バンコク行きの飛行機の中は平日の深夜のフライトのせいか、空席が多かった
深夜の飛行機の中は、すでに照明が消されており、乗客は否応なしに寝なければならない状態だ
俺もすでに関空でワンカップを一本開け飲み干し、このフライトでもビールを二本ばかり開けてしまっている
当然、酔いからくる睡魔もこんな深夜なのだから、こなければならないのだけれども、なんとなく、明りのないフライトの中で、ぼんやりと薄眼を開けて窓の外を眺めたりしていると、眠る様子にもならない・・
しかし、こんな深夜便の外の風景、かなりの高度で飛んでいるこのフライトの窓の外を眺めていても、どこまで見渡したとしても闇にすぎない
俺は、そんな闇の風景を見続けると、この飛行機はずっと、同じ場所で静止しているのではないか?と錯覚してしまう事さえ感じたりする
しかし、そんな静止した闇の状態を変化を持たせるように外を見ると、そんな闇の中を時折青白い光が闇を照らしたりする
パッパッと光るそんな青白い光、稲光のようだ こんな高度なフライトから見る稲光とは、それは我々を天から地上へと脅かしていたあの稲光とは、全然、様子の違うものであったりした
すでに、そんな地上人を脅かしていた稲光というものは、この高度な上空をとんでいる我々の目線の先よりも下降線の場所で起こっている自然現象にしか見えないものであったりする。
そういう実感しか感じない、この飛行機の中で眺める稲光というものを冷厳に見ていると、すでにこの時点で我々は人間を超えて、もっと別のレベルに到達した次元の高い人間に変化してしまったのではないか?とそんな偉ぶった錯覚を感じるような気がさえしてくる・・
このタイ行きの二度目の国際線のフライト・・・そう、そういえば、以前にもこんな光景を見たことがあった...
俺が中国に行った時、ハルピンに行くフライトの外も闇の中で稲光が光っていた・・ そうだ、あの時と同じだ
あの時も俺は中国人女性とお見合いし、結婚するために、夜のハルピンの上空の闇の外を見、青く光る稲光の光景を確かに見ていた・・・
十二年も前の記憶だったのだが、あの光景を俺は今でも覚えている 上空から見るハルピン行くまでの土地を思い出す
ところどころで砂漠ばかりがあって、こんな場所に砂漠があるのがその当時は不思議な印象として残っている 後でその話を中国の人に聞かせると、中国も開発のため自然破壊が進み、あちこちで砂漠化が進んでいるという話だった。
ハルピンの砂漠の空で闇の中で光る稲光・・その現象を今タイに行こうとする俺は見ている あのハルピンの時と同じように・・そう思うと、偶然の結果とはいえ、これは何かしらの啓示みたいなものなのかもしれないと思ったりもしないでもなかった
あの時、中国ハルピンでお見合いして、結婚して、六年あまり一緒に暮らし離婚した元妻は今ごろ、どうしているんだろう? そう思うと自然と今現在の自分の状況を思い、なぜだか涙がツタツタと頬をつたわって流れ落ちてくる
けっして、嫌いで別れたわけではなかった お互いに一緒に暮らしていても、希望のない生活であるならば、お互いの為の別れた方がよいという、そんな合意のうえでの離婚、別れであったりした。
だから、いまだに、彼女を思うと涙が出てくる・・ いまだに、彼女が好きだったりする ただ、彼女は俺の子供を作るのを望まなかった
それが、別れる理由だった・・
しかし、今となれば彼女の事が好きなら、子供がいなくたって良かったような気がする
彼女と離婚して、別れて、彼女との六年間の一緒に暮らした記憶と言うものが、とても自分の中で苦しみとなって後遺症のように残ってしまったことがあった
別れてから、すべてがうつろだったりした 生活に張り合いもなくなった、そんな事が遠因となって、前の仕事も身に入らず、やめてしまったこともあった
今やタイ女性とお見合いし、結婚するために、再び稲光の光る闇の中のフライトの中で俺はたたずむ
でも、そんな自分の今の状態を望んで、ここにいるわけではない
元々、中国人女性が嫌いなわけでもない むしろ気質としては中国人女性の方が俺の性質には合っていると思ったりする
そういう思いからしたら、別に無理にタイ女性と結婚しなくたって・・・そんな思いが頭をよぎる・・
だったら、何もタイ女性でなくても、再び中国人女性と結婚するということも考えられるのではないか?そんな事を思うと、このフライトのすべてをオジャンにしてもよいのだ という気持ちもわいてくる
しかし、中国女性・・・俺の中で一つの中国人女性と結婚して離婚したある五十歳の男性の悲しい物語を思い出してしまう
俺は以前、あるプラッチック部品の製造をしている会社の主任の役職にあった
小さな会社で、パートばかりいる製造業の会社だったんだけれど、日本人のパート女性が仕事の内容のこまやかさと給料の安さを嫌がって、次々と辞めていくので、自然と日本語のできない仕事を求める中国人女性ばかり集まる蛇頭のような秘密結社みたいな会社に慣れ果ててしまい、いつのまにか、この会社は中国人女性なしでは、会社として成立しないくらい労働力で頼らざるをえない会社であったりしたんだけれど、
そんな会社の中国人女性の一人に無職の六十前くらいの日本人の旦那がいて、その人がその中国人妻の伝手でアルバイトでうちの会社に一時期働きに来ている時があった。
その五十の無職男の彼を見るに、見るからに神経質そうな風貌、話していても、どこか変に癖のある人を見下したような話しぶり、印象として、どこか好感のもてない男だったりする
以前は中国でバリバリに働いていた日本のエリート商社マンだったらしいのだが、そういう過去の面影はなんとなく、うちのような小さな会社で働いている姿勢にも見受けられて、彼はうちの仕事作業をするたびに、あきれてしまい・・こう言うのが常であった
どうしてこんな作業効率の悪い仕事をするんでしょうかね?中国なら、もっと安くて生産効率の上がる仕事ができるのに・・と さも、エリート商社マンだった俺が、こんな安っぽい会社で働いてやっているんだぞ と、現場の主任の俺に苦笑しながら自分の過去の中国での仕事の事を自慢げに、話したりするのだった
そんな彼の性質にも関わらず、俺は結構、同じ中国人妻を持っているという因果から、彼とはよく話もし、仲よくしていた。
ある時、会社の昼休みに彼は中国人妻の作った手料理の弁当を俺に見せて、こういった事があった。
中国人はなんで、こんなヘンテコな料理を好きな旦那に食わそうとするんでしょうね?見てください。アジを中華風に揚げているでしょう
こんなものを私が上手いと思うものだと思うんでしょうかね こう言うものを料理する中国人はなんか、可笑しげですね
彼らの思考回路を疑いますよ
これは帰って嫁に注意しないと・・こんな油ものばかり食わされては、私は身体が持ちませんよ
と苦笑しつつ、その中華風のアジをパクッと食らいつき、さも旨そうに食べていたりする・・
こちとら、中国妻と五年近く、(その当時は離婚していなかった)暮らしていた中で、弁当一つ作ってくれたこともない不精の妻を持った悲しい思いの中で、
彼は、自分の中国妻の弁当を非難しつつ、さぞ自慢げに、俺に愛妻弁当を見せびらかす彼の陰湿な性質に何か時々嫌な物を感じたりした
彼はこう言ったこともあった。
中国人は人をだますことが一種の生活の一部となっている感じがしますね 私もよく騙されて、仕事が不履行になったことが何回かあります
僕は以前、日本の商社と中国人企業の紹介、斡旋とかしていた会社を経営していたことがあるんでよね
以前は何億ものお金を動かし、日本と中国との企業取引にも随分とかかわってきましたがね・・
そう言うと、彼の自慢話は果てしなく続いていくのだった・・