ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

山抱きの大カシから登り、金比羅山の頂上を確定し、変な支尾根から樽へと下山 2/2

2015年04月02日 | ハイキング/奥多摩

2015/03/22  南沢山山頂で休憩しながら地形図を確認してみると、この南沢山は金比羅尾根の稜線上のピークなのですね。金比羅尾根登山道とは離れているので、尾根からも離れていると早とちりしていましたが、南沢山こそが金比羅尾根であり、登山道は尾根上のピークを巻いているわけです。


▲登山道に合流する直前で送電鉄塔をくぐりました。新所沢線13号だと思います。12:43ころ。


▲金比羅尾根登山道と合流しました。山抱きの大カシもしっかり表示されているのですね。12:47ころ。


▲スゲの仲間です。カンスゲなのかなぁと思いますが、よく分かりません。12:50ころ。


▲金比羅山へ近づきました。ここは468mピークです。地形図上で金比羅山と書かれている文字の一番近くで一番標高が高い地点です。ここの468mを金比羅山の標高としている記述はあちこちで見受けられるのです。
本当にここが金比羅山なのか確かめるために、僕は初めてこのピークを踏んでみました。登山道からわずかに離れているピークですし、見た目はほとんど尖っていないピークなので、ピークとして踏みしめる価値をあまり感じることができません。
実際にここへ来てみての第一印象は、個性も特徴も感じられないこと。金比羅山という名前にふさわしい、仏教関連のものがないかと探しましたが、それもありません。
僕の結論は、ここは金比羅山ではない。誰しもがそう結論づけるでしょう。13:24ころ。


▲登山道の分岐点に来ました。右へは「金比羅山 便所あり」となっています。標識レベルでは先ほどの468mピークを金比羅山だとは認識していないようです。左へ下っている登山道は「武蔵五日市駅」へ行きます。右へ行っても「武蔵五日市駅」となっていますから少しの違いでしかありません。
ところが、S子が立っている真ん中の道もあるのです。標識には記されていないのですが、真ん中の道は尾根通しの道です。そこを進むことにしました。13:45ころ。


▲その尾根はすぐに大きな岩に行く手を塞がれました。13:46ころ。


▲その岩を左から回り込み、岩の上を見てみると、お地蔵様でしょうか? 祀られています。13:47ころ。


▲「寛政」の年号が読んでとれます。1789~1801年ですから、200年以上昔のもののようですね。13:47ころ。


▲縦に写した写真をちゃんとブログに載せる方法があるはずですよね!? 首を90°傾けて見てください。
大きな岩はまだ続きます。今S子がいる場所をクライムダウン。13:49ころ。


▲岩場を2、3個通過して、この岩の右側を向う側から越えて振り返ると、小さな祠がありました。13:55ころ。

そして上の写真を撮っている僕の背中側には琴平神社が建っているのです。


▲そして、山名標識が。どう考えても、このあたり、岩場のあるあたりかもしれませんし、神社の建っている場所かもしれません、この一帯が金比羅山でしょう。自信をもって僕は断言します。
ですから、標高は468mではありません。470とか420とか小さく書かれていますけれど、いったいどこのことを指しているのでしょう? わけが分かりません。正式に測量はしてないようですから、何とも言えませんが、金比羅山は標高450mということで、ほぼ正しいでしょう。13:56ころ。


▲琴平神社です。隙間から中を撮影すると、小さいですけれど立派な神社がありました。13:57ころ。

いつもならこのまま金比羅山山頂付近の公園経由で下山するのですが、今日は別コースから下山します。それは先ほどの金比羅山ではありえないと断定した468mピークから東へ延びる支尾根を下るもの。里山ですから、尾根にはほぼ確実に山道は通っています。その道があることも先ほど確認済みです。


▲S子が立っている山道から左手前へ468mピークに上がれます。そして、向うへ続いている山道が468mピークの東尾根です。14:07ころ。


▲標高450m付近で支尾根は微妙に右へ曲ります。まっすぐ行きたくなるところですが、右の踏み跡もしっかりした山道、右へ入ります。14:13ころ。

途中、再度の休憩をとりました。


▲狸のため糞でしょうね。14:45ころ。


▲尾根の左下に伐採地が広がっていました。今朝、深沢集落の穴澤神社の先で見た伐採地です。下方に朝歩いた道路も見えています。14:52ころ。


▲伐採地からふたつ目のピークがここです。地形図では335m標高点になっています。ここからはほぼ南へ降りている尾根を下ります。15:15ころ。


▲山から下りてくると、まず愛宕神社がありました。そのすぐ下には老人ホームが見えています。15:25ころ。


▲本当にスミレは可愛らしい花です。大好きな花。詳しくなりたい気持ちはあるのですが、種類が多すぎてその区別がつきません。15:33ころ。

いつも立ち寄る、芋焼酎「三岳」をボトルキープしている、五日市の町の音羽鮨。今日はまだ開店していないでしょうから、そのまま駅へと向かいました。

今日は短いコースでしたが、深沢の「山抱きの大カシ」を見物し、南沢山東尾根(仮称)を登り、金比羅山の場所と標高を確定し、468mピーク東尾根(仮称)を下降しました。それなりに充実し、楽しい山行でした。


山抱きの大カシから登り、金比羅山の頂上を確定し、変な支尾根から樽へと下山 1/2

2015年03月31日 | ハイキング/奥多摩

2015/03/22  2月下旬に山を歩いた後、仕事が立て込み、そして、インフルエンザ。
結局、1ヶ月近く山を歩いていませんし、肉体的にも少しグタッとなっていますから、またまた軽めの山歩きを計画しました。僕が山に行かないということは、S子も同様ですから、S子にとっても体慣らしの山歩きが必要です。

2月3日に深沢集落から歩いた際に「山抱きの大カシ」が気になっていましたから、そこから金毘羅尾根へ登るルートを計画しました。それに前々から気になっている金比羅山の本当の頂上はどこなのか? そして標高は? その疑問にも解決案がないかを探ってみようと思ったのです。

実に短いコースですから、家を出るのもゆっくりでした。


▲山里を歩いていると、春の訪れが本格的だということがはっきりと分かります。花があちらこちらに咲き始め、花に目が奪われ、足が止まり、香りをかいだり、腰を屈めたりすることが増えるからです。これはホトケノザ。10:15ころ。


▲その日本語のネーミングはともかく、僕は大好きな花! 緑の草むらに明るい青の星屑をばら撒いたような、春のウキウキ気分を代弁してくれています。オオイヌノフグリ。10:21ころ。


▲我が家周辺の梅はすでに終わりかけていますけれど、山里の梅は今が満開! 10:29ころ。


▲この丸太の人形はいったい何だろう? と前からずうっと知りたかったのです。それがやっと分かりました。「森の妖精ZiZi」だそうです。途中出会った子供に聞いても「森の妖精だよ」と、教えてくれました。どうやら出身は「深沢小さな美術館」のようですね。10:31ころ。


▲今年初めてフキノトウを見ました。本当は摘み取って食べちゃいたいんですが・・・・ 10:48ころ。


▲岩っぽい場所にへばりつくようにスミレが咲いていました。暖かいんでしょうね。毎度そうですが、スミレの名前は難しくてよく分かりません。10:52ころ。


▲この緑の塊がなんだかわかりますか? 左右の長さが60cmくらいはあったでしょうか。こんもりと盛り上がった草の塊。僕もこんなのは初めて見ました。葉の形からすると、ムラサキカタバミだと思います。10:54ころ。


▲ミツマタがほぼ満開で咲いていました。綺麗な花ですよね。11:02ころ。


▲深沢会館のすぐ先で「山抱きの大カシ」を示す標識が現われました。ここから山道を登ります。11:07ころ。


▲この山道は地元自治会とあきる野市の森林レンジャーが協力して作ったそうです。よく整備された山道が続いています。11:09ころ。


▲思いのほか早く、大きなカシの木が見えて来ました。11:14ころ。


▲10m近くある大きな岩のてっぺんにその巨岩を抱きかかえるようにカシの木が根を張っていました。11:15ころ。


▲上に上がって見るとこんな感じ。1本なのか2本なのか気になりますが、迫力のある姿です。11:19ころ。


▲右下にS子の姿が小さく見えています。岩も大きいですし、カシの木も大きいことが分かります。周囲はロープで囲まれていて、立ち入り禁止になっていました。11:22ころ。


▲山道はもう少し上の明瞭な尾根まで作ったようです。その尾根には元から山道があったようでした。里山ですから、植林が続きます。11:42ころ。


▲山道の両脇に壊れた燈籠がありました。この山道は参道だったのでしょうか? 「御神燈」とか「奉納」とか「水左衛門源茂」とかの文字が読み取れます。11:59ころ。


▲地形図には573m標高点として記されているにですが、山名は出ていません。ここは南沢山なのですね。初めて知りました。もう少し先で金比羅尾根の登山道と合流しますから、ここで静かに昼食をとることにしました。12:15ころ。


奥多摩ハイキング入門編の定番 ――― 高水三山を時計回りで 2/2

2015年03月25日 | ハイキング/奥多摩

2015/02/28  岩茸石山の山頂ではほどほどの休憩だけにし、高水山へ向かいました。S子の体調も問題ないようです。


▲標高も低い里山ですから、スギやヒノキの植林が多いのです。そんな中、落葉広葉樹の森があると心がなごみますね。12:59ころ。


▲根っこだらけの山道です。表層の土が流失した結果でしょうから、あまり喜んではいけないのでしょうが、風情があって僕は嫌いではありません。13:13ころ。


▲高水山山頂の小さな祠には同じお札がたくさん奉納されていました。その裏にはいろいろな言葉も書かれています。13:18ころ。


▲高水山はアンテナみたいな塔もあって、山頂らしくありません。13:20ころ。


▲山頂を後にして下ると、すぐに常福院龍学寺に着きました。お寺の裏ではお寺の方が落ち葉焚きをしているようでした。13:30ころ。


▲このお寺はとても古い寺のようです。9世紀の創建だとか。今のお寺は1822年に再建された建物です。それでも、200年近く経っているのです。13:39ころ。


▲ここには浪切白不動明王が祭られているようです。模した刀が飾られていました。荒れた海で翻弄される船の上、一刀をかかげ祈念し、刀で浪を切り払って無事に乗り切った、そんな謂れがあるようです。13:40ころ。


▲この不動堂の前には写真の狛犬が置かれています。通常の獅子ではなく、これはどう見ても「犬」ですよね。耳の垂れた「狼」がいるのでしょうか? 13:40ころ。


▲手入れの行き届いたヒノキ林の中を歩きます。13:55ころ。


▲前方の山道から外れた尾根の上に、魅力的な休憩場所がありそうな、そんな雰囲気を僕に語りかけてくる場所がありました。誘いこまれるようにして、その場所へ登って周辺を探してみると、南向きの、風からも守られたポカポカの小さな空間がありました。
今日最後の休憩、暖かいので寝っ転がったりもして楽しみました。寝っ転がったまま、写真を撮ってみました。でも、この心地よさは写りませんね。14:34ころ。


▲再び下山を始めると、枯れススキの斜面が現われました。昔はここが萱場だったのでしょうか? 14:48ころ。


▲伐採された植林の跡地に広葉樹の苗が植えられているようでした。しかし、写真のように見える範囲でも数十本も倒れています。この白い筒は鹿から喰われる害を防ぐためのものですが、それが逆効果となって風のせいか、昨年の大雪のせいか、倒れてしまったようです。14:54ころ。


▲そろそろ里に出ます。最後に巨大な堰堤が現われました。15:07ころ。


▲里に出ました。15:08ころ。


▲民家のお庭にフクジュソウが咲いていました。15:09ころ。


▲こんなところにありました! あの高水山で見た祠に奉納されたお札です。あるおうちの軒先で無料のお札が置いてありました。自由に持って行っていいのですね。15:11ころ。


▲やなぎの芽です。種類は分かりませんが、薄紅色が綺麗でした。15:12ころ。


▲このあたりの家の庭や道端にはロウバイがたくさん植えられていました。もうほとんどの花は盛りが過ぎ、白っぽく枯れています。かろうじてまだ黄色みが残っていても、この写真程度でした。15:15ころ。


▲高源寺です。15:20ころ。


▲不動明王とかお地蔵さんなのでしょうか? 小さな小屋に囲われて安置されています。どうやら、地元の人々が最近ここに作ったようです。信心深い人々なのですね。15:37ころ。


▲軍畑駅へ到着です。この駅に来ると、いつも亡くなったDちゃんのことを思い出します。15:53ころ。

たまにはこんな人気コースのハイキングもいいものですが、まだまだ自分としては登山者があまりにも多いことに抵抗感があります。山に親しみ始めたころからそうなのですが、僕にとって山へ行くことは山の自然に溶け込むことであったりしますから、出来る限り他の登山者がいなかったり、人工物(登山道も含む)がなかったりすることが重要なのです。沢登りが好きなのも、そのせいだと思いますね。体力が続く限りそういう山登りを続けたいですし、体力が乏しくなってきても、例えば登山者の来ないような山中の秘密の場所(里からは近い)で焚火をして夜を過ごすような山との接し方を楽しみたいと思っているのです。


奥多摩ハイキング入門編の定番 ――― 高水三山を時計回りで 1/2

2015年03月23日 | ハイキング/奥多摩

2015/02/28  前回の日の出山北尾根の山行でS子に腰の疲れが残ったようなので、少し軽めのコースを計画しました。

実に大昔の話ですが、登山を始めたころ、埼玉県に住んでいましたから、最初は奥武蔵の山々を歩いたりしていました。ピークハントにはさほど興味がなかったので(今でもそうですが)、野鳥や山の植物の観察をメインに、同じ山にばかり通っていました。
徐々に他の山にも行き始め、奥多摩の山へも通うようになったのですが、その最初の本格的な奥多摩の山が高水三山だったのです。青梅線で奥多摩駅まで行くとその周辺の山々はすでに"奥多摩ど真ん中”といった感じですけれど、高水三山はやっぱり奥多摩の入り口といったイメージ。標高も低く、里にも近く、易しいハイキングコースです。


▲2週続けての御嶽駅下車。でも、今日は駅の裏手の山に登ります。写真中央は御嶽駅のホーム、その向こうの山は大塚山920.3mでしょう。9:13ころ。


▲このあたりの山でもクマが出没するんですね。9:14ころ。


▲真言宗慈恩寺の境内の左側から登山道に入ります。最初は竹林の中の山道。9:16ころ。


▲すぐに杉林となり、急登が続きます。9:23ころ。


▲最初に現れた送電鉄塔です。ネットで調べると、驚きました。鉄塔を真下から覗くことを趣味として山歩きしている人がいるんですね! この鉄塔は多摩川第三線№5なのだそうです。9:34ころ。


▲この鉄塔は新秩父線№31。点検時に使用するのでしょうか、昇降機も付いています。これをどうやって動かすのでしょうね? 9:56ころ。


▲右から別の登山道が合流しました。沢井駅からの山道です。10:03ころ。


▲JR古里線№29の送電鉄塔です。このJR古里線は以前は奥多摩線と呼ばれていたようです。でもなぜ、JRって付いているんでしょうね? 10:08ころ。

この季節ですから、まだ山には花も咲いていませんし、植林の中を黙々と歩くだけですから、いつもはあまり気にしていない送電鉄塔に注目してみました。ネットで検索してみると、送電鉄塔探索を目的に山歩きをしている人も結構いるんですね。真下から真上を覗いて"曼荼羅”と表現し、その写真のみを収集している人にはその目の付け所に感服しますね。


▲花には出会いませんが、こんな赤い実が目に飛び込んできました。ツルリンドウです。実には花の咢(がく)がまだ付いていますし、枯れた花びらも残っています。10:37ころ。


▲目の前に大きな木が出現しました。一本の木が分かれたのか? 二本の木がくっついたのか? 不思議な木です。近寄ってみると、名札が掛けられていました。「御神域 しめつりの御神木 青渭神社」と書かれています。ここからが青渭(あおい)神社の神域になるのでしょうか? 「しめつり」とはどういう意味なんでしょう? 分かりません。10:41ころ。

御神域に入ったせいなのでしょうか! ここで神隠し!! S子とはぐれてしまったのです。
ツルリンドウやしめつりの御神木を撮影していた僕とS子の距離が開いてしまっていました。S子に追いつこうと僕は先を急ぎましたが、S子の姿がいつになっても前方に見えて来ません。こんなに追いつけないのはS子がこの道を歩いていない、別のルートへ行ったということだと判断せざるを得ませんでした。
その前からひょっとしたらとは思っていたのですが、御神木の場所から登山道は尾根の右へ巻き気味についていました。僕もちょっと引き込まれかけたのですが、尾根沿いにも踏み跡があったのです。きっと尾根を行ったのに違いありません。
そうだとしても問題になるのは、御神木のところに戻るのか? 上まで行って尾根との合流点、もしくは山頂で待つのか? ということです。尾根筋のルートも観察できる限りでは途中に岩場もあるようですし、比較的早めにそこが登山道ではないと気付くはずです。で、S子はきっと戻るはずとの結論に。僕は登山道を引き返し始めました。
御神木に近づくと、S子の声、そして姿が。男性登山者と話しています。
僕の予想通りでした。
まあ、その時の状況次第だとは言え、山中ではぐれた場合は互いに見失った場所まで戻る、というのが基本です。それ以前に、互いの姿が見えなくなるほど離れないことが大切ですよね。
今回は御神木の場所から登山道が右に進んでいることに気付かなかったS子が尾根道に入ってしまったのですが、もし、右にも道があることに気づいていたら、きっとこの分岐で待っていたことでしょう。


▲惣岳山山頂のすぐ手前で、写真のような祠がありました。この下からは水が少しですが湧いているようです。この時期は冬の渇水期の続きでしょうから水は少ないですが・・・・
"青渭の井”と呼ぶそうです。"真名井”とも呼ばれるようですね。
青渭神は水神だそうですから、山頂の青渭神社と関係があるのでしょうか。11:09ころ。


▲惣岳山山頂に到着です。正面に見えるのは青渭(あおい)神社。11:17ころ。

青渭神社は多摩地域に3社あって、ここの他には稲城市と調布市にあります。
この山頂は奥宮で麓に近い沢井に里宮があります。
創建は3~4世紀とも伝えられているようですが、古いことだけは確かなようですね。10世紀に源経基が社殿を造営したとも伝えられています。


▲神社は鉄網に囲まれて直接触れることはできません。網の間から見ることのできる木彫りの絵を写しました。小川を挟んで左に人物、右下にカエルがいるようです。何かの寓話の一場面なのでしょうか。11:19ころ。


▲もうひとつの木彫りの絵は右に少年のような人物、左上に鳥だと思いますが、頭がもげているようです。下には波があるのですが、そこに何やら貝なのか玉なのか、ありますね。11:19ころ。


▲惣岳山の山頂は広いのですが、日陰が多く寒そうでしたし、まだ昼前でしたから、もうちょっと先まで足を延ばすことにしました。山頂のすぐ先で急降下する箇所がありました。先行している若い男性たちのパーティーはまだ登山経験が浅いようで、特にそのうちの一人はこの下りにビビっています。お尻を地面にこすりつけながらズリズリと下っていきます。写真のS子や上の男性のように後ろ向きに歩けばいいのですが、そんな方法も知らないようです。11:30ころ。
僕はと言えば、前向きに、階段を降りるように、余裕で下れましたよ。えっへん!
岩登りもやっているのですから当たり前ですけれどね。


▲登山道の西側が開けて来ました。中央に見える山は奥多摩駅のすぐ裏に聳える本仁田山1224.5mでしょう。その左、遠くに見えているのは鷹ノ巣山1736.6mでしょうか? 写真右奥にちょっと見えている山は天祖山1723.2mだと思うのですが・・・・ 11:32ころ。

登山道沿いの暖かい場所でお昼にしました。


▲中央遠くに見える一番高い山が大岳山1266.5m。その手前には御岳の集落やケーブル駅、リフト駅、神社や奥ノ院などが見えています。11:57ころ。


▲遠くに見えているなだらかな山並みは大菩薩の連嶺だと思います。11:58ころ。


▲目を近くに転じると、次のピーク岩茸石山(いわたけいしやま)793.0mが見えています。左端の山ですね。そこから歩く尾根も右へと続いています。12:04ころ。


▲岩茸石山に近づくにつれ、岩の多い登山道になります。12:21ころ。


▲山頂がすぐそこになってくると、粘土っぽい土が融けた霜柱で泥になって、ぐちゃぐちゃです。12:29ころ。


▲岩茸石山793.0m山頂から西方向を望みました。12:30ころ。
川苔山1363.3mがどっしりと大きな山容を見せています。川苔山の手前には真名井沢がよく見えています。入門の沢ですが、数えきれないくらい通った沢です。この真名井沢を挟んで右の尾根は真名井北陵、左の尾根は赤杭(あかぐな)尾根です。
大ダワの凹みの向こうに雲取山2017.1mが顔を出していました。
本仁田山も目立つ山容ですね。その左には雲取山からつながる石尾根が見えていました。


▲広い山頂です。本当の山頂はあそこ。12:31ころ。


▲川苔山が左端に見えています。その右(北)に広がる山並みです。棒ノ嶺や黒山が見えているはずですが、どれがどれなのやら・・・・ 12:31ころ。


▲さらに右側を写しました。ほぼ北側でしょうか。黒々とした尾根は東京都と埼玉県の県境尾根だと思いますが、その向こうに広がる低い山々は奥武蔵です。特徴もあまりありませんから山座同定は難しいですね。12:32ころ。


▲広々とした山頂も休憩できる場所は限られています。というのも、霜柱が融けたせいでしょう、泥だらけなのです。先にいた登山者があまり泥の影響を受けていないベンチを譲ってくれました。12:42ころ。


▲これから向かう高水山759m方面を望みました。高水山も見えています。12:43ころ。


▲泥だらけになった僕の靴。12:43ころ。

写真にはあまり写っていませんが、山頂はもちろんのこと、登山道でもものすごくたくさんの登山者と出会いました。さすがに奥多摩ハイキング入門コース。人気の高水三山ですね。
普段は登山者の多いコースは避けるのですが、S子にとっての足慣らしの意味合いが強い今日なので、たまには人気コースもいいかと、選んでみたのです。
山には人がたくさん来ているんだなあと、感じましたね。


日の出山北尾根から御岳を経て奥多摩駅へ。山頂付近は雪山でした 2/2

2015年03月02日 | ハイキング/奥多摩

2015/2/19  日の出山は奥多摩ではポピュラーな山ですから、何度か来たことがあります。とくにS子が怪我をして以降はよく来るようになりました。
右足の太腿から足首までの膝を支持する金属装具を付け、2本のストックを松葉杖のように使って、春の花の時季に登ったことがありました。山頂付近はシートを広げて座るスペースもないくらい多くの登山者で溢れ返っていました。そんな状況ですから山頂は通過して、もう少し先で休憩にしようと思い、通り過ぎようとすると、「頑張ってくださいね」とあちこちから声がかかります。S子の姿を見て応援してくれていたのです。装具を付けた右足は普通のズボンでは細すぎて穿くことができません。4分丈くらいの広がったズボンを穿いているので、右足の金属装具が丸見えなのです。

僕にとっての日の出山はそんな記憶を思い起こさせる山です。

今日は珍しく山頂には誰もいません。しばらくすると、単独の女性登山者が来ましたし、その後からは中高年登山者のグループも来ましたけれど、日の出山としては静かなお昼だったと思います。


▲南方向を写しました。南隣りの尾根は馬頭刈(まずかり)尾根です。右のピークから鶴脚山916m、中央に馬頭刈山884.0m、光(高)明山798mです。その先には戸倉三山や陣馬山などが見えているのでしょう。そして、いちばん遠くに見えているのが丹沢です。12:15ころ。


▲休憩している東屋から山名標識のある本当の頂上を写しました。誰もいません。穏やかで、気持のよい雲がポカポカと浮かんでいました。12:23ころ。


▲今度は反対の北側を写してみました。純白の雪山が見えています。正確な方角も分かりませんし、僕には山座同定は難しすぎてできませんね。12:23ころ。


▲東に目を向けて、埼玉県、東京都、神奈川県を見渡しています。目を凝らせば、千葉県も見えているはずなのですが。上の写真の中央より少し左には西武球場やその周りの狭山丘陵の森が見えています。埼玉県です。下の写真の遠くには横浜市も写っているかもしれません。12:33ころ。


▲遠く霞んだ地平線の中央より左には薄っすらとスカイツリーが見えていました。手前に、土の色で水平に見えている広いスペースは横田基地です。高層ビル群が右に左に見えているのですが、僕には都心の位置関係などさっぱりです。左端に見えている多摩湖なら知っていますよ。行ったこともありますし。12:34ころ。


▲写真中央で多摩川と秋川が合流しています。そして、向う側へ向かって流れていきます。実は、僕の住んでいる付近もこの写真の中に写っているのです。12:36ころ。


▲西側を写してみました。手前に御岳集落があります。松の木と重なっている尾根が石尾根で、その最高峰・雲取山2017.1mがちょこんと覗いています。右に白くつながっている尾根は長沢背稜で、その最初、落葉樹と重なっているのが芋ノ木ドッケ1946m、続いて右に天祖山1723.3mが見えます。天祖山の右下山腹は石灰岩採掘によって剥がれ採られつつあります。写真では採掘現場に木が生えていませんから、白く見えています。その右に左手前へ伸びている尾根がタワ尾根。僕には馴染みの尾根。12:40ころ。

この直後、日の出山山頂を後にしました。


▲御岳集落への道を進みます。標高は800m以上あるので、雪もたっぷりありました。12:53ころ。


▲去年の10月19日にこの付近でクマが目撃されたんですね。今は冬眠しているとは思いますけれど。13:00ころ。


▲右端のピークが日の出山。その左に延びている尾根は今日登ってきた日の出山北尾根です。標高700m以上が写っているので、尾根には白く雪が積もっていますね。13:13ころ。


▲御岳集落に入りました。道路の敷石が持ち上がっています。僕の想像ですが、霜柱の力が持ち上げたのではないでしょうか? 13:25ころ。


▲街中は除雪してあります。13:27ころ。


▲塩化カルシウムの袋が道路わきに置いてありました。これを撒いて雪を融かしているのですね。13:29ころ。

武蔵御嶽神社の参拝に来たわけではありませんから、神社へは登拝しません。駒鳥山荘や神代ケヤキの前を通り抜け、御岳集落の中ほどへ進みます。


▲来たのは東馬場家の屋敷の場所。ここから西へ登山道が下りているのです。ここは江戸末期に建てられた茅葺き屋根の屋敷。都の文化財に指定されているそうです。雪が積もったこの屋敷はいつ見ても風情があって大好きです。13:39ころ。


▲御岳集落の最後の人工物が後ろの建物。そこからは完全な山道です。13:42ころ。


▲この写真のあたりは標高800mくらいでしょうか。等高線に沿ってほんの少しずつしか登山道は高度を下げません。14:00ころ。


▲こんな桟道のような登山道もあります。S子はこんなところが大の苦手なんです。14:14ころ。


▲ズボッ! やっちゃいました! 桟道から足を踏み外しました。体が止まる場所で良かったですよね。怪我もしないで。でも、写真を撮ったりしてますから、当然、「早く助けてよ」と怒られました。とは言え、笑っちゃいます。14:48ころ。


▲何事もなく、再び歩き始めました。14:49ころ。


▲大楢峠到着です。ここは標高730mほど。この峠を境に雪もほぼ消えました。15:13ころ。


▲大楢峠の名前の由来となったであろう木が倒れそうなんだそうです。倒れる方角が予想される場所には入らないようにロープが張ってあります。そんなことはあって欲しくありませんが、命がいつまでも続くわけはありませんし・・・・ ところで、大楢とは言っても、この木はコナラです。「大きな小楢のある峠」なんです。15:30ころ。


▲右の尾根道を進むと城山へ、僕たちは左を下ります。15:44ころ。


▲中央に建物が見えています。東京多摩学園だと思います。この学園の前を通って左の山へ入り、天地山981mを登るのです。後方に見えている山が天地山だと思います。16:17ころ。


▲車道へ出ました。奥多摩霊園とつながる車道です。16:19ころ。


▲車道歩きを1時間以上して、やっと奥多摩町氷川へ到着です。日没後、暗くなってからの到着になると思っていましたから、まだ薄明るいうちに到着してひと安心。昭和橋の上から上流を眺めました。日原川が多摩川に合流する地点がここです。17:26ころ。

たま~にあるのですが、S子が腰に来ました。少し距離が長く、雪もこの冬初めてですし、若干オーバーワークだったのでしょう。体を徐々に慣らしていくしかありませんね。