気になること 忘れずにいたいこと 嬉しいこと

社会 科学 美術 環境 省エネ 俳句

英国で流行の変異ウイルス「さらに」変異2/3日 11時12分TBSNews

2021-02-03 15:37:57 | 記録
イギリスで流行している新型コロナの変異ウイルスがさらに変異し、ワクチンの有効性に影響を与える可能性が懸念されています。

 イギリスで去年秋に発見され現在流行している変異ウイルスの中に、新たな変異をしたものが見つかりました。「E484K」と呼ばれる変異が認められ、これは、ワクチンの有効性が減少する可能性が指摘されている、南アフリカやブラジルでそれぞれ見つかった変異ウイルスと同様のものだということです。このため、専門家は、この新たな変異についてもワクチンの有効性に影響する可能性が懸念されるとしています。

 こうしたなか、オックスフォード大学は、アストラゼネカと共同開発したワクチンについて、他人への感染を67%減らす可能性があるとの暫定的な分析結果を公表しました。また、1回目の接種後、免疫反応が確立される22日目から少なくとも90日目までの間は76%の有効性が保たれることもわかったということです。

2021年1月24日5:00 読売新聞
【ロンドン=広瀬誠、ジュネーブ=杉野謙太郎】英国のジョンソン首相は22日の記者会見で、英国で流行している新型コロナウイルスの変異株について、従来型より死亡率が高い可能性があると発表した。英政府は感染力は従来型より強いと分析しており、懸念が強まりそうだ。

 会見に同席したパトリック・バランス首席科学顧問によると、60歳代男性の感染者1000人あたりの死者数は、従来型の約10人に対し、変異株は13~14人と推計されるという。別の年代でも変異株の死亡リスクが高まる傾向があったという。ただ、現時点でデータには不確かな点もあり、バランス氏は、さらなる分析が必要だとの見解を示した。

 英国では昨年12月頃から変異株が流行し、最近は1日あたりの死者数が1000人を超える。22日時点の入院患者は約3万8500人で春の流行ピーク時より8割多く、医療現場は逼迫している。英中部の病院では年末年始から患者が急増し、整形外科や眼科の医師や看護師が応援に入るなど総力戦の状態という。

 世界保健機関(WHO)の感染症専門家、マリア・ファンケルクホーフェ氏は22日の記者会見で、英政府の情報は確認中だとした上で、「医療機関が過大な負担を抱えている場合に対応しきれず、死者が増えることはあり得る」と指摘した。

詳しい調査が必要
 北里大の中山哲夫特任教授(臨床ウイルス学)は、「死者の多くは高齢者だが、高齢者はもともと持っている病気で死亡率が変わる。感染者1000人あたりの死者が10人から13~14人に増えた程度なら、病原性が強まったと判断するのは早い。変異株にもタイプの違いがあり、詳しい調査で死亡率などを分析する必要がある」と話している。

2021年1月23日10:05 読売新聞
英の変異株、従来型より死亡率高い可能性…1000人中13~14人に増加

【ロンドン=広瀬誠】英国のジョンソン首相は22日の記者会見で、英国で流行している新型コロナウイルスの変異種について、従来型より死亡率が高い可能性があると発表した。

 記者会見に出席したパトリック・バランス首席科学顧問によると、例えば60歳代男性の場合、従来型の感染者1000人中のうち約10人が死亡すると予測されたものが、変異株の場合、13~14人に増加すると推計される。別の年代でも変異株の死亡リスクが高まる傾向が出た。ただし、現時点でデータの証拠は強くないため、さらなる分析が必要だという。

※日本医師会は変異種を変異株に改めるよう進言したので、記事中の変異種を変異株に変換した。読売&日テレ共に未だに変異種を用いている。





馬の話

2021-01-09 22:48:29 | 記録
 馬の家畜化と搾乳は5500年前から今のカザフスタン北部の草原に暮らしていた人々が行っていたという研究結果が2009年3月5日発行の「Science」に英・エクセター大学の考古学者アラン・ウートラム氏によって発表され、乗馬と搾乳による家畜化は1000年早まることになった。銜を噛んでいた歯の摩耗、野生種と比べて家畜化による細い足の骨、陶器壷の縁周辺の破片に付着していた馬の脂肪と馬乳の脂肪分が決め手となった。
 2018年2月22日の「Science」は、ゲノム研究によって最古の家畜化されたという馬の個体群とは別の馬のグループが紀元前3000年前までに家畜化された馬の個体群の祖先になったと発表した。先の説の馬のゲノムは復元されておらず真相は不明のままだ。
 さて、馬が歴史の転換点で重要な役割を果たしてきたことは、枚挙に暇がない。移動や物資の運搬と量を飛躍的に増大させ、戦術や武器・武具の工夫が戦闘を変質させたのだ。
 大和では、子どもがいなかった武烈天皇薨去後、仲哀天皇の末裔の倭彦王を丹後から迎えようとしたが逃亡したので思案の末、応神天皇の末裔の男大迹王を越前から迎えることにした。男大迹王は河内馬飼部首荒籠を派遣し、詳細な調査結果を吟味判断して、大伴金村の求めに応じて樟葉で即位し、継体天皇となったことが日本書紀第十七巻507年継体天皇元年の条に記されている。戦術の中枢を担う馬飼部の役割の大きさが分かる逸話だ。
 平安時代の歌枕として知られる「尾駁の駒・牧」は、江戸時代の紀行家菅江真澄の遊覧記「おぶちの牧」に長年の念願が叶った心情が吐露されている。真澄は尾駁の牧で草を食んだり飛び跳ねたりしている駁馬を躍動する筆使いで描いた。「尾駁の駒・牧」は、尾駁の駒が古歌に登場する時期と一致しているが、青森県六ヶ所村発茶沢遺跡の竪穴住居に付随する掘立柱建物跡が馬屋だったのではと推察されている。北秋田市鷹巣の胡桃館遺跡附属建物跡との共通点があり、共に火山灰由来の黒ぼく土の大地が広がっている。
 915(延喜15)年8月18日に爆発し、この2000年間で日本最大の噴火だったと考えられている十和田御倉山の噴火の被害は、毛馬内火砕流が周囲を焼き払い分厚い堆積物が土石流となってシラス大洪水を引き起こし、米代川流域に災厄をもたらした。この被害の実態を示す火砕流に埋まった住居跡が大館市比内町の片貝家下遺跡だ。シラス洪水は、鹿角・大館・北秋田を経て能代に至り日本海に堆積した。米代川流域の鷹巣の胡桃館遺跡・小勝田遺跡の発掘からも火砕流に埋もれた住居跡が見つかっている。そして、この爆発によって良質な黒ぼく土が形成されたと考えられている。黒ぼく土は、樹木が育たず、イネ科の植物が生育する特徴があり、イネ科植物を好む馬などの放牧に適している。岩手・宮城には今も多くの牧場があるが、黒ぼく土は北海道・東北・関東・九州に多く見られる。
 飛鳥時代に設置されたという諸国牧・近都牧や「延喜式」による4ヶ国の勅旨牧(信濃(16ヶ所)、甲斐(3ヶ所)、上野(9ヶ所)、武蔵(4ヶ所))にも該当しない常陸以北の蝦夷地は、これらの牧の管理が律令制の崩壊が進行し、衰退する頃に牧機能を担い良馬を産出するようになったと思われる。聖獣とされている駁馬の購入を懇願する貴族たちが牧を訪れていたと思われる帯金具や瑪瑙の蛇尾などが六ヶ所村表館遺跡から出土している。
  優れた馬産地の盛岡藩と仙台藩の馬は、五代将軍綱吉の政策や八代将軍吉宗の時代に「馬喰馬」購入の仕組みの確立後、江戸幕府購入の馬は「御馬」と呼ばれるようになる。
  7世紀から9世紀の遺構の青森県八戸市の丹後平古墳群からは、馬具の轡や馬の埋葬墓、砥石、帯金具、朝鮮半島由来の獅噛式三累環頭大刀柄頭などが出土し、岩手県北上市の江釣子古墳群からは、国内最多の蕨手刀、鉄簇、勾玉、管玉、轡などが出土しており、北鬼柳の八幡遺跡からは馬の描かれた土器が出土している。蝦夷地の古墳群に馬に関する遺物があり、貝塚からはモウコノウマの骨が出土している。撹乱や移動と考えられて馬の存在は評価されていないが、蝦夷地では早い時期に馬が活用されていたと推測される。
 秋田市新屋の日吉神社の神馬像が昨年末10年をかけて修復された。青い馬体に七曜星の水玉模様が描かれている。七曜星は、遣唐使の空海が帰国時に持ち帰った『宿曜経』によるもので、江戸時代までは吉凶判断に用いられた。平安貴族が争って手に入れることを望んだ駁馬は、吉凶を我が手に治める手だてでもあったのだ。現在、七曜は週の各名称として用いられている。『宿曜経』による「日・月・火・水・木・金・土」が七曜である。
 瑞兆とされ神の乗り物である伊勢神宮の神馬は、白黒斑毛の斑馬である。馬は、斎宮の土馬を経て鶴斑毛の御彫馬として献納され、木馬、絵馬へと形を変えていく。平城京跡・多賀城の市川橋遺跡・秋田城跡・払田柵跡などの国府・国衙で発掘された絵馬は、皆駁馬である。法隆寺壁画の源流といわれる「屈鉄線」描の壁画、ダンダンウイリク遺跡「如来・騎馬人物図」にも斑馬に騎乗した諸侯が描かれている。神の乗り物・神の使いとされる馬は神社に奉納され、今も神馬を飼育している神社が全国にある。祭礼の折りには、流鏑馬が神亊として奉納され、放たれた鏑矢が大気を切り裂き邪気を祓う。

 「我が君の手向けの駒を引きつれて行末遠きしるしあらわせ」梶原景時

 「としふともおもひしままにみちのくのその名をぶちの牧のあら駒」菅江真澄


リンドウ 花びらで光合成…斑点に葉緑体

2020-09-27 22:00:52 | 記録
読売新聞2020年9月23日(水)東京飯夕刊に掲載された記事(web会員限定15:00配信)「見頃を迎えているリンドウの花びらが光合成をしていることを、公益財団法人・岩手生物工学研究センター(岩手県北上市)が発見した。一般的に花は光合成をしないとされているが、リンドウの花びらにある緑色の斑点=写真、同センター提供=が葉緑体を含んでいることが要因とみられるという。
 [岩手の研究所 発見] リンドウは初夏から晩秋にかけて主に青色の花を咲かせ、岩手県は生産量が全国1位。これまで斑点が目立たない花を選抜し、育ててきたが、斑点の機能などは分かっていなかった。同センターが1年半かけて電子顕微鏡や測定器などを使って調べた。その結果、斑点は成熟した葉緑体を含む表皮細胞でつくられ、一般的な植物の葉と同レベルの光合成を行うことが判明したという。同センターの高橋重一研究員(40)は「従来の植物生理学の常識を覆す可能性もある花びらの光合成で得たエネルギーで花を長持ちさせているのではないかとし、今後、なぜ斑点が生成されたかなどを調べる。研究成果は8月26日付の米科学誌「プロスワン」に掲載された。
 東大付属植物園の園長を務める塚谷裕一・同大教授(植物学)は、「イネのように花が緑の植物が光合成をすることは知られていたが、リンドウのように色鮮やかに咲き、昆虫を呼び寄せる花が光合成する例は初めて聞く。葉緑体が花びらにある理由などが解明されれば、興味深い」と話している。」というのが記事の内容だ。

 岩手生物工学研究センターが発表したのは2020年8月24日(月)。同日20:35に共同通信社が配信した記事は「リンドウ生産の全国シェア約6割を占める岩手県にある岩手生物工学研究センター(北上市)などの研究グループは24日、リンドウの花びらに見られる緑色の斑点に葉緑体があり光合成が行われていることが明らかになったと発表した。一般的に花びらは光合成をしないとされ、新発見だとしている。論文は米科学誌に26日付で掲載される。
 研究グループは花びらの斑点を電子顕微鏡などで観察したほか、植物が吸収しながら光合成に使わなかった光を計測する手法で、斑点が葉と同レベルの光合成をしていることを確認した。
 今後は斑点を作る因子を究明し、新品種の育成につなげるなどしたいとしている。」。
 8月24日(月)に紙面に掲載したのは、秋田魁新報、沖縄タイムス、東京新聞、産経新聞、西日本新聞、静岡新聞、47ニュースなどだ。8月25日(火)には、産経biz、岩手日報。8月26日(水)には、YaHooニュース。9月2日(水)には、NHKニュースが報じている。

 多少日にちが過ぎているが、地元の強みを生かして多彩な取材と分析で異彩を放っているのが、岩手日日の記事だ。

新発見!リンドウは花でも光合成 緑色斑点に葉緑体・岩手生工研 
岩手日日新聞(岩手県一関市に本社)2020年8月27(木) 10:20配信の記事
「岩手生物工学研究センター(生工研、北上市成田、小岩一幸理事長)などの研究グループは、リンドウの花びらに見られる緑色斑点にある葉緑体が光合成をしていると発表した。植物の花は光合成しないとされているが、今回一般的な植物の葉と同レベルの光合成を確認。光合成能を持つ葉緑体は表皮細胞に存在していることも分かり、極めてまれな事例という。これらの研究成果は、新発見として注目されそうだ。
 研究は生工研園芸資源研究部の西原昌宏部長のグループで、同部研究員の高橋重一氏(40)が主体となり推進。県農業研究センター、早稲田大、農研機構の研究者が連携した。
 日本光合成学会員の高橋氏は、18年間光合成研究に携わってきた専門家。2018年9月生工研に着任後、農研センターで栽培するリンドウの花びらに見られる緑色斑点に着目。光合成の可能性を探り始めた。
 高橋氏らは電子、立体さまざまな顕微鏡を駆使してリンドウの花びらを観察。光合成測定装置で計測した結果、緑色斑点を構成する葉緑体は、一般的な植物の葉と同レベルの光合成をしていると判明した。
 本来、光合成は表皮細胞より内側の細胞で行われ、表皮細胞は発達した機能的な葉緑体を持たないとされているが、今回は表皮細胞で光合成をしていることが確認された。
 今後、高橋氏らは緑色斑点を形成する因子を突き止め、新たな技術開発をしてリンドウの新品種育成の労力軽減、開発促進を目指す。リンドウの花びらがなぜ緑色斑点を持っているかはまだ不明で、その理由を追求していくという。

 本県リンドウ生産量は全国トップだが、市場では育種の過程で斑点が目立たない系統が選抜される傾向にある。これまで斑点に関する知見が乏しかったが、今回の研究で大きな成果が得られた。高橋氏は「他の研究者と協力し合い、新たな発見ができた。将来はリンドウの育種現場でも活用し、最終的に生産者のために貢献できれば」と話している。
 研究成果は国際学術雑誌「PLOS ONE」に掲載される。」と長文だが問題点が的確に明示され、最も分かりやすい解説だ。

 読売新聞の9月24日(木)編集手帳に「花びら自体が光合成でエネルギーを得ることで、自身を長持ちさせているのでは」という研究員の談話を掲載している。編集氏は、「リンドウは枕草子や源氏物語でも霜枯れの野に鮮やかに咲くとたたえられている。稲の黄金や紅葉ばかりではない。日本の秋には深まる青もある。」と結んでいる。

 イネの花の光合成は、受粉の条件が乾燥した好天の1〜2時間で葯に包まれていた花粉が葯が避けて雄しべの花粉が風に乗り雌しべが受粉すると葯が閉じられるという時間限定の作用なのだという。
 
 漢方薬として中国から伝来したといわれているが、その時期は定かでない。  
 万葉集には詠われていないので、平安後期の頃かと思われる。  

 確かに、緑の斑点が花びらにある花は見かけないが、咲ききった状態の花を見ることも稀なので、気付かなかったのかもしれない。花びらが開ききらないうちに花の終わりが来ることが多く、花の中まで見ずに廃棄していることも確かなので、光合成で花もちを良くするなら、斑点のある花がもてはやされるようになるのかもしれない。

 リンドウ(竜胆)は、リンドウ科リンドウ属の多年生植物で、近縁の多品種や他種を含む総称名であることが多い。花期は秋だが、草刈りなどで見かけなくなった。一般的に見られるのは、墓前の供花などに用いられる園芸種の花だ。
 根の配糖体のゲンチオピリン、アルカロイドの一種ゲアチアニン、三糖体のゲンチアノースなどを含んでおり、様々な薬効がある。

黒ぼく土の作用

2020-09-14 21:55:36 | 記録
 黒ぼく土のもたらす恩恵を認識したのは、律令国家が定めた「牧」(軍馬や駅馬などを飼育する国営牧場)について知ったことによる。
 長良信夫氏の研究は、広範囲にわたっているが「明石人」や「明石ゾウ(アケボノゾウ)」の発見が特筆される事蹟であり、馬に関する研究も先見性が感じられる。それらは、『日本および東アジア発見の馬歯・馬骨』昭和46(1971)年、中央競馬会・『古代遺跡発掘の脊椎動物遺体』昭和47(1972)年、校倉書店によって東アジアで発掘された脊椎動物が家畜化されていたり丁重に葬られていたことを知ることができる。
 汗血馬は、1日に 千里を走り,疾駆すると血のような汗を出すといわれた中央アジアの名馬で、中国,前漢の太初1 (前 104) 年,将軍李広利が大宛 (フェルガナ地方) に遠征してもたらしたという西域(中央アジア)地方に産した名馬の一種で、前漢の武帝の時,張騫(ちようけん)の遠征によって西域に名馬のいることが中国に知られるようになった。中国では古来名馬を天馬と称しているが,《史記》の大宛列伝によると〈はじめ烏孫の馬を天馬と名づけたが,大宛の汗血馬を得てみるといっそうたくましく,そこで大宛の馬を天馬と称し,烏孫の馬を西極(せいきよく)と改めた〉と記されている。
 また、騎乗し胡服で戦って趙を軍事大国に押し上げた第6代の武霊王に慣い胡服騎射は、戦闘時の常識となっていく。
 移動のみならず戦闘や地域の消長に大きな影響を与えた馬は、火山灰地のもたらすミネラル分の多い土壌が育む草地の植物を食むことによって個体の維持をしてきたことが分かってきた。
 律令国家が定めた牧は、土地利用や人家の密集によって他の地域に移って行き、現在まで牧場としての機能を保っているのは「黒ぼく土」が広がっている北海道と東北北部である。
 平安時代に和歌に詠まれ貴族の垂涎の的となっていた陸奥(青森県六ケ所村)の「尾駁の牧」やこの2000年間で最大の十和田火山の大噴火(延暦寺「扶桑略記」延喜15(915)年8月)は、毛馬内火砕流につづく火山泥流が大館・鷹巣盆地を覆い尽くし「胡桃館」遺跡の牧と考えられる遺跡発掘のように「黒ぼく土」の牧が馬産地を担う機能を担っていたことを物語っている。
 幕末まで「黒ぼく土」の広い牧の経営を行ってきた北東北の南部・仙台藩の馬喰が索きのぼった馬が買い付けられ徳川幕府の「御馬」となるなど主要な馬産地の役割を長く担ってきた。
 火山噴火などによってもたらされる「黒ぼく土」は、半自然草原として様々な生き物との関わりが深く、また、自然発火や人による失火など人為的な要素も含め半自然草原は、生物の生存環境に深く関与してきたと考えられる。
 ミネラルの循環に関して「黒ぼく土」が担ってきた役割を再検討することが必要になってきてきたと考えている。

古文書の発見

2020-09-03 17:55:57 | 記録
「ふすま剥がしたら…「徳川家康」関連の古文書 台風で被災した酒々井・清光寺への調査で発見 専門家「史料的価値高い」千葉日報 2020年9月3日11:34配信」の報道が注目を集めている。中世の資料は少なく、徳川家康や父親の徳川家広の分骨供養、子供の徳川秀忠の東金への鷹狩時に度々立ち寄っていたことが分かっており、同じ浄土宗の大樹寺の文書も見つかった。
 不要な文書を襖の下貼りに使ったと考えられているが、100年以上前に下貼りに使われたことが興味深い。
 明治維新で価値観が変わり、太平洋戦争の敗戦まで徳川幕府の治世は低評価であったが、近年その文化的な価値が見直されている。
 そうしたことから、清光寺では徳川関係の文書を襖の下貼りにすることで 後世に残そうとしたのではないかと思われる。同寺の住職は30代目であることから徳川期から現代に至る世状を斟酌する ことはなかったのではないかと推察され、歴史の足跡を辿る貴重な史料が大量に見つかったことは重要な示唆を含んでいる。
 故郷の仙台市でも、同様に伊達氏を語ることが禁忌であった時期があって、秋田の友人が「伊達家の家訓 」の額を掛けていることに違和感を覚えたことを思い出した。
 NHK「英雄たちの選択」で、伊賀の服部氏の後裔の方が、街道の中間地点で和菓子屋を営み、退職後も情報収集に当たっていたと思われる未公開の古文書を大量に保管していることが分かった。大切に保管なさっている方々はたくさんいらっしゃると思われるので、古書店のみならず、こうした文書が研究対象になることが光が当たらず埋もれている歴史の側面を照らして、困難な時代を行く抜いた人々へ光を当てるきっかけになればいいと思っている。
 仙台市の瑞鳳殿には、七夕飾りの原型となっている「巾着、紙衣、吹き流し、短冊、折鶴、投網、屑篭」の七点が飾られていて、七夕まつりの笹飾りにも飾り付けられている。