。でも、これほど遅くなるとは思っていませんでしたから、ずいぶん遅い時間の夕食になってしまいました。

それにしても、登山の脚力、とりわけ登りでの脚力が衰えていると分かりショックです。もっと自分のペースで長い時間歩く必要性を強く感じた今日の山行でした。


久し振りの単独山行! ヨモギ尾根から七ツ石山 1/2 ――― 意外に長く辛かったヨモギ尾根

2015年07月04日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/25  ここのところ諸々の事情があって、S子とばかり山に登っていました。S子とともに登る山は精神的なストレスなしにリラックスできるので、とても心地よい山行になります。でも、S子の体力や技術力も年齢には勝てません。大怪我から奇跡的に復活した(と言っても5割ほどですが)体力やクライミング能力も、ここのところ衰えが目立つようになりました。

前々から実行しなくちゃと考えていました。自分自身の体力に合わせた山行を。
そんな山行をやっと実行するチャンスに巡り合えたのです。梅雨時の少ない晴れの日、僕には仕事がなく、S子には用事のある日。気兼ねなく単独山行を実行できます。

選んだコースは ヨモギ尾根~七ツ石山~登り尾根下降 です。
このコースにした理由はとくにはないのですが、強いて挙げれば、塩沢遡行開始点あたりにいい天場がないか、見てみたかったのです。塩沢にはまだ入渓したことがありません。入渓するときは出合付近にビバークして実行できればと考えていました。


▲鴨沢西バス停です。本当はもっと早い時間に来たかったのですが、平日のバスダイヤではこの時間になってしまいます。9:23ころ。


▲お祭バス停を過ぎるとすぐに、後山林道が分かれています。9:40ころ。


▲平日だからでしょう。ダンプがけっこう何台も行き来していました。しかも、土砂を積んで林道へ入って来、空にして林道から去って行きますから、工事現場はこの林道の奥のようです。9:59ころ。


▲ヨウシュヤマゴボウだと思います。10:07ころ。


▲こんなゲート、つい最近まではなかったはずです。何やら本格的な工事が行われているのでしょうか? 10:13ころ。


▲ありました。山が崩れていますね。これは確かに大変です。後山川を挟んで対岸でもこれ以上の崩壊が起こっています。10:24ころ。


▲途中もう1ヵ所で道路拡張工事が行われていました。そしてここは、塩沢の出会い。塩沢林道が分かれています。10:56ころ。

後山林道入口からここまでのコースタイムは1時間45分です。それを1時間15分くらいで歩きました。途中、所用もこなしてでしたから、まずまずいいペース。


▲塩沢林道と塩沢。10:57ころ。


▲ヨモギ尾根の登山道入り口です。「奥後山を経て雲取山方面(ヨモギ尾根から奥多摩小屋)」との表示があります。11:05ころ。

右に見える林道はこの先ですぐに終わっています。そこから見える範囲での沢中にはいい天場は見えませんでした。林道終点付近の広場くらいのものでしょう。
ちょっと休憩して、さあ登山道です。


▲この山域には割と多く山道が通っています。ここも登山道の他に巡視道(おそらく東京都水道局の水源林巡視道)が分かれていました。11:27ころ。


▲木の橋もこのあたりでは3ヵ所くらい続きました。新しい橋です。11:33ころ。


▲尾根の下の方では植林も広がっています。11:44ころ。


▲どんな作業なんでしょうか? 山仕事(多分、林業)用なんでしょう。作業道が下へ分かれていました。三条の湯方面だそうです。12:03ころ。


▲マタタビの花の蕾です。12:06ころ。


▲西向きに続いていた登山道の向きが変わっています。東向きに進んでいます。12:36ころ。


▲ほんの少しですが、水が溜まっている場所がありました。ヌタ場にはなっていないようですが、貴重な水場なのでしょうか? 右の岩からしみ出しているようです。12:37ころ。


▲植林も次第に減り、美しい森が広がり始めています。12:39ころ。


▲輪状に同じ木が並んで生えていました。大きな切り株から芽吹いたひこばえでしょうか? 12:51ころ。


▲先ほどから尾根がらみに登山道が通っていましたけれど、もう完全に尾根沿いの道になっています。気持ち良い森の中の尾根道。12:53ころ。


▲枯れた笹薮が出て来ました。このあたりもシカが多いでしょうから、シカの食害です。奥多摩の笹が回復するのは何時になるのでしょう!? 13:26ころ。


▲奥後山1466.4m山頂です。三等三角点なんですね。13:32ころ。


▲奥後山は何の変哲もないピークです。見晴らしも良くありませんし、遠くから見てすぐに分かるような形でもありません。13:32ころ。

奥後山は何と読むのでしょう? ネットで調べても読み方はどこにも書いてありません。多分「おくうしろやま」だとは思います。何故なら、麓の川は「うしろやまかわ」ですし、林道も「うしろやま林道」ですから。
推測ですが、そもそも後山川自体は丹波山(たばやま)集落の住人が付けた名前だと思います。丹波山の裏山である天平(でんでいろ)尾根のさらに裏(後)にある川ですから。その天平尾根から眺める際に、後山川の奥に控える山としてこの奥後山がど~~んと見えるのではないでしょうか? いつかそういう気持ちで、奥後山を天平尾根から眺めるチャンスがあることでしょう。


▲北西方向の山並みが開けて来ました。雲取山と飛龍山の間の稜線でしょう。三ッ山1949.3mから飛龍山2077mあたりだと思います。13:35ころ。


▲さっきからだいぶん標高を上げました。西方向を望むと、飛龍山が見えています。14:11ころ。


▲尾根の形や尾根の植生もときおり変化します。この写真の木はツガでしょうか? 僕には分かりかねます。14:25ころ。


▲いよいよ石尾根も間近ですね。14:39ころ。


▲奥多摩小屋の水場。冷たく美味しい水でした。14:42ころ。


▲石尾根の登山道です。雲取山の方向です。奥多摩小屋前の広場が見えていました。14:47ころ。

ヨモギ尾根を歩いていた時から考えていたのですが、石尾根に到着して正式に計算・判断しました。ここから鴨沢までの最短のコースタイムは2時間55分。16:31のバスには間に合いそうもありません。次のバスは18:38ですから3時間50分もあります。最初の予定通り、七ツ石山に登頂してから下山することに決定しました。

それにしても塩沢林道入口からここまで休憩込みで3時間50分かかっています。標高差が1040mあります。コースタイムが記載されていないので、近くの他の登山道で比較してみました。後山林道終点から三条の湯、水無尾根経由で雲取山山頂まで標高差は約1090mで、コースタイムは3時間30分。けっこう頻繁に休憩もしていますから、3時間50分というタイムは、決して速くはありませんが、遅いわけでもありません。
ただ、遅くとも14時までには石尾根に到着し、16:31のバスには間に合うはずと楽観していました。でも、予想以上にスピードが上がりませんでした。昨年の夏、北アルプスの槍ヶ岳に至るウェストンルートを歩いた時のような身軽に駆け上って行くような感覚がありませんでした。失われていました。(その時の記録です。興味のある方はどうぞ)

http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/c/bb44d64430ce08df3b31ecb150ebe133

疲労のせいなのでしょうか? 登りで足が上がりにくくなっていました。スピードも当然上がりませんでした。

僕にとってはかなり問題です! もっとスピーディーに歩けるように鍛え直さないといけません。


境集落から小中沢中流へ至る山道を探索 2/2 ――― 林道並みの山道が遺っていました

2015年06月28日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/13  2年前に遡行した小中沢の未遡行部分を遡行するため、そこへ至るアプローチの山道を探索しに行きました。国土地理院のネット上の地形図ではすでにこの道は無きものになっています。それでも、「多分まだ残っているさ」と、軽く考えて来てみましたが、やっぱり簡単にはいきません。完全に道を失ってしまいました。


▲僕がいま、自分の現在位置だと考えている場所です。矢印で示されたあたり。すぐそばにわずかに沢状の地形があり、なだらかな尾根状部分も西方に見えています。
斜面の踏み跡っぽい場所を登り、右手のなだらかな地形に目を光らせました。


▲写真をクリックすると拡大されます。


▲すると、沢状地形の先にこんなところが見えました。山道です! 幅広の山道です! 11:13ころ。


▲疑い深かったS子もこんな感じの歩き易さが何分も続くと、これが山道だと信じてくれました。11:18ころ。


▲ススキの原が終わっても、この山道は続いています。しかもこの広さ! 林道並み! 11:28ころ。

と思っていたら、すぐにこの幅広山道は消滅・・・・ ガッカリ・・・・


▲とはいえ、沢の水音が聞こえています。小中沢です。適当なところから沢めがけて下降しました。11:36ころ。


▲S子の後ろの小中沢を渡り、こちら岸の広い場所で休憩しました。11:41ころ。

この場所は記憶にあります。2年前はこのあたりで遡行終了し、三ノ木戸(さぬきど)へ上がったのです。

境集落を離れ小中沢中流につながっているはずの破線の山道は廃道になっていました。一部分はまだ残っていましたが、あまり利用価値はなさそうです。この場所へ来て、ここからさらに上流を遡行するためには三ノ木戸林道を利用した方が短時間で来れますし、確実です。
それが分かっただけでも、大いなる収穫ですね。


▲休憩後、今度は反対側(小中沢左岸)を登って行きます。写真の真ん中あたりに左右にモノレール軌道が見えています。さっきの軌道とはつながっているのでしょうか? さらに境集落とはつながっているのでしょうか? 12:11ころ。


▲モノレール軌道も登って行っています。このあたりはまだ山道は明瞭ではありませんでしたが、歩き易いので、とにかく上へ行きました。12:19ころ。


▲大きな岩場がありました。少し道もはっきりしてきます。12:21ころ。


▲山道を右へ辿り、山の斜面を回り込むように登って行くと、三ノ木戸集落の廃屋が次々見えて来ます。12:37ころ。


▲集落から人の姿がなくなると、神様はどうなるのでしょう? 12:37ころ。


▲山道を登っていると、上方からモノレールが動く音が聞こえて来ました。そして、このモノレール操車場に着き、レールに手をかざすと姿は見えませんがモノレールが遠ざかる音が手のひらを震わせます。12:39ころ。


▲本当はここから石尾根へ登り、石尾根を下りながら今度は寺地集落への山道を探索するつもりでした。でもこの看板です。「この先、歩道崩壊のため通行できません。2014.7.7」
通行できないことはないと思いますが、境集落から小中沢中流までの山道探索ができたので、正直な気持ち、とりあえずの満足感を得てしまっていたのです。
ですから、今日はこれで終了。です。12:39ころ。


▲ここ三ノ木戸林道終点は見晴らしの良い場所です。おそらくですが、写真中央の2本杉とその左の1本杉の間あたり、ハンノ木尾根下部を越えて来たのだと思います。12:42ころ。


▲スイカズラ。「吸い葛」の意味だそうで、甘い香り同様、花を口にくわえて蜜を吸うところから名前が付いたとか。英語でもhoneysuckleと呼び、口にくわえて蜜を吸っていたらしい。12:49ころ。


▲鋸山と鍋割山の中間にあるピークは天地山でしょうね。12:51ころ。


▲三ノ木戸林道終点。いつも車はこんなに停めてありませんが、今日は大勢で山仕事にでも来たのでしょうか? 13:01ころ。


▲小中沢を挟んで対岸の尾根から見えていた三ノ木戸集落の建物がこれです。立派な茅葺き屋根の屋敷。下から見上げるようにしか見えませんから、その大きさを写せませんが、とっても大きな屋敷です。13:02ころ。


▲三ノ木戸林道を歩いていると、境橋が見えました。橋の右端でバスから下車し、その手前に見える道に入って来たのです。そして草地に沿って右に上がって行ったという訳。13:15ころ。


▲ニガイチゴが林道脇にありました。さっそく二人でつまんで頬張ります。わずかに苦みがあるのですが、さほど気にはなりません。13:17ころ。


▲林道から離れ、山道に入ります。13:40ころ。


▲再び林道に出て、町に入りました。対岸にマタタビが白く点々と広がっていました。マタタビの綺麗な花が咲くころです。14:06ころ。


▲奥多摩の集落(大氷川)が見えて来ました。14:09ころ。

天益へ直行します。暖簾はまだかかっていません。でも、女将さんもご主人もおられます。
第一声は「こんなに早くもう降りて来たの?」です。こんなに早く降りてきたことはありませんから、びっくりされても当然ですよね。お二人ともまだお昼を食べておられなかったようで、お二人の昼食用のソーメンの御相伴にあずかりました。
他のお客さんは来ません。お店が開いていないのですから当然です。お二人の昼食が終わり、暖簾が垂らされます。それでもまだ時間が早いので、なかなかお客さんは来ません。
やっと常連さんの登山グループが来て、僕とS子はそろそろおいとま。

地図読みはそんなに上手い方ではないのですが、今日は運良く上出来でした。時々はこんな地図読み山行もあると楽しいですね。

この道を歩いてしばらくは、二度とこの道を歩くことはないだろうと思っていました。でも、徐々に考え方感じ方が変化しつつあります。今回は山道を探しながら歩きましたから、時間がかかったのは当然! これからはルートファインディングに迷うことはないのですから、時間もさほどかからないでしょう。
振り返ってみても、歩き辛い箇所は電信柱沿いの、しかも、自然林の部分だけなのですから、他はルートさえ正しく選べば歩きにくくはないはずです。
三ノ木戸林道経由より、短時間で行けるでしょう。距離もずっと短いのです。と言うわけで、近々、ルートを忘れないうちに小中沢上流部遡行のためにこのルートを活用しようと思います。
本当かな?


境集落から小中沢中流へ至る山道を探索 1/2 ――― 途中で山道は消え失せ・・・・

2015年06月24日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/13  2年前の6月6日にS子と二人で小中沢を遡行しています。その年最初の沢登りだったこともあり、中流で遡行をやめ、三ノ木戸(さぬきど)へ出ました。その際の記録は
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/f2e591be8b0a57eb05c109c4f78fcca5
を参照してください。

小中沢の未遡行の部分を遡行してみたいと思っていたのですが、そのためには下流から一気に源流まで遡行するか、或いは中流まで山道を利用して入り、そこから遡行するかのどちらかです。


▲2万5千図を見ると、バス停のある境橋から小中沢の中流目指して山道が延びているではありませんか! これを利用しない手はありません。
ただし、ネットで国土地理院の2万5千図を見ると、この山道はもう出ていません。ハンノ木尾根の六ッ石山へつながる山道はまだ書かれている(写真中央のの左右に延びている破線の山道)のですが、途中で分かれ、小中沢、三ノ木戸へつながる山道は書かれていないのです。
実際に行って調べるほかありません!


▲写真をクリックすると拡大されます。

習慣となっている最寄り駅7時台の奥多摩行に乗車します。でも、今年から土日はそれがホリデー快速になりましたから、登山客で溢れています。奥多摩駅から乗るバスも臨時便を出さねばならないほどで、とても混みます。
僕もこの年齢になってくると、登山客で満員の電車やバスに運ばれて登山口に着く、そんなアプローチがだんだんと嫌になってきています。若いころは登山そのものに対しても攻撃的な精神でしたから、何とも感じなかったのですが、今では家を出てから登山口に立つまでも、山歩き同様、ゆったりとした時間に浸っていたいのです。
と言うわけで、今後は1時間以上早い電車で来ようかなぁと考えたりしています。


▲境橋バス停で下車し、境集落へ向かいました。この道は奥多摩むかし道です。8:40ころ。


▲2万5千図を見ながら六ッ石山へ続く山道への入り口を探しました。古いですが、標識がありました。8:44ころ。


▲2万5千図でも上の方に建物記号がありますから、この道は生活道路だったようです。8:45ころ。


▲廃屋です。手入れすればまだ住めそう。9:04ころ。

この先で休憩しました。電車でもバスでも立ちっぱなしでしたから。


▲左右の土地は以前は畑だったのでしょう。S子がくぐっているのはモノレール軌道。境集落が始点です。9:33ころ。


▲またも廃屋です。9:41ころ。


▲モノレールの駅なんでしょう。廃屋の住人が使っていたのでしょうね。9:42ころ。


▲標識があると少し安心します。9:45ころ。


▲植林の中ジグザグに登って行きました。まだ生活道なのでしょう。幅広のしっかりした山道です。9:53ころ。


▲この日僕が歩いた中ではいちばん高い場所に建っていた家です。もちろん廃屋。ここを過ぎると、山道は狭くなり、路肩も弱い普通の山道になりました。10:01ころ。


▲2万5千図の575m標高点の西の小尾根上に出たようです。10:01ころ。


▲尾根からは西へと(六ッ石山へと)山道が延びていました。でも、東へは獣道程度の踏み跡しかありません。先ほどの廃屋付近から山道があったようです。地形図でもそのようですし、僕もチラリと確認していました。でも、廃道化しているようなので、ここまで来ました。どうせ下でこの尾根と合流しますから、この尾根を下降することにしたのです。実際に下降すると、写真程度の状況。楽勝で下れます。10:06ころ。


▲尾根筋のわずか下に小さな祠が並んでいました。今では誰もお世話をしていない祠のようです。昔はこの辺りまで日常の生活圏だったのでしょう。10:09ころ。


▲最近は整備された普通の登山道を歩くことが多かったので、S子も久し振りの感覚に戸惑っているようです。10:11ころ。


▲確信は持てませんが、2万5千図で破線の山道が北西に延び始める地点がここのようです。電信柱があり、かすかな踏み跡と電線の延びている方向が一致していました。10:14ころ。


▲写真中央、かすかに山道らしきものがあること、分かるでしょうか? この道を進みます。10:21ころ。


▲その消えそうな山道は電線にほぼ沿っています。次の電信柱が見えています。その電線の下に消え入りそうな山道があるのです。でも実際は、10人中9人までは「道なんて全然ない!」と叫ぶでしょうね。
この写真では確認しようがないでしょうけれど、右に見えるススキの穂のちょっと左に三ノ木戸集落の一軒の大きな屋敷が写っています。そこまで行きたいのです。10:27ころ。


▲誰もここに道が通っているとは思わないっでしょう。10:33ころ。


▲植林に入りました。下草がない分、歩き易いですね。電信柱もしっかりとあります。それに沿って歩いて来たのですから。10:35ころ。


▲ぬた場がありました。動物の足跡らしきものも見えます。10:38ころ。


▲誰かが山仕事している音が少し離れた上部から聞こえて来ています。写真の岩の下は雨宿りくらいなら出来そうな岩屋になっています。この付近までは電信柱に沿って歩いて来ましたけれど、電信柱は僕の行こうとしている方向よりも右下へと向かっているようです。2万5千図では多分このあたりから少し標高を上げながら山道は通っているはずです。この岩を巻くように歩き、どこらへんで標高を上げようかと考えていました。10:43ころ。


▲ヤマゴボウだと思います。普通よく目にする「ヤマゴボウ」と呼んでいるのは「ヨウシュヤマゴボウ」のようですね。ヨウシュヤマゴボウは帰化植物で花の房は垂れています。このヤマゴボウは花の房が立っています。
御存知だとは思いますが、商品としての「ヤマゴボウ」はアザミの仲間の根だそうです。ちなみに、ヤマゴボウは有毒植物。10:43ころ。


▲また、モノレール軌道が現われました。境集落からつながっているレールでしょうか? 少しずつ標高を上げています。10:47ころ。

それらしき道なき道(僕でも道だとは思えません)を進んでみました。案の定、どうしようもなく行き詰ります。地形図を読み直し、周りの地形を眺め直し、もう少し標高を上げるべきだと判断しました。


▲で、道なき道を・・・・ 道なんて全然ないぞ~っ! 枯れた笹薮を漕いで標高を上げていきます。10:53ころ。

僕にとっては久し振りの地図読み山行です。高度計を持って来ていたのですが、高度を合わせ損ねたようで、信頼できません。
同じ地図読み山行でも沢筋を進んだり、尾根を歩いたりするのならば、地形が分かりやすいので比較的地図読みも楽なんです。でも、今日のように昔の山道、ほぼ廃道になった山道を探しながら歩くのは非常に難しい。山腹を巻くように山道が付いている箇所などでは、10m離れてしまうだけで分からなくなってしまいます。
だいたいの現在位置は分かっているつもりです(本当はその分かっているつもりが、いちばん危ういのですが)。目の前の支尾根状のなだらかな箇所の左端あたりに山道があったのではないか? そう考えました。もし、そこに山道がなかったならば、小さな尾根をそのまま突き上げてハンノ木尾根に出るしかないな、と考え始めてもいました。


時坂峠から浅間嶺、いにしえの生活道を歩く 2/2 ――― アップダウンの少ない歩き易い尾根道でした

2015年06月10日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/15  S子のリハビリ山行として歩いたこのコースでしたが、とても歩きやすい登山道だったこともあったのでしょう、S子には何の問題もありませんでした。いいことです。


▲浅間嶺を出てからも尾根の北側に登山道がついていましたから、同じように新緑の森も続いていて、日陰の心地よい山道です。12:53ころ。


▲木の名前を調べるのは、僕には難しすぎます。この写真の木も名前は分かりません。でも、この特徴的な木の生え方は何でしょう? おそらくある時期にこのあたりの木が皆伐され、ほったらかしにされていたのでしょう。ひこばえが切株からたくさん芽生え、それでこんな形の木になったのでしょう。13:01ころ。


▲嵯峨源氏の流れをくむ渡辺綱(わたなべのつな)が羅生門(羅城門)で切り落としたとされる鬼女の腕に、この花を見立てたのだそうです。腕の形や色に見立てたのでしょうか? それとも、その妖艶さや奇怪さに見立てたのでしょうか? 僕には後者のように感じられます。でも、よく見ると、とても艶やかで綺麗な花ですよね。そんなラショウモンカズラの群生地が登山道脇にありました。13:04ころ。


▲すぐに植林の伐採地がありました。またスギ等を植林するのでしょうか? 13:12ころ。


▲コバノガマズミでしょうか? 13:26ころ。


▲登山道のずっと下に何やら小さな水たまりが見えました。写真は望遠で撮ったものです。こんな尾根の近くに水があるとは! 動物にとっては貴重な水場なのではと思います。13:30ころ。


▲これまで登山道は尾根の北側についていたのですが、このあたりからはほぼ尾根に通るようになりました。13:39ころ。


▲浅間石宮。浅の字は薄くなって読めませんね。13:48ころ。


▲これが浅間石宮のようです。なにやら由緒があるのでしょうが、分かりません。13:48ころ。


▲ついに浅間尾根の南側斜面に登山道が付くようになりました。でも、日陰が多いのでそれほど暑くならず、助かります。13:51ころ。


▲この斜面の上に一本松930.2mの山頂があるのでしょう。もともとはこの付近に周囲から目立つ一本杉でも生えていたのでしょうか? でも、この標柱のカッコの中は「一本桧」と読めるような気もするのですが・・・・ 13:57ころ。


▲ガクウツギだと思います。14:34ころ。


▲広葉樹林の森になると、気分も良くなりますね。コナラでしょうか? 巨木も見えていますね。14:35ころ。


▲何てこともない道端の岩に「サル石」と名前が付いていました。この看板の下の行にある通り「昔ここは、檜原村本宿と数馬を結ぶ重要産業道路」だった訳ですから、こんな岩にも名前を付けて、目印にしていたのでしょう。
サルの手形はよく探しても見つかりませんでした。14:37ころ。


▲これは馬頭観音でしょうか? 14:45ころ。


▲ミツバツチグリだと思います。14:47ころ。


▲右の文字が「馬頭供養」と読めますから、馬頭観音ですね。どんな方がお供え物をしたのでしょう。14:49ころ。


▲時間的に数馬峠(藤原峠)を回ると少し余裕が持てなくなりますから、数馬分岐で浅間尾根から離れることにしました。でも、しばらくは広葉樹林のなだらかな登山道です。14:55ころ。


▲山道から舗装された車道に出て来ました。15:17ころ。


▲民家やバス道路が見えて来ました。15:34ころ。


▲浅間尾根登山口バス停がすぐ近くだったのですが、時間があったので、ひとつ先のバス停まで歩くことにしました。途中の道路から下流を眺めました。次のバス停はどこでしょう? しばらくはありそうでないですよね。15:46ころ。


▲「数馬下」バス停に到着です。少し待ってバスが来ました。15:51ころ。

今回の山行でS子の腰は大丈夫でした。一週間もすると、熊本に行かなければなりません。二週間ほど滞在する予定です。東京に戻ってきたら、今度は易しい沢登りをしたいと思っています。