蕨手刀の特徴
東北地方から最も多くの発掘報告がある蕨手刀は、砂鉄製のものが多い。最多の発掘例がある岩手県では、1997年までに70点以上の報告がある。岩手県では、古墳からの出土が多いが、特定の人々が携帯した刀だったと考えられる。北海道では、オホーツク文化の墳墓からも出土している。
国内の発掘数は、北海道から九州までで256点である。北海道43点、東北167店、関東・中部38点、畿内以西8点などで、東北・北海道が80%であり、日本の北の地域を象徴する刀である。
鉄を生み出した帝國<ヒッタイト>から、北方文化ー南方文化を経て日本列島へ伝播したと考えられる鉄にかんする文化は、きたの地域に蕨手刀という特徴的な刀を威信材として伝えた。
滋賀県高島町で先ごろ発掘された剣の鋳型に良く似た剣(アキナケス剣)が、秋田城跡から出土し、宮城県大崎市の中鉢美術館に所蔵されている。国指定史跡秋田城跡の発掘報告書には記されていないと思われるので秋田城跡のいずれかの地域で見つかった物と思われる。中鉢美術館(〒989-6433 大崎市岩出山字上河原町7-6 TEL:02229-29-9833 http://chubi.fam.cx/commentary.html)には、日本美術刀剣保存協会秋田県支部の方々が、2012年6月6日(水)見学し、活動記録に掲載している。http://toukenakita.blog.fc2.com/blog-date-201206.html
餌釣子古墳の発掘品
国指定史跡 餌釣子古墳群の四つの支群の中の一つ猫谷地支群は石室床面は、木炭混じりの礫床で、1号墳は、但馬の茶すり山古墳と同様の墳丘上部に長方形の埋納部分があり、吸うブロックに別けられて、舞納品は、1号墳には土師器小型壺・須恵器壺・蕨手刀一振・聖堂鞘尻金具、5号墳には土師器甕2個・耳環(耳飾り)・勾玉(コの字型。メノウ製)・切子玉(水晶製)・小玉(ガラス製)・鉄簇(矢じり)・刀子(短刀)などが副葬られていた。
時代は、1号墳は7世紀代、3号墳は8世紀代と開きがあり、規模の大きい古墳から小さい古墳があるが、出土品はきぼの小さい古墳から多く出土しており、築造の苦労と出土品の充実は一致していなかったという。
北上市和賀町字長沼の長沼支群出土のガラス製小玉178個の中には金張りの1個が含まれていて、シルクロードを経てオリエントからもたらされたと考えられていた。(餌釣子古墳群とその時代、北上市立博物館、1998年3月15日発行 2012年3月25日第2刷)
昨年の第64回正倉院宝物展に展示された白瑠璃碗は、これまでササン朝ペルシャ製の舶載品と考えられていたが、分析の結果東ローマ帝國製のローマングラスの可能性が高くなってきた。
読売新聞 2012年10月16日
http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/2012/news/20121016-OYT8T00828.htm