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秋田県の友好都市と私の学び

2021-12-09 18:27:20 | 記録
 秋田県の友好都市は甘粛省で、秋田市の友好都市は蘭州市である。医療・考古学などでの人的交流や旅行参加人数によって補助金で支援し観光促進をするなどの交流を進めて、現地を旅することで知見を深める行政主導の交流を含めて、緩やかで穏やかな交流が進められ、発掘作業の進展で新しい発見があったり、今を考えると幸せな時間があったと思っている。

 秋田県庁の1階フロアには甘粛省から送られた木簡などの出土品の展示ケースがあり、秋田市役所の一階フロアには蘭州市から送られた品々の展示ケースがある。
 これらの友好都市は、西域や中央アジアなどの歴史的な地域に繋がる重要な地点なので、秋田の先人の先見の明にうたれる。スキタイ、メソポタミア、ソグデアナなどの先進文化に触れ、自らの文化を充実させ水準の向上に努めてきた我が国の先人達
 
 秋田県立博物館のボランテイア「アイリスの会」では、蘭州市博物館からの派遣員と一緒に和風住宅でお点前をして抹茶を味わっていただく茶席を設けたり、銅板加工や印鑑作成などを体験していただいたが、元々は中国から伝えられた文化だ。茶席では、彼女が今まで一度も畳に正座したことがなかったと後で聞いて、生活習慣の違いを考えるきっかけを得ることができた。
 そして、彼女が甘粛省に帰ってしまい博物館での仕事に戻った。その後、秋田県立博物館友の会の有志と一緒に甘粛省と北京を訪れる研修の旅が企画されて私も参加した。甘粛省博物館は生憎改修工事に入っていて訪れることが難しい状況だったが、丁度訪問日に開館されて、展示を見ることができた。鑑賞後、展示図録を購入して帰ることになったその時、派遣員の彼女と出会うことができ、本当に嬉しかった。
 
 殷墟から日本の南海産のタカラガイが出土しているが、中国ではタカラガイを安産のお守りとして今も女性達が身につけているという。甘粛省でもタカラガイが出土していることがそれを裏付けている。
 購入した図録には、出土したタカラガイが出土地と共に図版に示されている。
 
 タカラガイは、わが国最古の物語「竹取物語」にも登場し、姫に求婚した5人の貴公子の一人に出された課題「燕の子安貝」がそれだ。燕が子安貝を産むという伝説は、事実無根と考えられてきた。しかし、それは別の形での親鳥の愛情の発露と考えられることが分かってきた。親鳥は、消化を助けるために雛にカルシュウムを与えるために貝や小石、ガラスなどの固いものを雛に与えることが分かってきている。巣の中に雛が吐き出したペリットや糞の中に貝殻や小石、ガラスが含まれていることで分かってきた。胃石と言われるものだ。
 草食の家畜のミネラル補給に塩を与えることに似ているかもしれない。通常の食生活では得られないものを補う知恵なのだろう。生物はなんて賢いのだろう。
 昔語りの中には、今は失われたしまった様々な知恵が隠されているのではと思わせられる。
 
 旅の中では、三峡ダムを渡って柄霊寺にも参った。今、青の弥勒と話題になっている仏像があるところだ。ここには、色々な時代の仏像が祀られていて、莫高窟に勝るとも劣らない古刹である。青の弥勒は、マニ教、ゾロアスター教との関連が指摘されている仏像で、我が国に渡った最古の形は、広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩と言われている。弥勒菩薩は、兜率天( とそつてん) の内院に住み、 釈迦 (しゃか )入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩である。「弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。弥勒は音写であり、「慈しみ」(梵: maitrī, 巴: mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。三昧耶形は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)はयु(yu)BonjiYu.png。 」by Wikipedia

 いつもは気付かずに過ごしているが、歴史の深淵に触れることや学ばなければならないことが山積みだと感じたのである。
 

定礎の歴史

2021-08-09 17:44:06 | 記録
 建築を立てる時の埋め物あるいは高層建築物の定礎物の歴史は、約5,000年前のメソポタミア のシュメール人の習慣が受け継がれている。シュメールの人々が暮らしていた土地には豊富な泥があってこれで泥レンガを作り家を建て、神聖な神々を祀る神殿を建てた。行政文書や法律、神話、商用文書なども泥を活用した粘土板に楔形文字を書記が記述した。しかし、その後、国家間の興亡があり、長く使われなくなっていた楔形文字を解読する作業が続けられ、現在は「文明の誕生」は、シュメールからということが認識されている。数学についても、幾何学や代数、分数、円周率などを駆使していたことが分かってきた。
 私たちが八百万の神を奉り、様々な仏に化身する仏教の受容もこのような国民性に由来するを考えられる。全ての物事にはそれを司る神聖な存在が関与していると信じ、何事を為す時にも祈りを捧げるのだ。
 建築物は、土の上に建てられるので地母神の安らぎを得るため埋め物とともに起請文を捧げる。
 
 

鎮壇具について

2021-08-03 14:29:51 | 日記
 東大寺や興福寺の堂宇の地下埋設に埋設されている鎮壇具は、その源流を古代メソポタミアのシュメール人の土製釘人形や銅製釘人形の求めることができ、その地鎮の願いが近代の家屋新築のおりの建前の鎮め物やビル建設時の定礎の埋め物に連綿と受け継がれています。
 土製釘人形は、土に埋め込まれ表面に施された美しい文様が後に多用されるモザイクタイルの源流ともなっています。
 銅製釘人形は、楔形文字が使われなくなってその目的が分からなくなってしまっていましたが、1877年ラガッシュ市のギルス地区で発掘作業をしていたフランス隊がそれまで実在が疑問視されていたシュメール人の存在を実証し、1960年代末に米・メトロポリタン美術館とニューヨーク大学美術史研究所の共同チームがラガッシュ市のラガッシュ地区を発掘した時に銅製の釘人形が出土しました。そのうちの2体が日本にやってきています。1体は東京国立博物館にもう1体は出光美術館に所蔵されています。
 出光美術館に所蔵されてい銅製釘人形は、出土時の状態のままで錆のある状態ですが、土中に埋納されていたことが充分に理解できます。
 考古学分野にも科学的な分析方法が援用されるようになり、遠い昔の人々の願いや暮らしぶりが分かるようになってきています。
 ユダヤ教から分岐した唯一一神教のキリスト教やイスラム教には、様々な神々に祈りを捧げるということはないので、シナゴークや教会、寺院の建設時に埋納物を捧げることはないようです。
 

先人を敬う心と精進

2021-07-19 21:51:58 | 記録
 最近の出来事で、心に残こったことは、女性の活躍や若者の活躍である。
 女性では、猿橋賞受賞の田中幹子さんの研究テーマに唸ってしまった。「人間の手足にアヒルのような「水かき」がないのは、受精卵から手足ができるの過程で指の間の細胞が消えるためで、酸素濃度が高いと起きることを突き止め、生物が海から陸上に進出し、大気の豊富な酸素にさらされて体が進化した可能性を示した。」ことが独創的であると高く評価された。彼女が私の出身地の仙台で学んでいたこともより共感できることに繋がった。

 ところで、釈迦の掌には「水かき」があり、その「水かき」であまねく衆生を救済したと伝えられている。釈迦が水生・陸生に拘らず全ての生きとし生けるものを救済するということにつながるのだろうか。これまで、僧兵などが政治的な扇動に参加して殺生に加担することがあり、門跡寺院などのように身分の高い家の長男以外の男子が世継ぎ予備軍として身を寄せていたことなど安定した身分制度の維持に資する働きをしていたこともある仏教は、ほぼ平和的な活動をサポートしてきたと言える。そうしたことも含めて釈迦の「水かき」は、あまねく衆生を救済するという役割を負っていたといえよう。

 何と言っても大谷翔平君の活躍は若者の活躍の白眉といえよう。日ハム入団以前にMLB入団を希望していたことや世界一の選手になることを目指していたことを頼もしく思っていました。最近、渋沢栄一の『論語と算盤』が愛読書であることを知った。日ハムの監督は、チームで講義を行なっていることも知った。現代を生き抜く知恵を学んでいることは、現在の大谷翔平には、心強い味方である。何事も冷静に判断し対応する。日々自分の置かれた状況を好転させる努力を怠らない。何事も周囲のサポートなしにはこなせないこと。そうした自分の置かれた立場を感謝の気持ちで過ごし、より良い状態を維持していくことで納得のいく状況が生まれていくことを熟知している。
 出身地の岩手県奥州市や出身校の花巻東高校など岩手県からは有数の人材が生まれている。

 さらに、読売新聞に2021年4月24日から7月5日まで32回にわたって編集委員祐成秀樹記者がインタビュー形式の記事をまとめた「時代の証言者 森下洋子 踊り続けて70年」は、最近の憂うべき世情に疲れている私に爽やかな風を送ってくれました。
 懐かしい振付師やバレリーナの方々との交流や共演と共に、夫の清水哲太郎氏の影響が大きかったことも知ることができました。その上最も重要な要素は森下さんの素直で感謝しつつ毎日の練習が彼女を支え、接した方々から貪欲に吸収し、短期記憶や長期記憶にしっかりとしまわれ、その積み重ねが彼女の人格を形成していることである。
 「白毛女」は義母の松山樹子さんの作品で、1958年から15回目の公演が2017年5月に行われ、中国との絆が途切れずに続けられていることも印象的なことだった。
 
 日々の精進が大切なことを教わる日々である。

由理柵・駅家はどこに?(1)

2021-02-03 16:59:04 | 記録
はじめに
 ペルシャの王たちは、全中近東の広大な領土の統治システムとして王道と宿駅などの付属設備を整備したが、これはすでにメソポタミアのシュメールのウル王朝などが始めており、ペルシャ王朝はその伝統に立ちスーサからサルデイスまでという長大な距離に適用した。この王道と宿駅は、のちにローマ帝国の長距離道路網へと引き継がれた。(ブリアン、2000)
 中国では、有史以前から統治権力による道路建設がされていたが、中国統一を果たした秦の始皇帝による全国的な道路網(馳道)の整備を受けた漢や大規模な道路建設を行った隋、さらに唐も駅伝制や交通制度を整備した。
 中南米のインカ帝国が整備した道路網は、16世紀のスペインによる侵略の移動を容易にしたと考えられている。
 我が国の古代道路は、改新の詔で宿駅伝馬制が布かれたことによって飛鳥時代から平安時代前期に整備されたと思われる。
 道路や駅伝制の維持管理に必要な人員、場所、設備などの必須条件を考え、由利柵を探すための手がかりを見つけようと思う。駅家常備の馬を飼育する馬小屋の形態.家畜管理のための塩の供給体制やその他の条件についても踏み込んでみたい。

官道や駅伝制について
 道路維持には、経常費と人員並びに管理システムと経営者が必要となる。駅伝制の維持管理には、膨大な経費と駅馬・伝馬への細やかな配慮に対応のできる人員や牧に適した土地の選択という難題が待ち受けている。古代の駅路は、最短距離を移動できる直線道により中央と地方をつなぎ情報伝達などを担う。30里(約16km)ごとに置かれた駅家や伝家は、律令制によって設置された五畿七道の道沿いに置かれていた。伝路は中央から地方への使者の送迎目的で敷かれたが、地方拠点間の情報伝達も担っていて、伝家には規定によって伝馬5頭が置かれ、駅使は通行を知らせる伝鈴を鳴らして通った。
 また、伝馬の飼育を行う牧にはかなり広大な土地が必要で、山地の多い我が国で耕作適地以外の広い土地を求めるのは難しいと思われる。牧を営むための最適条件は、黒ぼく土壌の土地である。黒ぼく土には樹木が生育せず家畜化した動物が好むイネ科植物の生育に最適である。黒ぼく土を含む土地は、食糧生産の耕作地を侵害せず広大な牧を経営できる。馬の家畜化は、直良信夫が縄文貝塚から家犬.・家馬の骨格を発掘しているが分析による年代比定が難しかった時代だったこともあり、あまり評価されていないが、金沢大学のNews Release 「馬の歯・骨から古代日本の社会実態を探る 藤原京造営期における馬産体制を解明」によると人工飼育による馬が藤原京に移入され、それらの馬は、各個体毎に与えられた餌が違っており、最上級の馬は栗を与えられていたことが炭素同位体比によって判明すると共に、ストロンチウム同位体比と酸素同位体比によって初期律令体制前に馬の大部分が東日本や東日本内陸部から持ち込まれていたことが分かった。(覚張、2016)
 また、『福井県史 通史編 原始・古代 第四章第三節一官道の役割 駅馬の制』によると天智朝ころには畿内・山陽道では駅馬の制は機能していたのかもしれないとしている。 (真柄、1996) 

 縄文人の二大貴石コハクとヒスイが日本海側のルートのみならず、太平洋側原産コハク(銚子)と日本海側原産ヒスイ(糸魚川)が相互に流通し、威信財として用いられていた(阿部、2010)ことが分かってきたことや縄文人が一定の法則に基づき安全な交易ルートを経験から特定した地名が現在も用いられている(森下、2018)ことを考えると牧や駅路・駅馬の活用がかなり早い時期に行われていたと考えることには妥当性があると思われる。

 奈良時代には、西海道・南海道・山陽道・山陰道・東海道・北陸道・東山道の全国七道駅路の開削に伴い、国府、城柵、駅家が設置されたとされ、『続日本紀』などに記述されていながら、その実態が発掘調査などによって明らかになっている例は少ない。
 駅家は、山陽道の布施と野摩のみであったが、平成30年宮城県岩沼市の原遺跡で玉前駅家跡と見られる発見があった。(岩沼市、2018)東山道は、玉前駅家から多賀城に至り、柴田駅家から秋田城に至ると考えられている。陸路より水路が経費節減と大量輸送に向いていたという論考もある。(中村、2020)
 『続日本紀』に記されている秋田県内の蚶方駅家、由理駅家の立地は未だ不明である。
 この論考では、秋田城跡で出土した漆紙文書の読み取りで鉄製鍔釜が貸し出されていた蚶方駅家と発掘調査を続行中の由理駅家並びに由理柵についての考察を試みる。

※様々な分野にわたる資料を提示し、考えるヒントが得られるようにしたい。