ミクシーでみつけて面白かったから転載します。
「Business Media 誠」 の記事です。
アニメ『機動戦士ガンダム』の監督として知られる富野由悠季氏が7月7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会に登場し、講演を行った。
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『機動戦士ガンダム』の放送30周年を機に招かれたもので、50人ほどの記者や一般参加者を前に、自らの半生や映画哲学などについて語った。
率直な語り口が特徴的な富野氏。今回もしばしばヒートアップしながら、30分ほどの講演と1時間ほどの質疑応答が行われた。
●ディズニー作品の動きに驚いた
50~60年前、僕が子どもの時代(富野氏は67歳)には、漫画と言われているものは基本的にゴミ箱に毎日捨てられるようなものでした。また、アニメではなく漫画映画と言われているような特別なもの、ディズニーの長編漫画映画に代表されるようなものしかありませんでした。
それでも、長編漫画映画としてのディズニー作品だけは特別でした。僕が小学校の時代に学校のクラス単位で映画を見る時間があって、その時にディズニーの長編漫画映画だけは見せられました。あれは今にして思うと、日本が敗北して、(米国の)占領政策下で米国人が作った漫画映画を黙って見させられたんだと思います。
しかし、10歳くらいの自分の感覚でも、手描きの絵、オールカラーであのように動かせる技術と根気は大変なものだと理解しました。そういう意味では、「学校が誘導してくれなければ、僕はああいう漫画映画を見る機会はなかった」と思っています。
『バンビ』『シンデレラ』『ピーターパン』などの作品を見て気になったのは「なぜこんなに暴力的に動かなければ(あまりに速すぎる動きをしないと)いけないのか?」ということです。「そういうものが改善されない限り、漫画映画は市民権を得られない」と思っていました。そして何よりも僕には、「物語が子どもだましのものではないか」という嫌悪感がありました。ただ、「手描きの絵であれだけ動かすことができる」という意味においての根気とそういうシステムを構築したディズニーというプロデューサーには大変優れた能力がある、とは理解しました。
●虫プロダクションのアニメは“止まっていた”
僕は11歳の時、手塚治虫先生の『鉄腕アトム』という漫画が(雑誌「少年」に)連載されたことによって、「漫画も読み物になるんだ」ということを理解させられました。
矛盾する話なのですが、手塚先生の『鉄腕アトム』はディズニー的なキャラクターで作られたものです。その部分が気に入ったというのは、多少自分にとっては悔しいことでした。「なぜ悔しいか」というと、戦争に負かされた米国のものが好きになってしまう自分というものを発見するからです。ただ、『鉄腕アトム』は「漫画でも都会的な作品が作りうるのではないか」と予見させてくれました。
僕が大学を卒業して、手塚先生の虫プロダクションに入社することができたのは、手塚治虫ファンだったからではありません。ほかに就職する口がなくて、虫プロダクションが拾ってくれたから就職したのです。本当にこれは偶然でした。(日本大学芸術学部)映画学科の学生ですが4年間勉強したとは言えない……、4年間居ただけの学生ですが、一応映画的な仕事に就けるという意味で虫プロダクションで“妥協する”ことができたのです。
そして、虫プロダクションでは驚くべきことを知りました。ディズニーのアニメは“動いている”のに、虫プロダクションのアニメは“動いていない絵を使って二十数分止める”という(映像が動いていないように見える)番組を作っていたことです。
そのようなスタジオでしか働けない自分の能力を情けないと思いながらも、そういう現場を見ていくうちに思ったことが1つあります。止まっている絵、動かない絵であってもそれをテレビモニターで鑑賞する時には、リアルタイム(で動いているように見えること)を要求されるわけです。つまり映像で流れる絵も、基本的には映画を作るのと同じ構造で作りうると理解しました。
●宮崎駿は作家であり、僕は作家ではなかった
その次に自分が職業上知ったことがあります。それはテレビシリーズの作品を任せられた時、ストーリーの決定権を得た時です。つまり、「公共の媒体を使って物語を提供するということとはどういうことか」を考えざるをえなくなったのです。
それを考えた時、具体的に出典は思い出せないのですが、児童文学を書くためのハウツーものを読んだ時にあった1行が、僕にとって現在までの信条になりました。「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、その時は難しい言葉遣いでも、子どもはいつかその大人の言った言葉を思い出してくれる」という1行でした。つまりアニメのジャンルに関わらず、「子どもに向かって嘘をつくな。作家の全身全霊をかけろ」と僕は理解しました。
その上で、僕は“巨大ロボットもの”というジャンルの専門家としての仕事に進むようになったのですが、その理由はオリジナルストーリーを作ることができるからです。生活費をもらいながら物語を作る訓練を毎週させてもらえるので、巨大ロボットジャンル(のアニメ制作)は大人にとって魅力的な職場になったのです。ですから必ずしもこのジャンルの作品が好きで現在まで来ているわけではありません。
オスカーをとっているスタジオジブリの宮崎駿監督のように、僕がなれなかったのはなぜか? 彼とは同年齢なのですが、「彼は作家であり、僕は作家ではなかった」。つまり、「能力の差であるということを現在になって認めざるを得ない」ということがとても悔しいことではあります。
●アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな
巨大ロボットジャンルを30年続けてきましたが、そこには素晴らしいことがあります。どういうことかと言いますと、おもちゃとしてのマシン(メカ)、アニメーション的なファッション(を描けるだけではなく)、どのような性格のストーリーも描ける媒体であるということです。(だからこそ)この30年間、飽きることなくこのジャンルで仕事ができるようになりました。
また、大人を対象とする物語では、内向する物語が許されます。現実という事情の中でのすりあわせしか考えない、社会的な動物になってしまう大人にさわらないで済む物語を作ることができた、という意味ではとても幸せだったと思います。また、大人向けを意識した時、「一過性的な物語になってしまう」という問題もあると思っています。(そうした物語から離脱できたことで)政治哲学者のハンナ・アーレントが指摘しているように、「独自に判断できる人々はごく限られた人しかいない」と痛感できる感性が育てられました。
今の日本では、アニメや漫画はかなりの大人までが鑑賞しているものになっています。その風潮の中、僕のような年代が1つ嫌悪感を持っているのは、「アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな」ということです。つまり、「アニメや漫画が好きなだけで現場に入ってきた人々の作る作品というのは、どうしてもステレオタイプになる」ということです。必ずしも現在皆さん方が目にしているようなアニメや漫画の作品が豊かだと僕は思いません。
だから、「もし、僕が次にガンダム的な作品を作らせてもらえるという機会があるならば」ということで設定したテーマがあります。先ほど名前をあげたハンナ・アーレントが指摘しているような意味での全体主義の問題が(世の中には)あるんだ、ということを物語の中に封じ込められる作品を、ロボットアニメやかわいいアニメで作ってみたいという野心を持つようになりました。
「今のようなことが言える自分になった」という意味では、「ガンダムという作品は自分にとって、やはりとても大事なものであった」と思えます。また、そのような認識を手に入れさせてくれたという意味では本当に感謝しています。そして何よりもこのような作品を手に入れたからこそ、今日この場にも呼んでいただけたと思います。本当に心から感謝します。
Business Media 誠 (提供元)
「Business Media 誠」 の記事です。
アニメ『機動戦士ガンダム』の監督として知られる富野由悠季氏が7月7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会に登場し、講演を行った。
【拡大画像や他の画像】
『機動戦士ガンダム』の放送30周年を機に招かれたもので、50人ほどの記者や一般参加者を前に、自らの半生や映画哲学などについて語った。
率直な語り口が特徴的な富野氏。今回もしばしばヒートアップしながら、30分ほどの講演と1時間ほどの質疑応答が行われた。
●ディズニー作品の動きに驚いた
50~60年前、僕が子どもの時代(富野氏は67歳)には、漫画と言われているものは基本的にゴミ箱に毎日捨てられるようなものでした。また、アニメではなく漫画映画と言われているような特別なもの、ディズニーの長編漫画映画に代表されるようなものしかありませんでした。
それでも、長編漫画映画としてのディズニー作品だけは特別でした。僕が小学校の時代に学校のクラス単位で映画を見る時間があって、その時にディズニーの長編漫画映画だけは見せられました。あれは今にして思うと、日本が敗北して、(米国の)占領政策下で米国人が作った漫画映画を黙って見させられたんだと思います。
しかし、10歳くらいの自分の感覚でも、手描きの絵、オールカラーであのように動かせる技術と根気は大変なものだと理解しました。そういう意味では、「学校が誘導してくれなければ、僕はああいう漫画映画を見る機会はなかった」と思っています。
『バンビ』『シンデレラ』『ピーターパン』などの作品を見て気になったのは「なぜこんなに暴力的に動かなければ(あまりに速すぎる動きをしないと)いけないのか?」ということです。「そういうものが改善されない限り、漫画映画は市民権を得られない」と思っていました。そして何よりも僕には、「物語が子どもだましのものではないか」という嫌悪感がありました。ただ、「手描きの絵であれだけ動かすことができる」という意味においての根気とそういうシステムを構築したディズニーというプロデューサーには大変優れた能力がある、とは理解しました。
●虫プロダクションのアニメは“止まっていた”
僕は11歳の時、手塚治虫先生の『鉄腕アトム』という漫画が(雑誌「少年」に)連載されたことによって、「漫画も読み物になるんだ」ということを理解させられました。
矛盾する話なのですが、手塚先生の『鉄腕アトム』はディズニー的なキャラクターで作られたものです。その部分が気に入ったというのは、多少自分にとっては悔しいことでした。「なぜ悔しいか」というと、戦争に負かされた米国のものが好きになってしまう自分というものを発見するからです。ただ、『鉄腕アトム』は「漫画でも都会的な作品が作りうるのではないか」と予見させてくれました。
僕が大学を卒業して、手塚先生の虫プロダクションに入社することができたのは、手塚治虫ファンだったからではありません。ほかに就職する口がなくて、虫プロダクションが拾ってくれたから就職したのです。本当にこれは偶然でした。(日本大学芸術学部)映画学科の学生ですが4年間勉強したとは言えない……、4年間居ただけの学生ですが、一応映画的な仕事に就けるという意味で虫プロダクションで“妥協する”ことができたのです。
そして、虫プロダクションでは驚くべきことを知りました。ディズニーのアニメは“動いている”のに、虫プロダクションのアニメは“動いていない絵を使って二十数分止める”という(映像が動いていないように見える)番組を作っていたことです。
そのようなスタジオでしか働けない自分の能力を情けないと思いながらも、そういう現場を見ていくうちに思ったことが1つあります。止まっている絵、動かない絵であってもそれをテレビモニターで鑑賞する時には、リアルタイム(で動いているように見えること)を要求されるわけです。つまり映像で流れる絵も、基本的には映画を作るのと同じ構造で作りうると理解しました。
●宮崎駿は作家であり、僕は作家ではなかった
その次に自分が職業上知ったことがあります。それはテレビシリーズの作品を任せられた時、ストーリーの決定権を得た時です。つまり、「公共の媒体を使って物語を提供するということとはどういうことか」を考えざるをえなくなったのです。
それを考えた時、具体的に出典は思い出せないのですが、児童文学を書くためのハウツーものを読んだ時にあった1行が、僕にとって現在までの信条になりました。「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、その時は難しい言葉遣いでも、子どもはいつかその大人の言った言葉を思い出してくれる」という1行でした。つまりアニメのジャンルに関わらず、「子どもに向かって嘘をつくな。作家の全身全霊をかけろ」と僕は理解しました。
その上で、僕は“巨大ロボットもの”というジャンルの専門家としての仕事に進むようになったのですが、その理由はオリジナルストーリーを作ることができるからです。生活費をもらいながら物語を作る訓練を毎週させてもらえるので、巨大ロボットジャンル(のアニメ制作)は大人にとって魅力的な職場になったのです。ですから必ずしもこのジャンルの作品が好きで現在まで来ているわけではありません。
オスカーをとっているスタジオジブリの宮崎駿監督のように、僕がなれなかったのはなぜか? 彼とは同年齢なのですが、「彼は作家であり、僕は作家ではなかった」。つまり、「能力の差であるということを現在になって認めざるを得ない」ということがとても悔しいことではあります。
●アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな
巨大ロボットジャンルを30年続けてきましたが、そこには素晴らしいことがあります。どういうことかと言いますと、おもちゃとしてのマシン(メカ)、アニメーション的なファッション(を描けるだけではなく)、どのような性格のストーリーも描ける媒体であるということです。(だからこそ)この30年間、飽きることなくこのジャンルで仕事ができるようになりました。
また、大人を対象とする物語では、内向する物語が許されます。現実という事情の中でのすりあわせしか考えない、社会的な動物になってしまう大人にさわらないで済む物語を作ることができた、という意味ではとても幸せだったと思います。また、大人向けを意識した時、「一過性的な物語になってしまう」という問題もあると思っています。(そうした物語から離脱できたことで)政治哲学者のハンナ・アーレントが指摘しているように、「独自に判断できる人々はごく限られた人しかいない」と痛感できる感性が育てられました。
今の日本では、アニメや漫画はかなりの大人までが鑑賞しているものになっています。その風潮の中、僕のような年代が1つ嫌悪感を持っているのは、「アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな」ということです。つまり、「アニメや漫画が好きなだけで現場に入ってきた人々の作る作品というのは、どうしてもステレオタイプになる」ということです。必ずしも現在皆さん方が目にしているようなアニメや漫画の作品が豊かだと僕は思いません。
だから、「もし、僕が次にガンダム的な作品を作らせてもらえるという機会があるならば」ということで設定したテーマがあります。先ほど名前をあげたハンナ・アーレントが指摘しているような意味での全体主義の問題が(世の中には)あるんだ、ということを物語の中に封じ込められる作品を、ロボットアニメやかわいいアニメで作ってみたいという野心を持つようになりました。
「今のようなことが言える自分になった」という意味では、「ガンダムという作品は自分にとって、やはりとても大事なものであった」と思えます。また、そのような認識を手に入れさせてくれたという意味では本当に感謝しています。そして何よりもこのような作品を手に入れたからこそ、今日この場にも呼んでいただけたと思います。本当に心から感謝します。
Business Media 誠 (提供元)