ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

長淵山ハイキングコース(天狗岩、赤ぼっこ)で忘年山行。下山後は福生のビール小屋で忘年会 2/2

2014年12月16日 | ハイキング/奥多摩

2014/12/7  天狗岩は山肌に剥き出しになっている岩場ですから、眺めもよく、今日は風も穏やかでしたから、心地よく昼食時間を過ごすことが出来ました。でも、重い腰を上げて、そろそろ次に進む時刻です。


▲先ほどの道まで戻り、少し歩くと、赤ぼっこです。12:57ころ。


▲ここが赤ぼっこ。12:58ころ。


▲赤ぼっこからの眺望。写真中央のスカイツリーが分かるでしょうか? 12:59ころ。


▲PC上で修正をかけて写真のコントラストを強めてみました。中央に浮かびあがって来た山が筑波山です。13:00ころ。


▲山座同定はこんなものでしょうね。13:05ころ。


▲天狗岩からの眺めでも出ましたが、中央に高水三山、右には青梅丘陵です。13:06ころ。


▲赤ぼっこを離れてからは鉄網の柵が続く山道になります。二ツ塚廃棄物広域処分場です。13:21ころ。


▲途中、馬頭観音がありました。安永三年(1774年)と書かれています。江戸時代の石仏なんですね。13:26ころ。


▲二ツ塚峠到着です。13:49ころ。

ここには数百年前から伝わる哀しい物語りがあります。不治の病に冒された母親がこの地に生きたまま埋められることを願いますが、親思いの娘は自らもともに埋められ二人とも死んでしまいました。この二人を不憫に思った村人は二人の塚を作り、供養を続けたということです。

それ以上の詳しい内容は伝わっていないようですが、よく理解できない話しです。どのような病だったのか? なぜ娘も一緒に死ななければならなかったのか? 村人が供養し続けた訳があるのではないか? 

様々に想像してしまいます。
例えば、伝染病や不吉な病気と思われた母親が、村人から死ぬか去るかを迫られるようになった。ともに暮らす娘も同様の冷たい仕打ちを受けるようになり、母娘は村境のこの峠でお互いの命を断つ。すぐにこのことを知った村人たちは、自分たちが行なった無慈悲を恥じ、戒めとして永く母娘を供養することとなった。・・・・とか。


▲A野さんがみんなのためにお汁粉を持って来てくれました。紙コップ、割り箸、お餅もです。少しずつ気温も下がり始めていた冬の午後を、体の中から温めてくれました。14:02ころ。


▲快晴の冬空です。14:28ころ。


▲今でも使用されているとは思いませんが、ここは茅場なのでしょう? ススキが一面に生えています。奥多摩の山中にも茅場と思われるススキの群生地がところどころで見られますよね。14:44ころ。


▲天祖神社です。15:07ころ。


▲天祖神社の長い階段。僕はこれまで2回この階段を登りましたが、下ったのは初めてです。15:09ころ。


▲調布橋を渡り、青梅駅へと向かいます。駅前の商店街は戦後の昭和レトロで雰囲気作りがなされていて、歩いても楽しい街になっています。その一角にはこんな建物も。「青梅赤塚不二夫会館」です。青梅市と赤塚不二夫とは特別の接点はないようですが、赤塚不二夫が漫画家になる前に映画看板の仕事をしていたことがあり、そんな縁がこの会館につながったのかもしれません。15:33ころ。

いよいよ、これからが今日のメインイベントです。電車に乗って、拝島駅に16時ちょっと過ぎに着きます。タクシーで向かった先が今日の忘年会会場の『福生のビール小屋』。

僕はビールが嫌いなんです。正確に言えば、嫌いなのではなく、美味しく飲めないのですね。二口目くらいまでは「ウマイ!」と感じられるのですが、それを過ぎると駄目なんです。「不味い!」なんです。
でも、ここのビールだけは不思議なことにいつまでも最初の味わいがそのまま続きます。何故なんでしょうか?

いろんな種類のビールをピッチャーで次々に頼み、全員で飲み干していきました。今日のメンバーは皆が飲めますから、気を遣う必要がありません。この店の高級感のあるイタリア料理を二皿ずつ、次々に頼みます。ピザやパスタも頼みます。

ビールや料理の写真を撮る準備はしていたのですが、いざ飲み始めると、そんなことは忘れて、飲んで食べる楽しみに没頭してしまいます。
飲食を写真で記録することに関心が薄いのでしょうか? 自分でもよく分りません。

このブログのタイトルに「焼酎」が入っているのですから、アルコールと酒の肴もお見せしたいとは常々思っているのですけれどね。


長淵山ハイキングコース(天狗岩、赤ぼっこ)で忘年山行。下山後は福生のビール小屋で忘年会 1/2

2014年12月14日 | ハイキング/奥多摩

2014/12/7  遠い所に住んでいるK井さんは時々東京に来ます。それに合わせて、今回は忘年山行をすることにしました。

K井さんからの要望が最初はとても厳しくて、コースタイムが30分から1時間という制限。交渉に交渉を重ねて、なんとか3時間まで枠を広げてもらいました。(笑)

K井さんが余裕で歩けることは知っていますから、本当は5~6時間のコースを選びたかったのですが、でも、そんなに歩いてしまうと、下山後の忘年会に影響が出かねませんから、実際のところはちょうど良かったと思いますね。

ところで、この長淵山ハイキングコースですが、下山後にネットで調べてこのように呼ばれていることを知ったのですが、長淵山という名の山はどこにもないようなのです。長淵という地名はあるのですけれど。


▲スタート駅は宮ノ平駅です。この日はちょうど「奥多摩渓谷駅伝競走大会」が開かれていました。
駅に着いた時には最後あたりのランナーの方々が走っている姿も見られたのですが、写真を撮るころにはもう誰もランナーはいなくて、係の人たちだけが駅前に大勢いました。
この駅伝大会は市民駅伝の草分け的大会なのだそうです。この日開催の大会で第76回目。これは箱根駅伝に次ぐ歴史だとか。一般、大学、高校、女子と4つの部門に分れていて、女子の部には女子中学生も含まれていますから、実に幅広い! こんな市民駅伝大会があるとはぜんぜん知りませんでした。青梅マラソンよりも有名になっていいスポーツイベントですよね。10:25ころ。


▲いつもながら山中でよりも街中での方がルートファインディングは難しいですね。まあでも、だいたいの方向へ向かっていれば大丈夫でした。それに駅伝大会のために警察官が出ていましたから、道を聞いて確認出来ましたし。
写真の橋が和田橋です。この橋まで来れれば何とかなりそうです。10:38ころ。


▲稲荷神社で左へ入り、この標識がすぐにありました。これから歩く山道のことを「天狗岩自然歩道」とか「青梅! 水と緑と梅の道」などと呼んでいるようです。「長淵山ハイキングコース」の表示はありませんね。10:49ころ。


▲車道からは離れても、しばらくは舗装された道が続きます。まだこの先に民家があるからです。10:55ころ。


▲舗装道路が終了し、普通の山道になりました。枯れ葉がぶ厚く積もる山道は素敵です。11:06ころ。


▲今日のメンバーは先頭を歩く僕に続いて、S子、A野さん、K井さん、K嶋さん、K美さん、K松さんの計7名です。11:12ころ。


▲要害山412mです。11:40ころ。
要害山という名前の山は全国にたくさんあるようです。「要害」の意味のひとつに「戦略上、重要な場所に築いたとりで。要塞(ようさい)」というのがありますから、この青梅の要害山にも砦などがあったのかもしれませんね。今は植林のおかげで展望はありませんが、木がなければ、眼下がよく望めるはずです。


▲植林の伐採が行なわれたようです。材木を運び下ろすためでしょう。林道が山肌を削って延びていました。11:46ころ。


▲登山道と並行して、下には林道が続いていました。12:00ころ。


▲天狗岩への分岐です。あと200m。12:09ころ。


▲天狗岩へは最初ぐんぐん下って、少し登ります。12:11ころ。


▲天狗岩からの眺めです。左の山は高水三山、その右には青梅丘陵が続いています。街の中央を多摩川が流れていますが、手前から川に架かる赤い橋が見えています。近い方から和田橋、神代橋、奥多摩橋です。和田橋はさっき渡った橋。奥多摩橋は遠いので少し見つけにくいかもしれません。12:18ころ。


▲天狗岩の上で、昼食です。今日はゆっくりですから、たっぷり時間を撮りました。
手前から、頭頂部だけのK松さん、向こうへK美さん、K嶋さん、K井さん。12:25ころ。

今日は風もなく、青空の広がった最高のハイキング日和。

「福生のビール小屋」を16:30からの予約ですから、時間調整をしながら余裕のある山行です。


奥多摩の秘密の場所で焚火キャンプ 3/3

2014年12月10日 | ハイキング/奥多摩

2014/11/23  散歩の目的地に着きました。柵だったのでしょうか? 張ってある針金を乗り越えると、目の前には山深い山腹であるにもかかわらず、広々とした平坦地が広がっています。


▲まず目に飛び込んできたのがこれ。昔懐かしい、木桶のような湯船です。そう、これは廃屋、この平坦地は廃村なのです。11:26ころ。


▲昔よく見かけたブリキ看板です。いろいろと調べてみると、「チヨダ式稲麦扱機」と書かれているようです。脱穀機のようです。田んぼや麦畑とは縁のないような山中に、何故こんな看板があったのでしょう?


▲次々といろんなものが目に飛び込んで来ます。これは人形。キューピー人形かな?


▲弁当箱と湯呑み。


▲プロパンガスでしょうか?


▲白熱電球がさがっていた街燈でしょう。


▲飯盒です。福島さんの持ち物のようですね。


▲がいしです。電線がここまで来ていたんですね。


▲この集落の守り神が祀られていたのでしょうか? 社の中です。11:34ころ。


▲柱も朽ちて、崩れ落ちてしまっています。

なんと小生、30年以上昔にこの集落を訪れたことがあります。すでに廃村にはなっていたと思いますが、家々はまだ倒れることなくしっかりと立っていたように記憶しています。


▲先ほど中を見ましたが、その社がこれです。


▲ソファーの骨組みだけが残っていました。


▲平坦地はだいたい見て回ったので、少し山の斜面を登ってみることにしました。すると、すぐに出て来るのがこれ。蛇口のような栓もありますから、多分、上水施設ではと思います。どこかから引水された飲み水を一旦このコンクリの建造物の中におさめたのではと思います。11:53ころ。


▲さらに山の斜面を登って行くとお墓がありました。でも、写真でも分かるように、墓石が寄り添うように集められています。もともとは普通のお墓のようにそれぞれが離れて並んでいたのでしょう。でも、集落が廃村となり、お墓自体を里に移し、これら墓石をこのような形で祀っているのだと思います。11:59ころ。


▲お墓の左横には広々とした家の敷地がありました。倉沢の廃村もそうでしたけれど、身分の高い家ですとか、お金持ちの家は、山腹の高い方に建っていることの方が多いようです。
この敷地にもそんな一家が住んでいたのでしょう。この壺のようなものが幾つも転がっていました。酒でも入っていた容器なのでしょうか? 12:05ころ。


▲その広々とした敷地がこれです。12:08ころ。

お墓のあたりは陽当たりがいいので、そこへ戻って昼食にしました。


▲再び山の斜面を降りて来ました。小さな子どもも住んでいたのですね。「おどうぐぶくろ」です。小学生ですね。それも一年生かな? 12:40ころ。


▲オンキョーの真空管ラジオなのでしょうか? 


▲これは絶対に臼だと思います。


▲ストーブでしょうか?


▲先ほどの社の後ろには御神木のように巨樹が寄り添っています。そのうちの一本がイチョウの木。古いイチョウ特有の乳(チ)が垂れています。12:45ころ。


▲廃村を後にし、そばの支沢を下ることにしました。登りで使った支尾根よりも、平均的に傾斜がなだらかそうに見えるからです。写真の山際の少し下に山道があります。沢筋を降りはじめたばかりの写真です。13:02ころ。


▲沢を下り切り、本流と合流するところです。登りでは写真左側を登って行きました。13:17ころ。


▲焚火の消火を確実にするために、水場から水を汲んで行きました。13:27ころ。
今回の天場唯一の短所は水場が遠いこと。と言っても、100m少し離れているだけなのですが・・・・


▲熾きや灰に水をかけて、熱を冷ましなす。絶対に熱がこもって、再度熱くなり、火が再び燃え上がることがないようにします。そして、石っころを載せて、押さえ込んでおきます。14:19ころ。

本当は焚火の跡が残らないように、ここで焚火をした痕跡すら消えてしまうようにしておくのが最良なのですが、今回はそこまでするのは無理でした。


▲焚火の始末をし、テントを片づけました。ひと晩お世話になりました。14:33ころ。

この場所は里に近いところですし、誰もが目をつける場所のようで、幕営や焚火の跡がありました。焚火跡はある程度仕方がないとしても、ゴミが残したままにしてあるのには憤慨。プリムスのガスカートリッジやアルミのビール缶が捨てられていました。ビール缶やアルミ箔などは焚火に投げ込まれたままになっていて、その燃えカスがそのままになっています。アルミ製品は燃えるからと言って焚火に投入する人がいるのですが、僕は反対です。焚火程度の火力で、完全に燃え尽きることは困難ですし、中途半端な燃えカスはかえって回収が面倒くさいからです。僕は割り箸など以外は燃えるようなものでも、燃やさずにそのまま持ち帰ることにしています。


▲昨日と同じ林道を帰ります。今年も焚火が出来ました。来年はもっと何回も出来るようにと、願っています。15:11ころ。


奥多摩の秘密の場所で焚火キャンプ 2/3

2014年12月09日 | ハイキング/奥多摩

2014/11/23  よく眠れました。今日は周辺の散歩だけですから、早く起きる必要もありません。アラームもセットしてありません。


▲ぐっすり眠り、自然に目を覚ますと、まずやるのは焚火を熾すこと。
昨晩のせていた石っころをどかし、丸めた新聞紙と枯れた杉の葉をのせます。7:25ころ。


▲さらに、細い木から順にのせていき、昨晩の燃えカスの太い木も上に積みます。7:30ころ。


▲ここまでしてから、やおら新聞紙に火をつけると、すぐにこんな状況に。小さな消し炭が地面に敷き詰められた状態ですから、熱がすぐにこの空間に籠るのでしょう。7:34ころ。


▲朝の天場の光景。7:43ころ。


▲朝ですから、あまり大きな火にはしませんが、このくらいにはすぐになります。7:52ころ。


▲昇った太陽も尾根に遮られていましたが、やっと近づいて来ました。8:38ころ。


▲そろそろ朝食に取り掛かりましょう。用具を身の回りに集めました。8:46ころ。


▲S子の顔にも陽が当たり始めました。本当に温かいです。8:53ころ。


▲朝食は雑炊。アルファ米と玉子スープの素で作りました。昨晩の残り物のニンジンも入れます。8:58ころ。


▲こんな感じに。9:06ころ。


▲雑炊をすするS子。9:06ころ。


▲少し離れた場所で、赤く輝くものを見つけました。近づいてみると、朝陽に煌めく赤い実です。名前は分かりません。9:54ころ。


▲山では考えられないような、ものすごくのんびりした朝の時間を過ごしました。目が覚めてから、3時間以上たっています。太陽の光を浴びて、体もポカポカしています。
という訳で、ボチボチ散歩にでも出かけようということに。10:56ころ。

最低限必要なものをS子のザックに入れて、僕が背負います。S子は何も持ちません。


▲近くの支尾根を登って行きました。11:15ころ。


▲散歩の目的地へ到着です。そこには針金の柵がしてありました。11:24ころ。


奥多摩の秘密の場所で焚火キャンプ 1/3

2014年12月08日 | ハイキング/奥多摩

2014/11/22  このブログのタイトルに“焚火”とあるのに、今年はまだいっぺんも焚火をしていません。
というわけで、無性に焚火をしたくなり、とにかく焚火だけをするためのキャンプに出かけました。

本当は10月末のタワ尾根下段歩道の時にも、三又で焚火をするのが目的のひとつだったのです。ですが、あんな状況に陥ってしまいましたから、焚火は出来ずじまい。

焚火をするのなら、その必然性がある山の奥深くまで行くのが本筋なのですが、今回はあくまでも気楽に、とにかく焚火だけをしに行きました。

ですから、すごく近間です。ですから、そんな場所はあまり大っぴらにはしたくありません。秘密にします。

駅を出発したのは正午頃。どこの駅かも秘密です。


▲林道を歩いて行きます。12:38ころ。


▲同じ林道ですが、土の道になりました。12:47ころ。


▲林道は終わり、山道に入りました。沢の脇を通っています。13:07ころ。


▲小さな堰堤が続けて現れました。13:13ころ。


▲大きな堰堤も出現して、その脇を巻いて行きます。13:21ころ。


▲大きな堰堤の上は土砂や砂礫が堆積し、広い平坦地が広がっています。ここが目指していた天場です。13:29ころ。


▲水場に近く、地面に凹凸が少ない幕営適地を選び、テントを張りました。14:08ころ。


▲タワ尾根下段歩道では出来なかったテントとタープのコラボです。14:37ころ。


▲今回は木の枝を支柱にしました。ハトメに入るよう、木の先をのこぎりで切りました。


▲そして、いよいよ焚火です。15:08ころ。
太い流木を両サイドに置き、火床には太い木を敷きます。


▲新聞紙を丸めて何枚か並べ、メタ(固形アルコール)をところどころに忍ばせ、極細の枝を積み重ね、ついでに最上部には杉の枯れ葉を置きました。それから点火! 15:49ころ。


▲箸くらいの太さの枝をさらにのせていきます。ときおり、景気づけに杉の枯れ葉ものっけます。15:52ころ。

まだこの段階では手を緩めるとすぐに火は消えてしまいます。さらに太い木が燃え始めるともちろんいいのですが、燃料の木の状況次第ではそんなに簡単には燃えてくれません。
比較的よく燃える細い木や杉の枯れ葉などがあるのなら、とにかくたくさん燃やして、熱くてすぐには冷めない火床を作ることがいいようです。


▲少しずつ太い木もくべ始めました。小さなビリーカンも火のそばに置きました。16:20ころ。


▲天場はこんな感じ。16:32ころ。


▲今晩の飲み物はホットワインです。コッフェルに少しずつ移し熱して、S子と二人で酌み交わしました。16:42ころ。

二重になっているマグカップは寒い夜の必需品。蓋も付いていますから、なかなか冷めません。

ワインはフルボトル1本持って来ました。ただし、ビンはプラスチック容器に入れ替えて持って来ています。このプラスチック容器はニュージーランドで購入し、日本に持ち帰ったものです。プラスチック容器はまだニュージーランドでも珍しいようです。こんな使い方をしようと、大切にとっておいたのです。

ホットワインですが、沸騰する直前で火を止めなければなりません。アルコールが飛んでしまうからでしょう。ボトルの中に何か入っていますが、お茶用紙袋です。家にあるスパイスをいろいろ入れて来ました。八角、シナモン、クローブ、カルダモン、コリアンダー、などなど。もちろん、ホール(種のまま)で、適当に。今朝入れました。


▲焼いているところは撮り忘れてしまいました。牛ステーキです。安い肉ですが二人にとっては山でステーキとは! って感じですね。16:51ころ。


▲今度は野菜。ジャガイモとニンジンを焼きました。17:06ころ。

夜は長いので、少しずつ焼いては食べ、飲んでは焼き、そしてワインを温め、そんな風に時が過ぎて行きます。


▲食事をするS子。17:13ころ。
フラッシュを焚くとこんな感じ。


▲フラッシュを焚かないとこんな感じ。ただし、S子には懐中電灯で光を当てています。17:13ころ。

焚火の写真はフラッシュを焚いたら面白くありません。


▲ニンジンとエリンギ。17:20ころ。

味付けはニュージーランドで買って来た、2種類の味付きソルト。


▲牛タンです。アメリカ産だったかな? 17:32ころ。


▲こんな焚火の写真が僕は好きです。17:52ころ。


▲ステーキを焼いているところを撮り忘れていたことを思い出しました。切れ端ですがフライパンにのせて撮影。2枚目です。18:02ころ。


▲焚火を前に、飲み、食べ、語る。こんな時間は最高です。18:31ころ。


▲残っている野菜を炒め、この後、残っている牛タンも一緒に炒めて食べました。19:04ころ。


▲この辺りの木はあまり火持ちの良い焚き木ではありませんでした。集めておいた木はどんどん燃え尽きてしまい、近くの倒木の細い枝を追加で燃やしました。19:47ころ。

食べ尽くし、飲み尽くし、そろそろ夜陰の寒さも身に浸み始めたので、テントの中で寝ることにしました。

風もない夜ですから、焚火の残り火の心配はあまりしなくてもすみそうです。燃え残りの太い木を少し離して置き、灰白色の灰に覆われた熾きの残り火には10個以上の石っころをのせて、風で火が煽られる危険性を防ぎます。


▲テントの中から覗いた光景です。20:40ころ。

起きている時から聞こえていましたけれど、シュラフの中に身を横たえると、なおさらに周囲で啼くシカの声が闇夜をつんざきます。同じ個体の啼き声のようです。警戒音に近い啼き方です。いつもは自分の過ごす場所なのに、余所者が侵入して来ていて、腹立たしく思いながら啼いているのでしょうか?

S子のシュラフは3シーズン用。僕はまだ意地を通して夏用です。S子はすぐに寝息をたて始めますが、僕は長い時間、頭が冴え続けます。
いつもそうです。
でも、いつ知れず意識は周囲の闇夜と紛れて・・・・