幻の出羽柵を探して:1 2015年4月27日(月)
「出羽柵を秋田村高清水の岡に移し置く」(続日本紀)の記述によって、秋田村高清水の岡移転したことが発掘調査によって分かっている秋田城跡ですが、現在も、毎年発掘作業が秋田市教育委員会文化振興室秋田城跡調査事務所によって発掘が継続されています。国指定史跡 秋田城跡に移ってきた出羽柵は一体どこにあるのかという長年の懸案を解決すべく、鶴岡市藤島に向かいました。
藤島は合併によって鶴岡市になりましたが、藤島庁舎では歴史的な遺産を大切にしつつ、地域起こしに取り組んでいます。
国府跡の平形館跡(鶴岡市藤島字桜屋敷)にあと一歩のところで道が分からなくなり、茄子の苗を植えていた地元の高橋さんに道案内をしていただきました。高橋さんに伺うと「平形館は、国府跡と爺さんに聞いていますよ。土地改良で、松は切られるしで、あまり面影はなくなっちゃったけどね!!」とのこと、平形館跡(鶴岡市藤島字桜屋敷)の説明板には、古代の国府出羽柵のことには触れられていませんでした。国府出羽柵や国分寺などについては、阿部正己『郷土研究叢書 2』(城輪の出羽柵阯及び国分寺址調査 附 大山柵阯平形国府国分寺阯 井口及び本楯国府阯 )、国書刊行会、1982.11に記述されていますが、詳細についての精査はまだ行なっていません。
平形館跡から南東の藤島城址(鶴岡市藤島字古楯跡)は、「和銅年間(708~714)出羽国府が平形に設置された頃、国府に附随した遺跡であったという。」と山形県鶴岡市観光連盟のホームページに記されています。『郷土研究叢書 2』には、いずれ北へ移るので簡便な作りであり、雄勝城・由利柵を経て移したという記述が見えるので、天平5年(733)に「秋田村高清水の岡に移し置く」という続日本紀の記述との整合性はありますが、空白期にどこに出羽柵が置かれていたのかという疑問は残るので、郷土研究叢書 2の精査をしなければなりません。
平形館跡をあとにして、鶴岡市藤島字古楯跡の藤島城址と八幡神社(同地にあり 本丸跡)を尋ねました。
土塁の一部が残され、八幡神社が祀られています。御祭神は、応神天皇・白山姫命・大己貴命・稲倉魂命・岐戸命です。
藤島城址から、道路向いをみると藤島福祉センターがありその一角に「ハチ公広場」がありました。
展示説明パネルが設置され ここに「ハチ公広場」を開設した経緯が書かれています。
石膏のハチ公像は今も藤島庁舎に展示されており、ブロンズ像はJR鶴岡駅に展示されていますが、保存会発起人の高宮宏さんが「市民にハチ公像に触れてもらいたい」と、ここに「ハチ公広場」を作ったのだそうです。
「ハチ公」が世に知られるようになったのは鶴岡出身の齋藤弘吉さんの東京朝日新聞への投稿であり、高宮宏さんが「ハチ公像」に関する経緯を知って、藤島町の人々への広報活動を続けられていることを知り、心を打たれました。
さて、出羽柵が山形から秋田に移り、再び山形に移ったとされる続日本紀の記述がありますが、それが山形の何処だったのかは、まだ分かっていません。
秋田城は、出羽柵が移動後も国府機能(徴税等)は維持されていたということですが、山形の国府跡は数カ所あることが昭和の発掘報告でされていて、まだ分かっていません。一説によると山形県人は出羽柵の移動はなかったと考えているとのこと。
出羽柵移動に関しては、雄勝城や由利柵を通ってという報告の記述があり、今だに何処なのか分かっていない雄勝城や由利柵が重要拠点だったことが分かります。なんとか解明できるよう努力したいと考えています。
そして、藤島町は、有機農業を推進し、皇居での養蚕と同じ小石丸などによる養蚕と製糸並びに織布を一貫生産している日本で唯一の地域です。町の様子もゆったりとおだやかな佇まいでした。今は藤まつり開催中かな…
話し変わって、横手市大屋地区発祥の梅・大屋梅にはこんな物語りがあります。「秋田県北部の蝦夷(えみし)が秋田城を攻撃した元慶の乱(878年)の折りに、鎮守府将軍の小野春風の家来として付き添った江津彦右衛門は、近江の国に帰らずに、栄地区に土着し一本の梅の木を屋敷に植え以来千年余、「江津の庭梅」と呼ばれ大家梅の祖として美しい花を咲かせてきました。現在の梅は孫梅と伝えられています。が、三代目のこの梅の木に枯死の危機が… 詳しくは 「大屋の梅」の祖、増殖成功し里帰り・横手 | 河北新報の記事をご参照ください。 www.kahoku.co.jp/tohokunews/.../20150411_45003.html
その他の情報は、
大屋梅・・横手に伝わる千年の梅 http://akitapref.exblog.jp/18248266
大屋の梅 www.hitozato-kyoboku.com/ooya-ume.html
大屋梅林と屋敷梅 http://www.rurubu.com/season/winter/ume/detail.aspx?SozaiNo=050002
大屋の梅ワイン - 横手市観光連盟 www.yokote-kankou.jp/?p=14603
「出羽柵を秋田村高清水の岡に移し置く」(続日本紀)の記述によって、秋田村高清水の岡移転したことが発掘調査によって分かっている秋田城跡ですが、現在も、毎年発掘作業が秋田市教育委員会文化振興室秋田城跡調査事務所によって発掘が継続されています。国指定史跡 秋田城跡に移ってきた出羽柵は一体どこにあるのかという長年の懸案を解決すべく、鶴岡市藤島に向かいました。
藤島は合併によって鶴岡市になりましたが、藤島庁舎では歴史的な遺産を大切にしつつ、地域起こしに取り組んでいます。
国府跡の平形館跡(鶴岡市藤島字桜屋敷)にあと一歩のところで道が分からなくなり、茄子の苗を植えていた地元の高橋さんに道案内をしていただきました。高橋さんに伺うと「平形館は、国府跡と爺さんに聞いていますよ。土地改良で、松は切られるしで、あまり面影はなくなっちゃったけどね!!」とのこと、平形館跡(鶴岡市藤島字桜屋敷)の説明板には、古代の国府出羽柵のことには触れられていませんでした。国府出羽柵や国分寺などについては、阿部正己『郷土研究叢書 2』(城輪の出羽柵阯及び国分寺址調査 附 大山柵阯平形国府国分寺阯 井口及び本楯国府阯 )、国書刊行会、1982.11に記述されていますが、詳細についての精査はまだ行なっていません。
平形館跡から南東の藤島城址(鶴岡市藤島字古楯跡)は、「和銅年間(708~714)出羽国府が平形に設置された頃、国府に附随した遺跡であったという。」と山形県鶴岡市観光連盟のホームページに記されています。『郷土研究叢書 2』には、いずれ北へ移るので簡便な作りであり、雄勝城・由利柵を経て移したという記述が見えるので、天平5年(733)に「秋田村高清水の岡に移し置く」という続日本紀の記述との整合性はありますが、空白期にどこに出羽柵が置かれていたのかという疑問は残るので、郷土研究叢書 2の精査をしなければなりません。
平形館跡をあとにして、鶴岡市藤島字古楯跡の藤島城址と八幡神社(同地にあり 本丸跡)を尋ねました。
土塁の一部が残され、八幡神社が祀られています。御祭神は、応神天皇・白山姫命・大己貴命・稲倉魂命・岐戸命です。
藤島城址から、道路向いをみると藤島福祉センターがありその一角に「ハチ公広場」がありました。
展示説明パネルが設置され ここに「ハチ公広場」を開設した経緯が書かれています。
石膏のハチ公像は今も藤島庁舎に展示されており、ブロンズ像はJR鶴岡駅に展示されていますが、保存会発起人の高宮宏さんが「市民にハチ公像に触れてもらいたい」と、ここに「ハチ公広場」を作ったのだそうです。
「ハチ公」が世に知られるようになったのは鶴岡出身の齋藤弘吉さんの東京朝日新聞への投稿であり、高宮宏さんが「ハチ公像」に関する経緯を知って、藤島町の人々への広報活動を続けられていることを知り、心を打たれました。
さて、出羽柵が山形から秋田に移り、再び山形に移ったとされる続日本紀の記述がありますが、それが山形の何処だったのかは、まだ分かっていません。
秋田城は、出羽柵が移動後も国府機能(徴税等)は維持されていたということですが、山形の国府跡は数カ所あることが昭和の発掘報告でされていて、まだ分かっていません。一説によると山形県人は出羽柵の移動はなかったと考えているとのこと。
出羽柵移動に関しては、雄勝城や由利柵を通ってという報告の記述があり、今だに何処なのか分かっていない雄勝城や由利柵が重要拠点だったことが分かります。なんとか解明できるよう努力したいと考えています。
そして、藤島町は、有機農業を推進し、皇居での養蚕と同じ小石丸などによる養蚕と製糸並びに織布を一貫生産している日本で唯一の地域です。町の様子もゆったりとおだやかな佇まいでした。今は藤まつり開催中かな…
話し変わって、横手市大屋地区発祥の梅・大屋梅にはこんな物語りがあります。「秋田県北部の蝦夷(えみし)が秋田城を攻撃した元慶の乱(878年)の折りに、鎮守府将軍の小野春風の家来として付き添った江津彦右衛門は、近江の国に帰らずに、栄地区に土着し一本の梅の木を屋敷に植え以来千年余、「江津の庭梅」と呼ばれ大家梅の祖として美しい花を咲かせてきました。現在の梅は孫梅と伝えられています。が、三代目のこの梅の木に枯死の危機が… 詳しくは 「大屋の梅」の祖、増殖成功し里帰り・横手 | 河北新報の記事をご参照ください。 www.kahoku.co.jp/tohokunews/.../20150411_45003.html
その他の情報は、
大屋梅・・横手に伝わる千年の梅 http://akitapref.exblog.jp/18248266
大屋の梅 www.hitozato-kyoboku.com/ooya-ume.html
大屋梅林と屋敷梅 http://www.rurubu.com/season/winter/ume/detail.aspx?SozaiNo=050002
大屋の梅ワイン - 横手市観光連盟 www.yokote-kankou.jp/?p=14603